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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
* 木彫りのカンノンさんのおはなし(仮想はてなのお話)
姨綺耶山 長命寺 31
ゴエーカ;
やちとせや やなぎにながき いのちでら
はこぶあゆみの かざしなるらん
長命寺のカンノンはんは、
センティ・ファファ・セインの3者が、
一体となったガッティと呼ばれる、
カンノンはんであります。
3者の合体ですから、いい面も多いのですが、
もちろん、悪く言えば、
足の引っ張り合いもしますから、
トータル的には、他のカンノンはんと、
同等の力と、考えていいのではないのでしょうか。
このお寺には、昔タロボーと呼ばれる僧侶が、
住んでいたそうであります。
声が大きくて、力の強い坊さんだったようです。
その声は、琵琶湖の対岸から対岸まで、
届いたということです。
琵琶湖大橋が、1,350mですから、
届いたとしても、別におかしくはありませんね。
琵琶湖の水量が減った時には、
岸と岸とがさらに近づきますので、
距離はあまり信用できません。
タロボーは、雨を降らせたり、
風を吹かせたりもしたようです。
雨を降らすのは、大規模な山焼きでもしたのでしょうか。
強い火は、気流に変化を生じさせ、
雲の流れを変えたかもわかりませんし、
煙が空に昇って、雨滴の核となったかもしれません。
またそれと同時に風が吹いたとしても、
不思議ではありません。
何しろ、琵琶湖という水ガメのそばですから、
気流変化は起しやすかったのでしょう。
話は、まだまだ遡りますが、
ショートク太子も出てまいります。
その前に、武内のスクネーという人がおりました。
スクネーは、この長命寺のある山に登り、
柳の大木を見つけたそうです。
彼は、この木に「寿命長遠諸願成就」と、
彫り込んだそうです。
古い木は、大事にしてやるのが常識なのに、
傷をつけるのはどうかと思われますね。
自分の願いが叶えば、
柳の木など枯れてもいいというのでしょうか。
人間のためになることであれば、
古木の1本や2本や、・・・50億本ぐらいは、
どうっていうことないんでしょうかねえ。
一人が、1本ぐらいと思えば、
すぐに50億になる時代ですからね。
まあ、それぐらい彫り込んだとしても、
枯れるとは限りませんから、いいんでしょうかね。
彫っても、枯れるとは限らないし、
彫らなくても枯れるかもしれない、
枯らさないようにしても、枯れるかもしれないですね。
ただ、人間が枯らそうと思えば、
100%枯らすことが、出来るということを、
一番心に留めておくことが、大事なのではないのでしょう
か。
人間は、そういう事が、出来る唯一の動物なのですから。
ショートク太子が、この山に登って来た時、
たまたま、この柳に彫り込んだ文字を、見つけました。
柳は、枯れなかったんですね。
太子が、この文字に見入っていると、
どこからともなく、白髪の老人が現われたそうです。
その老人は、太子に向かって、
この柳でガッティを、刻むように進言したということです。
ついに、柳は生命を断たれることになりました。
カンノンはんは、色々な木で彫刻されるんですねえ。
椿の木もありました。
楠木、柏、桂、槻栴檀、白檀、榎とあります。
元は、みんな生きていた木なんですよね。
ここがセンティたちの悩みのタネでもあります。
身体を用意されて、
「はいどうぞ」と言われると、
入らないわけにはゆかないし、
単純に、ホイホイと入れば、
殺生を黙認することにも、なり兼ねないのです。
たまたま枯れそうな木があった。
どうせ枯れるのなら、
その木を有効利用して、
カンノンはんでも刻もうかと、
いうことであれば、問題はないのですが、
始めから、カンノンはんを刻むことをして、
意識して、木を切り倒すことは、
どうもいただけないようです。
センティたちにしても、
それを止めさせる力などはないし、
まあ出来ることといえば、
木の精を立てて、
仲良く同居することぐらいなんでしょう。
木造自身は、それぞれの木の精のものであるし、
姿・形は、カンノンはんの33変化の内の、
一つの容姿を刻んでいるようだし、
その兼ね合いが難しいようであります。
センティたちも、それぞれが、
心を砕いて生活しているんですねえ。
その項おわり