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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
* 父子の出会いのおはなし(仮想はてなのお話)
御嶽山 清水寺 25
ゴエーカ;
あわれみや あまねきかどの しなじなに
なにをかなみの ここにきよみず
播州清水寺は、今から1,800年もの昔に、
インドのホードー上人が開いたお寺だそうです。
仮想西国は、インドとのつながりも、
無きにしもあらずなのですね。
那智のラ行上人も、確かインドの生まれだったですね。
仏教はインドで発明されたもの、
もっと頻繁に出てきたとしても、
ちっとも不思議じゃないですね。
播州清水のファファについて、
こんな話が伝わっているそうです。
かなりの昔のことになります。
ある村に一人の老人が住んでおりました。
バァさんも亡くなり、
何不自由のない暮らしをしていたのですが、
死を待つだけの生活には、アキアキしていたのでしょう。
旅に出るという置き手紙をして、
急にいなくなりました。
息子の嫁に気兼ねもしていたのかもしれません。
朝は早く目が醒めるが、家族を起すと悪いと思い、
外を一回り散歩してくる。
散歩後、家に戻り、神さまや仏さんに手を合わせてから、
朝食を食べ、家畜にエサをやる。
そうこうしているうちに、昼飯時となり、
昼すぎ近所の茶飲み友達の所へ行って、
昔の話に花を咲かせ、また家に戻ってくる。
後は、風呂などを沸かしてから、夕飯を食べ、
家族と団欒のひとときを過ごし寝る。
ほとんどが、そんなありきたりの日々でありました。
考えようによっては、
食う心配はない、
天変地異も起こらない、
悪病も流行っていない、
戦争の恐れもない、
こんな幸せはないと思うのでありますが、
このような平穏な日というのは、
ある種の人間にとっては苦痛のようでもあります。
この老人も、その一人だったのでしょう。
仮想西国まわりに出掛けたのでありました。
その頃は、自分の足だけが頼りだったものですから、
半年近くはかかるだろうと予想していました。
置き手紙には、何処にゆくとも、
書いてなかったそうであります。
老人の気紛れですから、2~3日で、
ああ疲れたと言って、
帰るかもしれなかったからであります。
大見得きっても、身体には自信が持てなかったせいも
あったのでしょう。
とにかく、廻ってみようと出掛けたのでありました。
息子は、年寄の一人旅にはあまり賛成できませんでした。
いつ何時、どこかから使いのものが尋ねてきて、
すぐ迎えに来いなどと言われますと、かないません。
それが、農繁期などにぶつかりますと、
簡単に迎えに出られませんし、
もし万が一、そんな事態になったら、
村の数人の者にも頼まなければなりません。
困ったことをしてくれたものだと心を痛めておりました。
息子は、その時ふと播州清水のファファの事を、
思い出しました。
父が、年を取ってすることが無くなったら、
ゆっくりと廻りたいものだと、
独り言を言っていたのを思い出したのです。
もしかしたら、あそこに行けば何かわかるかもしれないと、
思い、清水寺に出掛けることにしました。
ありがたいことに何とそこで、
ばったりと父親に会ったのです。
父は、逆参りをしておりました。
家を出てから、まだ10日も経ってはおりません。
しかしながら、老人にとって歩き通しの10日間は、
何年も旅に出ているように思われました。
このまま家に帰ろうかと、
何度思ったことかしれないそうですが、
置き手紙をした手前、自分から10日や20日で帰っては、
モノ笑いの種になります。
清水寺で、二人がお互いホッとしたことは間違いありませ
ん。
ファファが引き合わせてくれたように思ったそうです。
ファファは別に二人を引き合わせた覚えはないそうですが、
そう思ってくれたとしても何の差し支えもないので、
気にはしないそうであります。
二人は、ファファに挨拶して礼を述べ、
心に少しだけわだかまりを持ちながら、
家路についたそうです。
やりたい事を先送りにしてますと、
思うようにはならないものなのですね。
老人の気持も息子の気持もわからないではありませんが、
もう一つすっきりしませんね。
この項おわり