株式会社プランシードのブログ

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その80.岡山の入社案内DVD完成ざぁます②

2012-12-17 08:44:05 | 制作会社社長の憂い漫遊記
12月15日、入社案内DVDの録音を迎えた。
この作品のために存在するかのような竹房 敦司氏をナレーターに起用し、
女性ナレーターには藤本 典穂さんを起用した。
藤本さんは私が演出する展示会のメインステージにはなくてはならないMCだ。
毎年私を指名くださるステージには彼女を必ず起用している。


(私の演出するステージにMC・藤本さんはなくてはならない)

彼女は自分を美しく見せ、華やかなステージにするために
何をすればいいのかをいつも考えている上昇志向の頼りになるMCだが、
数年前に「ナレーションをしたい」というので、
1本してもらったが、ボロボロだった。
そもそもMCとナレーションは全く違う。
藤本さんの後輩で、藤本さんが都合つかない時に
MCをしてもらう中山 博子さんも
MCはチョー安心して任せられたが、
ナレーションをやってもらうと撃沈した。
MCはライブであり、ナレーションは非ライブだ。
顔もパフォーマンスもなく、声だけで全てを伝えなければならない。
そこまで懲りているのになぜに藤本さんを起用したの?
それがチャレンジャーの私の由縁たるところだ。
今回の録音スタジオ・サウンドシードの山城 日出男氏には
十分に準備してもらい藤本さんのナレーション取りが始まった。
もちろんメインナレーターの竹房氏には全編ナレーションを読んでもらい、
それで完成品ができるようにはしている。
ところがベテランナレーター・竹房氏は負けじと読む。
「なんで全編俺じゃないの?監督、それはないぜ!」とばかりの
迫力あるナレーションだ。
もはや藤本さんのはい入る隙もないほど見事な読みっぷり。
監督としてというより、プロデューサーとして保険をかけたが、
逆に藤本さんにとってますます狭き門になっていく。致し方ない。
頼んだぞ!藤本 典穂!!

しかし彼女と組むことが不安なことばかというとそうでもない。
実はそれより約2週間前の12月3日、
私はすでに女性ナレーターとして藤本さんの起用を決めていたので、
粗編集試写用の台本とDVDを渡していた。
彼女の声質には正直惚れていた。
しかしそれがナレーションになるとひどいものになる。
うまく読んでくれれば彼女の声質はピタリとはまる。
今回はそこにかけた。
台本を一読した藤本さん。
私のエンディングナレーションは
「共に歩もう!共に生きよう!」としていたのだが、
「ちょっと大げさ。重いし…」と私に鋭い指摘をし、
私はそれを即受け「共に歩もう!共に進もう!」に変更した。
こういう指摘はさすがにMCだ。
MCとはマスター・オブ・セレモニーの略だからディレクターでもある。
こういった指摘はディレクターとしては当然の主張だ。
私はあっさり彼女の提案を受け入れたのだが、
さてナレーターとして彼女は声で伝えきれるのか?
そんな不安をよそに、録音の朝、私はまたまた閃いた。
彼女が指摘したラストメッセージ「共に歩もう!共に進もう!」を
竹房氏と彼女とのデュエットナレーションとすることにした。
PR映像ではお目にかからない手法でエンドを締める。
シブい。誠にシブい。結果は言うまでもない。

さて、藤本さんの起用と共にもう一つチャレンジしたことがある。
ナレーターへのQ出しに助監督・川村を 起用した。
Q出しとはナレーターにナレーションの出るタイミングを
ランプで知らせる役割で
まず中身を熟知し、間をしっかりと 身につけていないとできない。
たいていは監督自ら行なうが、
25年程前に私がついた播磨 晃監督は、
現場で私にインタビューをさせるは、
編集は任せるは、Q出しまでやらせた。
無茶ブリではない。私が助監督だからやらせたのだ。
今思えば所詮は播磨監督の手のヒラの上だったのだろうが、
私は経験を積むに従い、播磨監督の作品への思いが理解できていった。
以降、私も私なりに播磨風演出術をアレンジして
助監督を助手としてではなく
助監督という職能者としてつき合うようにしている。
助監督・川村はどう受け止めたかはわからないが、
録音までの数日間はQ出しの練習に明け暮れていた。
そして録音間際に
「この文章の初めにある“その”はカットしませんか?」と言ってきた。
私は即OKを出した。うまくスタッフワークが回っている。
これでイイモノができない訳がない。
助監督・川村のQ出しで、
竹房氏と藤本さんがナレーションを読んでいく。
私はその横でナレーションが心地よく収まっていくのかチェックしていく。


(助監督・川村のQ出しでナレーターは原稿を詠む
 後ろ姿の男が川村)

こうしてナレーションを入れ終わり、昼飯を挟んで音楽を当てていく。
選曲は山城 日出男氏だ。山城氏は粗編集を見て
「いつものことだけど、あんたの作品はホンマに曲がつけにくいなぁ。
(曲が)無くても見れる作品に曲をつけるのは骨が折れるわ」
わかってんじゃん山ちゃん!チョーホットだぜ。
さて曲をつけるか、現場音なくすか、引き算しかない。
曲をつけるなら半端な曲はつけられないぞ。

9月7日から始まったこの作品は、わずか5日間の撮影だったが、
時期狙いもあり11月6日の蒜山ロケでようやくクランクアップ。
その後、粗編集に丸1週間を擁し、足掛け4ヵ月で完成となった。
この作品に出会えてからというもの日々楽しかった。ホントに楽しかった。
映像は決して情報だけを伝えるものではない。
私は感情を伝えるツールだと思っている。
企業がお金を出して作るなら、
わかりやすく感情が伝わるように
私達作り手は配慮と工夫をしなければならない。
感情を伝えるツールだからこそ、時には刃物よりもするどく、
時には斧よりも強烈な武器になることを忘れてはならない。
今回の作品はとてもわかりやすい作品になっている。
だからこの会社に入社したいと思う人もいれば、
逆に俺には無理だと入社しない人も出てくるだろう。
そして被写体となった4人の男達にとっても
退路を断つキッカケ=この会社で生き抜く決心をする
キッカケになったに違いない。
この4人と、このDVDを見て入社してくる学生達の
一期一会へのキッカケになること
それこそが私の役割だった。

「お疲れ様」の声の中、私の作品作りの旅が終わった。

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