私の関わったテレビ番組で秀逸なのは
『あの人に届けたい ふるさと特急便』だ。
テレビ番組といっても、いま原発で話題の福井県高浜町の
原発防災用のケーブルテレビの番組で、
月1回の制作で週4回は放送される
トータル視聴率100%?を超えるお化け番組だ。
(あの人に届けたい ふるさと特急便)
制作は日本映画新社 大阪支社次長の米虫 進氏が退社後作った
(株)アドボックで、米虫氏自らがプロデュースした。
スポンサーは関西電力だが、お金を出すだけで口は出さない。
段取りはすべて高浜町役場がする。
ではどういう番組かというと…
高浜町を出て仕事をする有名人に、その友人たちがビデオレターを作り
我々が届けて見てもらうという至極明快なもの。
送る人は同級生であったり、ご近所さんであったり、老若男女を問わない。
番組の始めの頃は高浜町出身の有名人に対し、小学校や中学校の同級生が
思い出の地からビデオメッセージを送るという体をなしていた。
例えば、トヨタラグビーチームでレギュラーを張る朽木3兄弟とか、
大阪に住む有名な画家の先生とか…
しかし人口わずか1万人の高浜町から出た有名人なんて
たかが数も知れている。
そこで全国区ではないが、町では有名人だという方々に
ビデオレターを送ることになる。
例えば甲子園に出た高校球児で今はサラリーマンの方だとか、
あげくには、同じ高浜町だが一番東のはずれにある
青郷小学校に赴任した先生だとか、
チョ~地方区になってくる。
しかし番組はここから俄然おもしろくなってくる。
何故なら全国区の有名人はビデオレターを見て、
ビデオレターを返すだけだが
高浜地方区の有名人はビデオレターをみたら
やにわに高浜に帰りたくなり、帰っちゃうのである。
中には番組で再会前に自ら帰っちゃう強者もでる。
それでも番組チックに返信ビデオレターを見せてから
「サプライズで帰省してもらいました」とレポーターが臭く演じたが、
皆さん後ろで隠れているのを知ってて、まったくサプライズにならない。
オモロ~!もはや番組を超えている!
30分の番組だったが、CMなしの防災用ケーブルテレビだから
おもしろい出会いなら平気で30分越えの番組を作った。
その内、米虫プロデューサーもあきらめて「だいたい30分ならいいよ」と
ユルユルになった。
私がシリーズの終わり頃に担当したのはケッサクだった。
高浜町には七年祭りという由緒正しい七年に一度しか開催されない
祭りがある。七年に一度なので開催期間も一週間とロングラン。
中ノ山、西山、東山の地区から3つの大型の神輿が高浜町内を練り歩く。
圧巻はフィナーレの「の儀」。3台の神輿が神社を出て、
鳥居浜に集結する。
いずれも強烈なるライバル心を持って「の儀」に挑む。
そうなるとちょっとした小競り合いが大喧嘩に発展する。
当時は毎回、小浜警察署からトラックでお巡りさんが喧嘩の仲裁にきて
その帰りにはそのトラックいっぱいに喧嘩した奴らを
小浜警察署の留置場まで運んでいた、と度々地元紙を賑わした。
私が担当したのは、30年ほど前に喧嘩をして以来
狭い町に住みながら顔も会わせない二人の老人の30年振りの再会だ。
二人とも当時、それぞれの御輿の責任者をしていた。
数年はケッタクソ悪く、意識して会わなかったが、
その内ドンドン疎遠になる。しかし七年祭りになると当時を思い出し
祭り見物に行くが顔を会わせないようするので祭りに没頭できない。
この年、たまたま開かれる七年祭りで再会させようと言う企画である。
タイトルは「あの人に届けたい ふるさと特急便」であるが、
町内会で出すビデオレターとなった。なんとアバウトな企画だろうか!?
しかし私にモッテコイのテーマである。
(七年祭り、こんな感じなので血気盛んな若者たちは喧嘩をおっぱじめる
写真はblogs.yahoo.co.jp/hotcreationjp/47860179.html より)
取材すると両方の奥さん同士は友達という。そりゃ同じ町内だものね。
しかし当人たちはいまだに遺恨があるようで、
「自分がビデオレターをもらうのはよいが、
自分からビデオレターを送るのは、
絶対に!絶対に!絶対に!いやだ!!」と言い張る。
自分から折れたくない。困った年寄りたちだ。
仕方がないので、当時の若中からそれぞれにビデオレターを送ってもらい
七年祭り当日の再会を企んだ。
当日、サプライズで2人を1等席に並んで座らせたが、
お互いわかっているのになかなか顔を合わせない。
その内、鳴り物が鳴り出し、体が揺れ出す。
それでも話さないので、仕方なく我々は席を外し太鼓を撮りにいった。
低予算のワンカメ(1台しかカメラがない取材)の悲哀を
これほど感じたことはない。
戻ると仲良く話しているではないか。まったく喰えないKYな年寄りだ。
後日、この喰えない年寄りから手紙をいただいた。
「あれから二人で自宅を行き来するようになり酒を呑んだりしています」
まったく終わってから礼状をもらっても遅いちゅうねん!
しかし、私は番組とはこうあるべきだと考えている。
お笑いタレントが探訪するのはよいが
取材された人々が何かを発見したり、
あたらしい出会いがあり喜びを感じたら、
茶化さずに我慢して、気持ちが整理できるまで待って欲しい。
その時の一言を、表情を温かく撮って欲しい。
人々のコミュニケーションの架け橋こそが、
これからの番組の切り口ではないか?
テレビ番組のおける永久不滅のテーマではないかと思う。
私は『ふるさと特急便』を撮って以来、テレビ番組にそれを願っているが
それを理解する制作陣はなかなか少ない。残念である。
私は『ふるさと特急便』の若い女性レポーターにも
「君が前に出るな。被写体が出てくるのを待て」とよく注意していた。
実はこの番組は先輩格の松下 裕治監督と
西村 由美監督(当時関西でも希少の女流監督)と、私の3人が交互に担当し
撮影は牧 逸郎氏と河西 秀樹氏が交互に担当した。
西村監督は、テレビ番組を主に制作する(株)タクビデオを出て
フリーになったが、河西氏もフリーになる前はタクビデオの撮影部に属し
西村監督は制作サンとして撮影部の河西氏と番組を作っていた。
ということもあり二人が組むと番組風になっている。
レポーターを中心に、笑いを交えた番組づくりで
実にスマートな仕上がりだった。
私はこの作りに反し「レポーター不要!大切なのは出会いだ」と
独自路線を歩んだ。実際出来はドロドロなのだが…
ただ私はいまでもレポーター不要論者で、
東京で元NHKアナウンサーの宮崎 緑さんと建築家の黒川 紀章氏の対談を
撮った時も、宮崎さんの「ありがとうございました」でカットにはせず
私なりのインタビューを続行した。
収録後「きっつい監督さんですね」と
緑さんはニッコリ笑っていたが目は怖かった。
役者は緑さんの方が何枚も上なので「すみません」と笑いながら謝ったが
素材はしっかり握りしめ私は帰阪した。
こうして『ふるさと特急便』は回を重ね、やがてリニューアルして
番組名は変わり、監督も私たちより若手にバトンタッチされた。
私はこの番組を担当した1年間は、自称「名誉高浜町民」になり、
当時、阪神電車・御影駅南側に掛けられた高浜町のゆるキャラ
「赤ふん坊や」が描かれた高浜町PR看板を見ては
高浜の海と若狭富士に思いを馳せたものだ。
あれから20年、高浜町には行っていない。
(あの頃よりもメッチャ出世した現在の赤ふん坊や
www.taka-syou.jp/contents/mascot/mascot.html)
『あの人に届けたい ふるさと特急便』だ。
テレビ番組といっても、いま原発で話題の福井県高浜町の
原発防災用のケーブルテレビの番組で、
月1回の制作で週4回は放送される
トータル視聴率100%?を超えるお化け番組だ。
(あの人に届けたい ふるさと特急便)
制作は日本映画新社 大阪支社次長の米虫 進氏が退社後作った
(株)アドボックで、米虫氏自らがプロデュースした。
スポンサーは関西電力だが、お金を出すだけで口は出さない。
段取りはすべて高浜町役場がする。
ではどういう番組かというと…
高浜町を出て仕事をする有名人に、その友人たちがビデオレターを作り
我々が届けて見てもらうという至極明快なもの。
送る人は同級生であったり、ご近所さんであったり、老若男女を問わない。
番組の始めの頃は高浜町出身の有名人に対し、小学校や中学校の同級生が
思い出の地からビデオメッセージを送るという体をなしていた。
例えば、トヨタラグビーチームでレギュラーを張る朽木3兄弟とか、
大阪に住む有名な画家の先生とか…
しかし人口わずか1万人の高浜町から出た有名人なんて
たかが数も知れている。
そこで全国区ではないが、町では有名人だという方々に
ビデオレターを送ることになる。
例えば甲子園に出た高校球児で今はサラリーマンの方だとか、
あげくには、同じ高浜町だが一番東のはずれにある
青郷小学校に赴任した先生だとか、
チョ~地方区になってくる。
しかし番組はここから俄然おもしろくなってくる。
何故なら全国区の有名人はビデオレターを見て、
ビデオレターを返すだけだが
高浜地方区の有名人はビデオレターをみたら
やにわに高浜に帰りたくなり、帰っちゃうのである。
中には番組で再会前に自ら帰っちゃう強者もでる。
それでも番組チックに返信ビデオレターを見せてから
「サプライズで帰省してもらいました」とレポーターが臭く演じたが、
皆さん後ろで隠れているのを知ってて、まったくサプライズにならない。
オモロ~!もはや番組を超えている!
30分の番組だったが、CMなしの防災用ケーブルテレビだから
おもしろい出会いなら平気で30分越えの番組を作った。
その内、米虫プロデューサーもあきらめて「だいたい30分ならいいよ」と
ユルユルになった。
私がシリーズの終わり頃に担当したのはケッサクだった。
高浜町には七年祭りという由緒正しい七年に一度しか開催されない
祭りがある。七年に一度なので開催期間も一週間とロングラン。
中ノ山、西山、東山の地区から3つの大型の神輿が高浜町内を練り歩く。
圧巻はフィナーレの「の儀」。3台の神輿が神社を出て、
鳥居浜に集結する。
いずれも強烈なるライバル心を持って「の儀」に挑む。
そうなるとちょっとした小競り合いが大喧嘩に発展する。
当時は毎回、小浜警察署からトラックでお巡りさんが喧嘩の仲裁にきて
その帰りにはそのトラックいっぱいに喧嘩した奴らを
小浜警察署の留置場まで運んでいた、と度々地元紙を賑わした。
私が担当したのは、30年ほど前に喧嘩をして以来
狭い町に住みながら顔も会わせない二人の老人の30年振りの再会だ。
二人とも当時、それぞれの御輿の責任者をしていた。
数年はケッタクソ悪く、意識して会わなかったが、
その内ドンドン疎遠になる。しかし七年祭りになると当時を思い出し
祭り見物に行くが顔を会わせないようするので祭りに没頭できない。
この年、たまたま開かれる七年祭りで再会させようと言う企画である。
タイトルは「あの人に届けたい ふるさと特急便」であるが、
町内会で出すビデオレターとなった。なんとアバウトな企画だろうか!?
しかし私にモッテコイのテーマである。
(七年祭り、こんな感じなので血気盛んな若者たちは喧嘩をおっぱじめる
写真はblogs.yahoo.co.jp/hotcreationjp/47860179.html より)
取材すると両方の奥さん同士は友達という。そりゃ同じ町内だものね。
しかし当人たちはいまだに遺恨があるようで、
「自分がビデオレターをもらうのはよいが、
自分からビデオレターを送るのは、
絶対に!絶対に!絶対に!いやだ!!」と言い張る。
自分から折れたくない。困った年寄りたちだ。
仕方がないので、当時の若中からそれぞれにビデオレターを送ってもらい
七年祭り当日の再会を企んだ。
当日、サプライズで2人を1等席に並んで座らせたが、
お互いわかっているのになかなか顔を合わせない。
その内、鳴り物が鳴り出し、体が揺れ出す。
それでも話さないので、仕方なく我々は席を外し太鼓を撮りにいった。
低予算のワンカメ(1台しかカメラがない取材)の悲哀を
これほど感じたことはない。
戻ると仲良く話しているではないか。まったく喰えないKYな年寄りだ。
後日、この喰えない年寄りから手紙をいただいた。
「あれから二人で自宅を行き来するようになり酒を呑んだりしています」
まったく終わってから礼状をもらっても遅いちゅうねん!
しかし、私は番組とはこうあるべきだと考えている。
お笑いタレントが探訪するのはよいが
取材された人々が何かを発見したり、
あたらしい出会いがあり喜びを感じたら、
茶化さずに我慢して、気持ちが整理できるまで待って欲しい。
その時の一言を、表情を温かく撮って欲しい。
人々のコミュニケーションの架け橋こそが、
これからの番組の切り口ではないか?
テレビ番組のおける永久不滅のテーマではないかと思う。
私は『ふるさと特急便』を撮って以来、テレビ番組にそれを願っているが
それを理解する制作陣はなかなか少ない。残念である。
私は『ふるさと特急便』の若い女性レポーターにも
「君が前に出るな。被写体が出てくるのを待て」とよく注意していた。
実はこの番組は先輩格の松下 裕治監督と
西村 由美監督(当時関西でも希少の女流監督)と、私の3人が交互に担当し
撮影は牧 逸郎氏と河西 秀樹氏が交互に担当した。
西村監督は、テレビ番組を主に制作する(株)タクビデオを出て
フリーになったが、河西氏もフリーになる前はタクビデオの撮影部に属し
西村監督は制作サンとして撮影部の河西氏と番組を作っていた。
ということもあり二人が組むと番組風になっている。
レポーターを中心に、笑いを交えた番組づくりで
実にスマートな仕上がりだった。
私はこの作りに反し「レポーター不要!大切なのは出会いだ」と
独自路線を歩んだ。実際出来はドロドロなのだが…
ただ私はいまでもレポーター不要論者で、
東京で元NHKアナウンサーの宮崎 緑さんと建築家の黒川 紀章氏の対談を
撮った時も、宮崎さんの「ありがとうございました」でカットにはせず
私なりのインタビューを続行した。
収録後「きっつい監督さんですね」と
緑さんはニッコリ笑っていたが目は怖かった。
役者は緑さんの方が何枚も上なので「すみません」と笑いながら謝ったが
素材はしっかり握りしめ私は帰阪した。
こうして『ふるさと特急便』は回を重ね、やがてリニューアルして
番組名は変わり、監督も私たちより若手にバトンタッチされた。
私はこの番組を担当した1年間は、自称「名誉高浜町民」になり、
当時、阪神電車・御影駅南側に掛けられた高浜町のゆるキャラ
「赤ふん坊や」が描かれた高浜町PR看板を見ては
高浜の海と若狭富士に思いを馳せたものだ。
あれから20年、高浜町には行っていない。
(あの頃よりもメッチャ出世した現在の赤ふん坊や
www.taka-syou.jp/contents/mascot/mascot.html)
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