株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その59.アパッチ砦は今年も1名増!

2012-10-11 09:14:04 | 制作会社社長の憂い漫遊記
インディアンの中でも最強の部族としてその名を馳せるアパッチ族。
騎兵隊が攻めいっても落とせない難攻不落のアパッチ砦。
統率された騎兵隊の手には最強の武器・ライフル銃と腰にはサーベル。
馬に曳いて大砲まで持ってきている。
一方、アパッチ族の武器は弓矢。
そしてどこから手に入れたのかライフルもあるにはある。
しかし、どう考えてもやる前から勝負がついている。
にもかかわらず、アパッチ砦はなかなか落とせない。
アパッチ族は勇猛果敢な一族として
アメリカやメキシコを相手にゲリラ戦を行った。
そのアパッチ族のCEO(chief executive officer)がジェロニモだ。

我が社は零細企業につき、まるでアパッチ砦だ。
どうがんばっても大手の代理店には資本力でかなわない。
いまのところ酋長の私が百戦錬磨の経験と感で引っ張っている。
合い言葉は「インディアン、嘘つかない」。
嘘つかない。一生懸命取組む。
そして現場に即した提案をし、実現に向けお客さまと共に汗を流す。
こうして厳しい業界の中を今でも勇猛果敢に?
どうにかこうにか生き残っている。
しかしどう考えても10年後このまま生き残れるのか甚だ疑問に思う。
「その46.そこにいたければ自分がかわるしかない」でもそのことは述べた。
この表題は、映画好きならもうお分かりかと思うが、
(政治家 小沢 一郎氏の座右の銘でもあるらしい…)
イタリアの映画界の巨匠
ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ監督の
映画「山猫」での台詞で
「変わらずに生き残る為には、変わらなければならない」
から「その46」のタイトルはいただいたのだが…
果たして当社アパッチ砦に明日はあるのか?
そういえばアパッチ野球軍という最強野球チームの漫画があったが、
どれも個性的なダダケ者で構成されていた。
あの常勝・巨人軍にすら勝つ。まさに憧れの軍団である。


(助監督でいえば川村は現在フォース。
 チーフ助監督になる日はいつの日か…)

2012年10月7日アパッチ砦の一員にして
最若手の雨男・川村啓太が結婚した。
川村は入社以来、一貫して「雨男」の称号を欲しい侭にしている。
彼が参加するロケは、室内、屋外を問わず必ず雨を降らしてくれる。
当社としては実に厄介者で、
今年初夏の社員旅行の折、舘山寺でお守りを受け彼に授与した。
なんとその甲斐あって、以来「雨男」返上!
自分の結婚式も晴天にした。
川村と結婚する奇特な花嫁は愛さんというしっかりさんだ。
ひょっとすると舘山寺のお守りではなく、
愛さんのおかげで遺伝子に変化が起こり
「雨男」返上となったのかもしれない…まぁ神のみぞ知るだが。
このしっかりものの愛さんの参入で、アパッチ砦にまた家族が増えた。
そうこうするうちにもう一人、二人と子供が生まれ、
ますますアパッチ砦の人口密度は高くなるやも知れぬ。


(社員旅行で参拝した舘山寺のお守りを受け、雨音を返上!
 ご利益なく雨男のままだとクビだった)

我が社の結婚式はこれで3組目?になる。
社員No.1の藤井 弥生は建築業の好青年と出会い寿退社。
今では子供もいる。
社員No.3の森田 康貴と社員No.4の梶山 高子は、
社内結婚で梶山は寿退社した。
一男一女を得て、今では2児共に小学校中学年になる。
そして川村啓太は、3組目というか4人目というか…
粛々とアパッチ砦は家族が増え、向かうところ敵ナシの感だが、
メンバーを見ると生真面目な紳士が多く、
アパッチ砦のように「個性的なダダケ者の集まり」とは言い難い。
唯一、ダダケ者の要素を持つ田邉 暢平には
何としてもダダケ者道を邁進してもらいたい。
アパッチ砦である限り一人や二人はダダケ者がいないと
様にならないからだ。

さて世の中には仲のいい夫婦はいる。たまに見かける。
結婚して10年も経つのにまだ新婚のように仲がよい夫婦もいる。
できればこんな夫婦 になりたいと思うし、
結婚前にはそうなれると信じて結婚する。
多少の不安はあっても離婚なんて考えもしない。
ところがいざ結婚してみると、なかなか思い通りにはいかない。
「そんなアホな」と旦那だけでなく、女房も思っている。
こんな夫婦がほとんどだろうと思う。
今は女性も職を持っている。結婚してすぐに主婦になる人は少ない。
子供ができて専業主婦となる方もいるが、働き続ける方もいる。
「共働きでないと生活できない!」と、
すごい剣幕で話すオナゴもいるが、たいがいは詭弁だと私は思っている。
なにせ、外に出ていると変化はあるし、手も抜ける。
男前とも出会えるし、お酒を呑むこともできる。
専業主婦をしているよりも、外に出る方が変化があって面白いのだ。
「稼ぎが悪い」なんて言おうものなら旦那は凹まず怒らねばならない。
もはや男の生活力=給料だけでは夫婦関係はなりたたない。
それでも私ほどの年齢になると、夫婦関係にプライドはなくなるので、
しっかり稼ぐ妻ならヒモ=専業主夫も悪くないと思っている。
家事が負担なんてアホらしい。
家事の合間に好きなことできるなら喜んでする。
子育てだって楽しいものだ。
妻の帰りを待って一献やれるならより食事を作って
風呂を沸かして待っている。
妻が疲れているにもかかわらず優しくしてくれるなら…いいんじゃない???
それよりも、しっかり稼ぐことの方が大変なことで、
かつ家庭も大切にするとなると、天使にでもならなければ無理だ。
にもかかわらず最近の若者は、オナゴから両立を迫られ、
しかも両立するのだからチョ~立派なことだ。
こんな男性陣を捕まえて「草食」だの、
昔なら「アッシー」「みつぐ君」などと呼ぶのは笑止千万!
叩き切ってやりたい。
世の女性よ、もそっと旦那を立ててやらないと可哀想すぎる。
怒れ!がんばれ!男性諸君!!
しかし男をあまり甘やかすのもよくない。
男は甘やかされると途方もないことをしでかす。
所詮、男はオナゴには勝てないのだ。


(華燭の宴たけなわ、幸せいっぱいの川村夫妻)

さて誰もが離婚を前提として結婚することはない。
いや、「1度目の結婚は両親のために、2度目の結婚は子供のために、
3度目の結婚は自分のために」というツワモノもいるので
一概には言えないが…事実私の周りのも3回目というツワモノはいる。
とはいえ、結婚する時はまさに幸せの絶頂で、
まさか自分たちが離婚するなどとは微塵も思っていない。
しかし結婚してみると、初めて見えることも山ほどある。
私などは付き合っていた時に想像していたよりも
実際は稼ぎが悪かったので、まず小遣い銭の少なさに喧嘩をした。
仕事柄の帰りが遅い上に、飲んで帰るので
「食事の支度がムダになる」と喧嘩になる。
支度をしていなかったらいなかったで、腹が立つ。
「ちょっとは家事を手伝って!」と喧嘩になる。
子供が生まれると、さらに「家事の分担」を迫られ、
夜中にオシメの替えやミルクやりをして、
眠い目をこすって現場に出る。
「疲れた~」と家に帰っても優しい言葉もない。
さらに両親と妻とのやり取りでも喧嘩勃発などなどなど、
想像だにしなかった出来事が結婚・出産のわずか4~5年で、
これでもかこれでもかと襲いかかり、心の休まる間もない。
愛がなければ生きていけない…と思っていたのに、
その愛すら薄れていき、家計のためだけにひたすら働く。
お金も大事だけど、それでも絶対に愛がないと…虚しい。


(川村に先を越されたが、次にこの席に座るのは当社唯一のダダケモノ=田邊だ
 PS:できることなら私もこの席に座りたい)

交際中はこんなことはなかった。
もし喧嘩をしても会わなければよい。
でも会わなければ直に寂しくなって電話をし、仲直りをする。
しかし、同じ屋根の下で住むと喧嘩をした後の復旧までに
多くの労力とあきらめと、膨大な時間を要する。
「人間にとってこれほど無駄はない!」と
その時は地団駄を踏んで悔しがる。
私の実家は工務店だったので、
母親は男みたいな肝っ玉母さんだった。
生活も喧嘩も母親主導だった。
母から「もう別れる」と聞いた記憶もある。
けっして仲のいい夫婦とはいえなかったかもしれない。
それが60歳になり、70歳になり、孫ができ、
その孫が成人になる頃になると
ようやくお互い(特に親父)が諦めと理解と諦めと理解をを繰り返し、
宣言通りに離婚もせず、今では仲良くやっている。
昔のように真っ向からぶつかることなく、いい意味で柳に風。
こんな老夫婦は世間にはよくあるのかもしれない。
当社の川村が結婚した。
彼にはまだまだ社会人としての自覚がない。
社会人として己に退路を断つ決断が出来ていない。
逃げ道を持っているのだ。
まぁクリエーター補には、ありがちと言えばありがちだが、
当社ではクリエーターである前に「汗を流す人」でなければならない。
汗を流すとは、怒りや悲しみ、苦しみと真っ向から向き合うということだ。
いつも笑顔でいれるようになる、誰にでも笑顔で接するようになるには、
怒りや悲しみ、苦しみを肌で体験しなければならない。
彼の課題は、自分自身に対する怒りや悲しみ、苦しみの自覚である。
実はこれこそがクリエーター補からクリエーターになるための
最も大切なものであり、夫婦が続く上でも最も大切なものなのだ。

アパッチ砦の人口が今年もまた1人増えた。

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