25年前、新潟在住の佐藤氏を取材した。
その佐藤氏が急に神戸にやってきた。しかも私に会うために。
25年前、わずか3日間のロケだったが、
早朝から夜22時まで密着で佐藤氏の営業活動を追った。
当時、佐藤氏はバイタリティ溢れる営業マン。
シーズン真っ只中ということもあり、
昼飯もそっちのけでお客様の困り事に応えていた。
当時、佐藤氏をはじめとする業界のトップセールスは
皆さんシーズン真っ只中は猛烈に働いていた。
そして顧客の信頼を勝ち取っていた。
その佐藤氏の活動を通して自分の営業活動を見直してもらう、
感じる系の社員教育用ビデオの取材だった。
今ではドキュメンタリーは当たり前だし、
アポなし取材も普通に行っているが、
当時はドキュメンタリーを好んで撮る監督は少なかった。
そんな中、隙間産業的に
私はドキュメンタリー系取材を敢行していた。
そもそも当時主流だった
ドラマ風にカットを積み上げる方式は、
私には嘘臭くて違和感があった。
しかし、ドキュメンタリー方式だと、
当時の撮影機材は重くフットワークが悪い上、
照明が必要だったため被写体も構えてしまう。
テレビでお馴染みのタレントが取材するのではない。
見ず知らずの信頼関係もない私が、
一般ピープルにインタビューするのだ。
そうなると被写体に撮られることに慣れてもらう演出法を
まずスタッフに理解してもらい、
被写体とフランクに交われるスタッフを
育てることから始めなければならなかった。
作品本数に比例してスタッフワークも向上し、
この作品の評価が仕事倍増のきっかけになった。
ドキュメンタリーとはただ撮るというものではない。
監督は必ず軸足を決めてから撮影に入らねばならない。
芯がフラフラすると意味不明になる。
被写体の考えていることを、まるで恋人のように親身に捉え
時には意見を戦わせるインタビューをし、
駄目出しをもいとわない格闘技的撮影がドキュメンタリーである。
そのため滅茶苦茶疲れる。いいとこ3日間が限界である。
つまりわずか3日間で、被写体の人となりを
一生付き合ったかごとくギリギリまで解明する。
時として勘違いもあるが、
毎夜撮影終了後にスタッフでラッシュを見て
表情や言葉を確認し、翌日また挑む。
取材期間中、顔が、言葉が頭から離れない。
だから私は密着した被写体の事を一生忘れることはない。
そして被写体の多くも、私の記憶を心の奥にしまっているものだ。
佐藤氏も格闘した戦友として私の心に今でも鮮烈残っている。
ただし私は監督なので、後日私から被写体に会いに行くことはない。
それがルールだ。精々、年賀状でのお付き合いになる。
でも時々私に電話をかけてくれたり、
中にはわざわざ会いに来てくれる被写体がいる。
そうなると私は嬉しくて仕方ない。
こうしてわずか3日間の思い出話から始まった
男2人のダベリングは、朝の9時半から夜の22時まで続いた。
一応、神戸観光とは銘打ってはいるが、
会話のついでの観光である。
北野の異人館巡りをしても、神戸港観光船に乗っても、
中華街で飯を食っても、センター街を散策しても、
最初に場所の説明をしたら、後は会話の応酬である。
思い出話から、やがて家族の話、仕事の話、そして第2の人生設計、
棺桶に片足を突っ込んだ時にどう自分の生きざまを振り替えるかまで
まるで南極観測船から3年ぶりに帰宅して嫁と会話するようだ。
あっという間に楽しい時は過ぎ、別れの時を向かえる。
単に相性があったからだけではなく、
別れがわかっているから一日中話せたのかもしれない。
次にお会いできる日は何時なのか?
ありがとうございました。再見
その佐藤氏が急に神戸にやってきた。しかも私に会うために。
25年前、わずか3日間のロケだったが、
早朝から夜22時まで密着で佐藤氏の営業活動を追った。
当時、佐藤氏はバイタリティ溢れる営業マン。
シーズン真っ只中ということもあり、
昼飯もそっちのけでお客様の困り事に応えていた。
当時、佐藤氏をはじめとする業界のトップセールスは
皆さんシーズン真っ只中は猛烈に働いていた。
そして顧客の信頼を勝ち取っていた。
その佐藤氏の活動を通して自分の営業活動を見直してもらう、
感じる系の社員教育用ビデオの取材だった。
今ではドキュメンタリーは当たり前だし、
アポなし取材も普通に行っているが、
当時はドキュメンタリーを好んで撮る監督は少なかった。
そんな中、隙間産業的に
私はドキュメンタリー系取材を敢行していた。
そもそも当時主流だった
ドラマ風にカットを積み上げる方式は、
私には嘘臭くて違和感があった。
しかし、ドキュメンタリー方式だと、
当時の撮影機材は重くフットワークが悪い上、
照明が必要だったため被写体も構えてしまう。
テレビでお馴染みのタレントが取材するのではない。
見ず知らずの信頼関係もない私が、
一般ピープルにインタビューするのだ。
そうなると被写体に撮られることに慣れてもらう演出法を
まずスタッフに理解してもらい、
被写体とフランクに交われるスタッフを
育てることから始めなければならなかった。
作品本数に比例してスタッフワークも向上し、
この作品の評価が仕事倍増のきっかけになった。
ドキュメンタリーとはただ撮るというものではない。
監督は必ず軸足を決めてから撮影に入らねばならない。
芯がフラフラすると意味不明になる。
被写体の考えていることを、まるで恋人のように親身に捉え
時には意見を戦わせるインタビューをし、
駄目出しをもいとわない格闘技的撮影がドキュメンタリーである。
そのため滅茶苦茶疲れる。いいとこ3日間が限界である。
つまりわずか3日間で、被写体の人となりを
一生付き合ったかごとくギリギリまで解明する。
時として勘違いもあるが、
毎夜撮影終了後にスタッフでラッシュを見て
表情や言葉を確認し、翌日また挑む。
取材期間中、顔が、言葉が頭から離れない。
だから私は密着した被写体の事を一生忘れることはない。
そして被写体の多くも、私の記憶を心の奥にしまっているものだ。
佐藤氏も格闘した戦友として私の心に今でも鮮烈残っている。
ただし私は監督なので、後日私から被写体に会いに行くことはない。
それがルールだ。精々、年賀状でのお付き合いになる。
でも時々私に電話をかけてくれたり、
中にはわざわざ会いに来てくれる被写体がいる。
そうなると私は嬉しくて仕方ない。
こうしてわずか3日間の思い出話から始まった
男2人のダベリングは、朝の9時半から夜の22時まで続いた。
一応、神戸観光とは銘打ってはいるが、
会話のついでの観光である。
北野の異人館巡りをしても、神戸港観光船に乗っても、
中華街で飯を食っても、センター街を散策しても、
最初に場所の説明をしたら、後は会話の応酬である。
思い出話から、やがて家族の話、仕事の話、そして第2の人生設計、
棺桶に片足を突っ込んだ時にどう自分の生きざまを振り替えるかまで
まるで南極観測船から3年ぶりに帰宅して嫁と会話するようだ。
あっという間に楽しい時は過ぎ、別れの時を向かえる。
単に相性があったからだけではなく、
別れがわかっているから一日中話せたのかもしれない。
次にお会いできる日は何時なのか?
ありがとうございました。再見
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