最近はマツコ・デラックスさんやミッツ・マングローブさんなど
その手の方も認知されテレビ番組では指定席がある。
私が業界人になった30年前は、まだその手の方は
レジスタンス状態で表にでることはなく、ひっそりと暮らしていた。
私の知り合いの服飾デザイナーさんは、25年くらい前に
西中島南方の女装クラブでメイクのバイトをしていたらしいが、
サラリーマンやら医師といったストレス系に加えて
たまにお相撲さんも来店するなどけっこう繁盛していたと言うが
その手の方々は当時、いたってのアンダーグラウンドだった。
しかし私の業界人スタッフの中には明らかにその手の人とわかる人がいた。
しかも女装などせず男性の姿で堂々と謳歌しておられた。
私が初めてその手の方に出会ったのは大学を卒業して就職した会社の先輩
谷 松雄氏に連れられて行った大阪市北区(通称:キタ)にある歓楽街
東通商店街の一筋北にある堂山町だった。
(ヤバい街・堂山町)
今は十三か福島が主戦場となり、
東通商店街にすら滅多に立ち寄らないので堂山町のことは全くわからないが
当時この一帯はオカマさん、オナベさんの店が集中していた。
ちなみにオカマさんは、戸籍は男性であるが男性を愛する方を指し、
オナベさんは戸籍か女性であるが女性を愛する方を指す。
30年前の私はまだ風俗系には全く疎くウブそのもの、
そんな一帯があるなどつゆ知らず、谷 松雄さんこと松っあんに連れられて
とあるスナックに入った。
店内は薄暗く、入った途端に香水の香りが漂っており
ウブな私はその香りだけで期待感が高まった。
(大学卒で入社した会社の社員野球チーム
私はキャッチャー)
カウンターだけの小さな店で、客は一人もおらず、席に着くと
「いらっしゃ~い♪」とメチャクチャ可愛い女の子が2人、
私と松っあんそれぞれについた。
けっしてデラックスさんやマングローブさんではなく、
はるな愛ちゃん似のかわい娘ちゃんだった。
胸元から見えるパイオツはDカップか?しばらく話すと意気投合したとばかり
腕に絡みついてくる。肘がふくよかな胸に当たる。
しかしその時、私はまだ彼女がその手の方とはツユと知らない。
腕だけではなくミニスカートの細い生脚まで絡めてくる。
次第に話し声は小さくなり、私の耳元に唇をくっつけるようにして
話してくるではないか。やがて
「お店が終わったら一緒に帰らない。商売じゃないのよ、
あたなと一緒にいたいだけ。何か食べに行こっ、私がご馳走するわ」
とかなんとか似たようなことを語りかけられると、
すでに心臓は爆発寸前、血管が膨張し、
脳の血管が間違いなく20~30本まとめてプツンという音と共にキレていた。
こんな事態になり「やった~」と舞い上がるのは私だけではないハズだ。
とはいえ男子たるもの持つべき物は金。
このスナックの料金はひとまず松っあんに任せるとして、
財布の中身を確認せねばと「トイレはどこ?」と尋ねた。
「ついて行ってあげる」とすでに健気な彼女風。
言っておくがこの時点でもまだ私は彼女がその手の方とは知らない。
トイレに到着、入ると鍵がついていない。もしドアが開いて、
財布を出して金勘定をしているところを目撃されると実に情けない。
仕方なく「鍵はどうしてかけるの?」と聞くべく、再度ドアを開けると
なんと目の前に彼女が待っているではないか。
「鍵は?」
「中からかけられないの。ここのトイレは外からかけるのよ」
「?」
「一緒に入ってあげる」
「?」
と戸惑う間に彼女はトイレに乱入。
彼女がドアを閉しめると同時に鍵が閉まる音。
「?」
ドアを開けようにもすでにロックオン!
ただでさえ狭いトイレに二人、密着を通り越し身動きができない。
しかも当時は和式である。
彼女はすかさず便器をまたぐようにして私と向かい合うや否や…
もはや私は蜘蛛の巣に絡まった蝶である。
抵抗して良いのか悪いのかもわからぬまま、しばらく顔中キスの洗礼を受けた。
満足したのか「あっオシッコだったよね」と一声かけるやいなや、
なんと私のチャックを開けて、しっかり握って「シ~コイコイ」と合いの手。
ウブな私は完全に思考不能。キレは悪かったが取り急ぎオシッコを済ませた。
「ハイ、お終い」と私自身をパンツの向こうに収めて、
ズボンのチャックを閉めるといとおしそうに右手でポンポンと叩き、
左手でドアをノックした。するとあら不思議、鍵があく音。
しかも自動ドア?
松っあんについていた彼女がドアの外で拍手でもって出迎えてくれる。
どうやら彼女が施錠と自動ドアの担当だったようだ。
何が何だかわからぬまま席についたが、
その後も彼女の愛の攻撃がゆるむことはなかった。
繰り返すが私はまだ彼女が、その手の人とはツユぞ知らないのである。
もちろん松っあんは知っていた。これは全て松っあんの陰謀だったのだ。
その事を知ったのはそれから五分後のことだった。ついにその時がキタ~。
私の手をそのふくよかな胸に導く彼女。
本当にふくよかだった。マジでふくよかだった。
軽い吐息を私の耳に吹きかけると
虚ろな目つきで私の手をスカートの中に導く。
生脚なので温かさが手のひらに伝わってくる。
そしてついにバンティーに私の手を導く。キタ~!
しかし私の指先はなじみある感触を覚えた。
これはもしやしてオチンチン?握るとやっぱりオチンチン!
私は誰はばかることなく「ギョエ~」と叫んでしまった。
この時初めて私は彼女が元彼?紛れもない彼であることを知ったのだ。
いまだかって自分以外のオチンチンに触れたことはない。
実際はもっと鮮烈な出来事だったが私の娘もこのブログを見ているので
かなりトーンダウンしてここまで話したが、いずれにしても、
他人のオチンチンに触れたことはない。あまりにも衝撃的すぎた(^^;)
それから数年後、私は料理番組の監督をすることになったのだが、
これが最初の「見るからに男だが、心は女の子」という
その手の方に出会うことになる。しかしこれはあくまでも噂の領域で
その方のお世話になったという人物と実際に会うこともなかったし、
貴重なお話を体験者からついぞ聞くこともなかった。
さて、その方は料理コーディネーターで、
出来上がった料理をいかにも美味しそうに見せるのが仕事で、
実際に食うとたいしたことないというか、明らかに不味い。
しかしカメラで撮るとメチャクチャ旨そうに見えるようコーディネートする。
見かけと中身が違う?何とも偶然な一致だが…
PR映像畑を歩んできた私にとって初めて出会うスタッフ(職能者)で、
仕事ぶりには感動すら覚えた。そのまさに油断の隙間に彼が入ってきたのだ。
料理番組は3台のカメラで撮り、撮りながらカメラを切り替えて
一気に完成させる「スイッチング」という技法を用いる。
スイッチングをする部屋は通常、料理を作るスタジオとは別室(サブ)か
中継車で行われるが、私は現場であるスタジオとは離れた別室で
スイッチングをするシステムが大嫌いだった。
そこでスタジオに監督席を作ってもらい
スイッチングはスイッチャーに任せた。
フィルム作品では通常、事前に編集マンが編集をする。
台本に沿いながら撮影した素材で
可能な限り監督のイメージに合う編集をする。
その編集マンにあたるのがスイッチャーで、たいていカメラマンから昇格する。
ならば編集にあたるスイッチングはスイッチャーに任せて、
むしろ私は現場でムードアップ&指示を出すべきだと考えた。
実はこの仕事はAD=アシスタントディレクターの仕事なのだが、
監督まで現場対応するスペシャルサービスとなった。
まぁテレビでは異例ではあったが、私にとっては普通だった。
こうしてスタジオに監督席が作られ、私の横に陣取ったのが、
件の料理コーディネーター氏であった。
(これが件の制作チーム)
気がつくと寄り添うように私のそばにいつもいる。
とはいえ料理コーディネーターの仕事は抜かりなく
テキパキと静かに進める仕事ぶりには今思い返しても敬服する。
ひょっとしたら私は狙われていたのかもしれないし、
かってのトラウマがなければ一線を越えていたかもしれない。
しかしトラウマが私をいつも引き止める。
実はとても悲しいことかもしれないが…トラウマが私を引き止めるのだ。
こうして料理コーディネーター氏とは今でも年賀状を交わす仲であるが
呑みに誘われた事も多々あるが、ご一緒する機会はかなった。
不思議なことに以降テレビ系の仕事は減り、
PR系一本になったことでその手の方との出会いが少なくなった。
あれから30年。テレビ番組ではその手の方の花盛り。
独特の世界観を展開している。可愛いだけのオネーチャンより
修羅場を掻い潜ってきた歴戦の戦士なので、主義主張がしっかりしており、
またオナベさんに比べオカマさんはサービス精神旺盛で、
営業としては学ぶべき事も多いにある。
また機会あればぜひその手のスタッフと仕事を組みたいものだ。
もちろんトラウマを持つ身なので仕事だけだが…(^^)
その手の方も認知されテレビ番組では指定席がある。
私が業界人になった30年前は、まだその手の方は
レジスタンス状態で表にでることはなく、ひっそりと暮らしていた。
私の知り合いの服飾デザイナーさんは、25年くらい前に
西中島南方の女装クラブでメイクのバイトをしていたらしいが、
サラリーマンやら医師といったストレス系に加えて
たまにお相撲さんも来店するなどけっこう繁盛していたと言うが
その手の方々は当時、いたってのアンダーグラウンドだった。
しかし私の業界人スタッフの中には明らかにその手の人とわかる人がいた。
しかも女装などせず男性の姿で堂々と謳歌しておられた。
私が初めてその手の方に出会ったのは大学を卒業して就職した会社の先輩
谷 松雄氏に連れられて行った大阪市北区(通称:キタ)にある歓楽街
東通商店街の一筋北にある堂山町だった。
(ヤバい街・堂山町)
今は十三か福島が主戦場となり、
東通商店街にすら滅多に立ち寄らないので堂山町のことは全くわからないが
当時この一帯はオカマさん、オナベさんの店が集中していた。
ちなみにオカマさんは、戸籍は男性であるが男性を愛する方を指し、
オナベさんは戸籍か女性であるが女性を愛する方を指す。
30年前の私はまだ風俗系には全く疎くウブそのもの、
そんな一帯があるなどつゆ知らず、谷 松雄さんこと松っあんに連れられて
とあるスナックに入った。
店内は薄暗く、入った途端に香水の香りが漂っており
ウブな私はその香りだけで期待感が高まった。
(大学卒で入社した会社の社員野球チーム
私はキャッチャー)
カウンターだけの小さな店で、客は一人もおらず、席に着くと
「いらっしゃ~い♪」とメチャクチャ可愛い女の子が2人、
私と松っあんそれぞれについた。
けっしてデラックスさんやマングローブさんではなく、
はるな愛ちゃん似のかわい娘ちゃんだった。
胸元から見えるパイオツはDカップか?しばらく話すと意気投合したとばかり
腕に絡みついてくる。肘がふくよかな胸に当たる。
しかしその時、私はまだ彼女がその手の方とはツユと知らない。
腕だけではなくミニスカートの細い生脚まで絡めてくる。
次第に話し声は小さくなり、私の耳元に唇をくっつけるようにして
話してくるではないか。やがて
「お店が終わったら一緒に帰らない。商売じゃないのよ、
あたなと一緒にいたいだけ。何か食べに行こっ、私がご馳走するわ」
とかなんとか似たようなことを語りかけられると、
すでに心臓は爆発寸前、血管が膨張し、
脳の血管が間違いなく20~30本まとめてプツンという音と共にキレていた。
こんな事態になり「やった~」と舞い上がるのは私だけではないハズだ。
とはいえ男子たるもの持つべき物は金。
このスナックの料金はひとまず松っあんに任せるとして、
財布の中身を確認せねばと「トイレはどこ?」と尋ねた。
「ついて行ってあげる」とすでに健気な彼女風。
言っておくがこの時点でもまだ私は彼女がその手の方とは知らない。
トイレに到着、入ると鍵がついていない。もしドアが開いて、
財布を出して金勘定をしているところを目撃されると実に情けない。
仕方なく「鍵はどうしてかけるの?」と聞くべく、再度ドアを開けると
なんと目の前に彼女が待っているではないか。
「鍵は?」
「中からかけられないの。ここのトイレは外からかけるのよ」
「?」
「一緒に入ってあげる」
「?」
と戸惑う間に彼女はトイレに乱入。
彼女がドアを閉しめると同時に鍵が閉まる音。
「?」
ドアを開けようにもすでにロックオン!
ただでさえ狭いトイレに二人、密着を通り越し身動きができない。
しかも当時は和式である。
彼女はすかさず便器をまたぐようにして私と向かい合うや否や…
もはや私は蜘蛛の巣に絡まった蝶である。
抵抗して良いのか悪いのかもわからぬまま、しばらく顔中キスの洗礼を受けた。
満足したのか「あっオシッコだったよね」と一声かけるやいなや、
なんと私のチャックを開けて、しっかり握って「シ~コイコイ」と合いの手。
ウブな私は完全に思考不能。キレは悪かったが取り急ぎオシッコを済ませた。
「ハイ、お終い」と私自身をパンツの向こうに収めて、
ズボンのチャックを閉めるといとおしそうに右手でポンポンと叩き、
左手でドアをノックした。するとあら不思議、鍵があく音。
しかも自動ドア?
松っあんについていた彼女がドアの外で拍手でもって出迎えてくれる。
どうやら彼女が施錠と自動ドアの担当だったようだ。
何が何だかわからぬまま席についたが、
その後も彼女の愛の攻撃がゆるむことはなかった。
繰り返すが私はまだ彼女が、その手の人とはツユぞ知らないのである。
もちろん松っあんは知っていた。これは全て松っあんの陰謀だったのだ。
その事を知ったのはそれから五分後のことだった。ついにその時がキタ~。
私の手をそのふくよかな胸に導く彼女。
本当にふくよかだった。マジでふくよかだった。
軽い吐息を私の耳に吹きかけると
虚ろな目つきで私の手をスカートの中に導く。
生脚なので温かさが手のひらに伝わってくる。
そしてついにバンティーに私の手を導く。キタ~!
しかし私の指先はなじみある感触を覚えた。
これはもしやしてオチンチン?握るとやっぱりオチンチン!
私は誰はばかることなく「ギョエ~」と叫んでしまった。
この時初めて私は彼女が元彼?紛れもない彼であることを知ったのだ。
いまだかって自分以外のオチンチンに触れたことはない。
実際はもっと鮮烈な出来事だったが私の娘もこのブログを見ているので
かなりトーンダウンしてここまで話したが、いずれにしても、
他人のオチンチンに触れたことはない。あまりにも衝撃的すぎた(^^;)
それから数年後、私は料理番組の監督をすることになったのだが、
これが最初の「見るからに男だが、心は女の子」という
その手の方に出会うことになる。しかしこれはあくまでも噂の領域で
その方のお世話になったという人物と実際に会うこともなかったし、
貴重なお話を体験者からついぞ聞くこともなかった。
さて、その方は料理コーディネーターで、
出来上がった料理をいかにも美味しそうに見せるのが仕事で、
実際に食うとたいしたことないというか、明らかに不味い。
しかしカメラで撮るとメチャクチャ旨そうに見えるようコーディネートする。
見かけと中身が違う?何とも偶然な一致だが…
PR映像畑を歩んできた私にとって初めて出会うスタッフ(職能者)で、
仕事ぶりには感動すら覚えた。そのまさに油断の隙間に彼が入ってきたのだ。
料理番組は3台のカメラで撮り、撮りながらカメラを切り替えて
一気に完成させる「スイッチング」という技法を用いる。
スイッチングをする部屋は通常、料理を作るスタジオとは別室(サブ)か
中継車で行われるが、私は現場であるスタジオとは離れた別室で
スイッチングをするシステムが大嫌いだった。
そこでスタジオに監督席を作ってもらい
スイッチングはスイッチャーに任せた。
フィルム作品では通常、事前に編集マンが編集をする。
台本に沿いながら撮影した素材で
可能な限り監督のイメージに合う編集をする。
その編集マンにあたるのがスイッチャーで、たいていカメラマンから昇格する。
ならば編集にあたるスイッチングはスイッチャーに任せて、
むしろ私は現場でムードアップ&指示を出すべきだと考えた。
実はこの仕事はAD=アシスタントディレクターの仕事なのだが、
監督まで現場対応するスペシャルサービスとなった。
まぁテレビでは異例ではあったが、私にとっては普通だった。
こうしてスタジオに監督席が作られ、私の横に陣取ったのが、
件の料理コーディネーター氏であった。
(これが件の制作チーム)
気がつくと寄り添うように私のそばにいつもいる。
とはいえ料理コーディネーターの仕事は抜かりなく
テキパキと静かに進める仕事ぶりには今思い返しても敬服する。
ひょっとしたら私は狙われていたのかもしれないし、
かってのトラウマがなければ一線を越えていたかもしれない。
しかしトラウマが私をいつも引き止める。
実はとても悲しいことかもしれないが…トラウマが私を引き止めるのだ。
こうして料理コーディネーター氏とは今でも年賀状を交わす仲であるが
呑みに誘われた事も多々あるが、ご一緒する機会はかなった。
不思議なことに以降テレビ系の仕事は減り、
PR系一本になったことでその手の方との出会いが少なくなった。
あれから30年。テレビ番組ではその手の方の花盛り。
独特の世界観を展開している。可愛いだけのオネーチャンより
修羅場を掻い潜ってきた歴戦の戦士なので、主義主張がしっかりしており、
またオナベさんに比べオカマさんはサービス精神旺盛で、
営業としては学ぶべき事も多いにある。
また機会あればぜひその手のスタッフと仕事を組みたいものだ。
もちろんトラウマを持つ身なので仕事だけだが…(^^)
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