フリーから会社を作るまでの約5年間、
私は円熟味を増し、秀作を連発した。
この時期に私に仕事を依頼したプロデューサーは
本当にラッキーだったと思う。
その32で紹介した住建産業50周年記念DVD
「挑む~50年の歩み、そして未来へ~」は
ドキュメンタリータッチの作品なので、いわば私の十八番である。
どちらかというとドラマ仕立ては好きではない。
私が本を書くとどうしても説明的な会話が多くなり、遊びが少なくなる。
本来ドラマ仕立ては主人公の感情のきびが
少しでも入っていないとコントになってしまう。
制作時間の関係でいうと、その部分をカットするしかない。
で、ドキュメンタリードラマ(ドラマと証言などの融合形)になってしまう。
しかし脂が乗り切った私は怖いもの知らず!
50分近いドラマ仕立てのビデオもこの時期に監督している。
依頼先は㈱クボタ。農業機械をお客さま宅に持ち込んで、
庭先で実演試乗体感してもらう「庭先実演の仕方」をドラマ仕立てで制作し
セールストークや、そのやり方をビデオのまま真似て行なってください
という教育用ビデオである。
監督・脚本は私、カメラマンは河西 秀樹氏、
助監督には第2号社員の岡 由希子をチーフ助監督にし
森田 康貴をセカンドにしたかったのだが、森田の入社で岡は退社してしまい、
代わりに梶山 高子が入社したので、森田をチーフ助監督にし
梶山をセカンドに起用した。
しかし、マンの悪い事に森田と梶山はこの作品を通じて恋仲になり、
制作の翌年には結婚、寿退社となる。森田にはこの作品を通じて
終生「業務上横領」の汚名が付きまとうことになる。
(河西カメラマンと私)
この作品では私はプロデューサーも兼務しており、
役者は関西芸術座からキャステイングし、移動車やクレーンまでも使い、
ロケは1日追加し、計6日の大判振る舞いとなった。
利益率は超低かったが、当社若手の大きな勉強にもなるし、
私も今後徐々に現場に出る事が少なくなるという悲しさもあり、
「好きでないドラマ仕立てでも十分に堪能するぞ!」とばかり、
思いの限りを尽くして頑張ってしまった。
(移動車による撮影で指示する私)
というのは言い訳で、会社である限り利益を出さなければならない。
プロデューサーと監督が兼務になると、
監督寄りになってしまい、予算以上に奮発してしまい
低利益率の作品を作ってしまうことになる。
それでいい作品ができればよいが
往々にして自己満足ということも多々ある。
石原 裕次郎しかり、勝 新太郎しかり、黒沢 明しかりである。
儲けるためにはプロデューサーと監督は分業にしなければならない。
しかし、当社は社長の私が監督であり、同時にプロデューサーも兼務する。
よって、多くの倒産したプロダクション同様、
当社は「いいものを作りたい」と過剰サービスをしてしまい
倒産の危険といつも隣合わせでになってしまう。
お客さまからは「プランシードに頼むと良いものを作ってくれる」と言われ、
仕事もそこそこいただいている。
中には「御社はいつも忙しいね。儲かってしゃ~ないやろ」と言う方もいるが
私はこのかた、外車を所有したこともないし、ゴルフ三昧もない。
ギャンブルも一切やらないし、夜のクラブ活動もほとんどない。
なのに「儲かって仕方ない!」という悲鳴を上げた事はない。
結局、1作品に時間をかけ過ぎ、投資し過ぎ(予算オーバー)なのだ。
発想だけではいいものは出来ない。いいものを作るには時間とお金がかかる。
当社が「いいものを作るね」なんて言われているのなら、
やはり時間とお金をかけているからに他ならない。
でも私は社長である前に監督なのだから、それでもいいと思っている。
しかし、社員はたまったものではない。やはり家を建てたいだろうし
外車にも乗りたいだろう、夜のクラブ活動もしたいはずである。
(私は上記でいえば少なくともご指名付、同伴付のクラブ活動はしたい
と切望している)
となると私はできるだけ早く引退し、儲かる会社になるよう後身に
会社をゆだねなければならない。この作品を通じて私は痛感した。
にもかかわらず、私は内心「出来は上々」に満足してしまう。
そこで、このビデオにマニュアルを付けることを追加提案した。
もちろんマニュアルの出筆は私がするので、
ビデオの赤字をほんの少しだけ穴埋めできる。
こんなことを会社設立以来16年も続けてきた。
さすがにヤバいと思い、2009年、会社名を㈱プランシードに改め
取締役に森田 康貴を起用し、同時に次期社長に指名した。
現在、3年が経ち、一向に森田取締役が締まらないので、
来年は違う手を打たなければならないと、
エコ節電で暑苦しくてたまらない会社でウダウダと熟考するのであった。
私は円熟味を増し、秀作を連発した。
この時期に私に仕事を依頼したプロデューサーは
本当にラッキーだったと思う。
その32で紹介した住建産業50周年記念DVD
「挑む~50年の歩み、そして未来へ~」は
ドキュメンタリータッチの作品なので、いわば私の十八番である。
どちらかというとドラマ仕立ては好きではない。
私が本を書くとどうしても説明的な会話が多くなり、遊びが少なくなる。
本来ドラマ仕立ては主人公の感情のきびが
少しでも入っていないとコントになってしまう。
制作時間の関係でいうと、その部分をカットするしかない。
で、ドキュメンタリードラマ(ドラマと証言などの融合形)になってしまう。
しかし脂が乗り切った私は怖いもの知らず!
50分近いドラマ仕立てのビデオもこの時期に監督している。
依頼先は㈱クボタ。農業機械をお客さま宅に持ち込んで、
庭先で実演試乗体感してもらう「庭先実演の仕方」をドラマ仕立てで制作し
セールストークや、そのやり方をビデオのまま真似て行なってください
という教育用ビデオである。
監督・脚本は私、カメラマンは河西 秀樹氏、
助監督には第2号社員の岡 由希子をチーフ助監督にし
森田 康貴をセカンドにしたかったのだが、森田の入社で岡は退社してしまい、
代わりに梶山 高子が入社したので、森田をチーフ助監督にし
梶山をセカンドに起用した。
しかし、マンの悪い事に森田と梶山はこの作品を通じて恋仲になり、
制作の翌年には結婚、寿退社となる。森田にはこの作品を通じて
終生「業務上横領」の汚名が付きまとうことになる。
(河西カメラマンと私)
この作品では私はプロデューサーも兼務しており、
役者は関西芸術座からキャステイングし、移動車やクレーンまでも使い、
ロケは1日追加し、計6日の大判振る舞いとなった。
利益率は超低かったが、当社若手の大きな勉強にもなるし、
私も今後徐々に現場に出る事が少なくなるという悲しさもあり、
「好きでないドラマ仕立てでも十分に堪能するぞ!」とばかり、
思いの限りを尽くして頑張ってしまった。
(移動車による撮影で指示する私)
というのは言い訳で、会社である限り利益を出さなければならない。
プロデューサーと監督が兼務になると、
監督寄りになってしまい、予算以上に奮発してしまい
低利益率の作品を作ってしまうことになる。
それでいい作品ができればよいが
往々にして自己満足ということも多々ある。
石原 裕次郎しかり、勝 新太郎しかり、黒沢 明しかりである。
儲けるためにはプロデューサーと監督は分業にしなければならない。
しかし、当社は社長の私が監督であり、同時にプロデューサーも兼務する。
よって、多くの倒産したプロダクション同様、
当社は「いいものを作りたい」と過剰サービスをしてしまい
倒産の危険といつも隣合わせでになってしまう。
お客さまからは「プランシードに頼むと良いものを作ってくれる」と言われ、
仕事もそこそこいただいている。
中には「御社はいつも忙しいね。儲かってしゃ~ないやろ」と言う方もいるが
私はこのかた、外車を所有したこともないし、ゴルフ三昧もない。
ギャンブルも一切やらないし、夜のクラブ活動もほとんどない。
なのに「儲かって仕方ない!」という悲鳴を上げた事はない。
結局、1作品に時間をかけ過ぎ、投資し過ぎ(予算オーバー)なのだ。
発想だけではいいものは出来ない。いいものを作るには時間とお金がかかる。
当社が「いいものを作るね」なんて言われているのなら、
やはり時間とお金をかけているからに他ならない。
でも私は社長である前に監督なのだから、それでもいいと思っている。
しかし、社員はたまったものではない。やはり家を建てたいだろうし
外車にも乗りたいだろう、夜のクラブ活動もしたいはずである。
(私は上記でいえば少なくともご指名付、同伴付のクラブ活動はしたい
と切望している)
となると私はできるだけ早く引退し、儲かる会社になるよう後身に
会社をゆだねなければならない。この作品を通じて私は痛感した。
にもかかわらず、私は内心「出来は上々」に満足してしまう。
そこで、このビデオにマニュアルを付けることを追加提案した。
もちろんマニュアルの出筆は私がするので、
ビデオの赤字をほんの少しだけ穴埋めできる。
こんなことを会社設立以来16年も続けてきた。
さすがにヤバいと思い、2009年、会社名を㈱プランシードに改め
取締役に森田 康貴を起用し、同時に次期社長に指名した。
現在、3年が経ち、一向に森田取締役が締まらないので、
来年は違う手を打たなければならないと、
エコ節電で暑苦しくてたまらない会社でウダウダと熟考するのであった。
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