株式会社プランシードのブログ

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その111.本村勝彦師逝く

2013-10-25 14:07:37 | 制作会社社長の憂い漫遊記
本村氏の危篤を知ったのが10月21日。
そして今日10月24日、悲報が届いた。
本村師とは、私が大学2年生の時、バイト先の「実宣」で出会った。
当時本村師は制作部長で、アルバイトである私を高く評価してくださり
「実宣」の大クライアントであった「グリコ」のPRスライドの
演出・脚本に指名していただいた。
まだPRの何たるかも理解していなかったが
アイスクリームをビキニのお尻の後ろに隠し持ち、
彼氏に渡すシーンを撮影した。
当時としてはありえないシーンはあえなくボツとなったが
すでに40歳を超えていた本村師は、撮影スタジオで何も言わず、
嬉々として見ていたのを覚えている。
「実宣」はPRスライドの制作会社で、
もしここで私が本村師と出会わなければ
私は映画かTVの世界、もしくは親父の跡目を継ぎ
大工になっていたかもしれない。
私がPR界に身を置くことになり、
PR界にいくばくかの影響を与えることになったのも
師との出会いがあったからに他ならない。

師は北海道出身で大阪で高校の教師となり、実宣に転職した。
元教師で、文章には長けていたとはいえ、
1日に2本のPR台本を書く才能豊かな方だった。
当時はPCなどなく、自筆の台本の文字は達筆だった。
北海道出身でスキーが好きとのことで、神鍋にスキーツアーに繰り出したが
直滑降のみの荒業!
理由を聞くと「学校は自宅から山を一つ越えたところにあり、
スキー板を持って山頂まで登り、あとは直滑降で下るだけ。
止まったところが学校の校庭だったので、
スキーは大好きだが直滑降しかできない」という。
神鍋のボコボコゲレンデでも猛スピードで駆け下り、
ついに骨折と相成った。
ギブスがはずれるまでの間は、
「グリコ」PRスライドで意気投合した
「国際放送録音」の山城日出男氏と交代交代で、
本村師の自宅のある今田町(現篠山市)まで車で、
しかも泊りがけで送り迎えした。
師は釣りも大好きで、白浜まで車を飛ばして船釣りを楽しんだ。
付き人は、ほとんど山城日出男氏だった。


 山城氏の要請で若手ナレーターに講義する私

師は2年後、大学卒業後の就職先として私に「実宣」に留まることを勧めたが
私は師の誘いを断った。
私は、スライドではなく当時出始めたビデオを選んだが
同じPRの世界に進むことにした。
以降、5年くらい前までは山城氏を介して近鉄上六で昼酒をよく飲んだが
本村師から仕事の依頼は結局1度もなかった。
しばらくして本村師は「実宣」をやめて自分で会社を興し、
現役を続けたが数年前、後身に跡をゆだねて、今田町に引っ込んだ。
それ以来、山城氏を介して噂はお聞きしていたが
上六で呑むこともなくなった。

どんなに優秀でも、どんなに熱い想いがあっても
働いたときに出会う先輩、上司が尊敬に値しない人であれば
どんなに熱い想いも徐々に萎んでしまう。
でも尊敬できる熱い人に出会うことができれば、たいていうまくいく。

本村勝彦師は私にとって、社会で仕事をして初めて出会った
尊敬に値する人であった。
師に出会わなければ萎んだ人生を歩んでいたかもしれない。
本当にありがとうございました。
ご冥福を祈ります。

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