<ポンタの東北紀行 第二回(気仙沼 2)>
気仙沼の二日目は朝から晴れて、きれいな日の出を見ることができた。
[ホテルから見た気仙沼港の日の出。大島の亀山の方角から日が昇る。]
せっかく早起きしたので、震災から復旧したばかりの露天風呂に行くことにした。このホテルは地元の人達にも500円で温泉を解放しており、温泉のロビーには仮設の人達など沢山の人のお礼の言葉が張り出してあった。
[眼下に港が広がる露天風呂。地元の人達も時々ここで心身ともに癒されているのだろうなぁ…復興支援の形には本当にいろいろな物がある…と、感慨にふけりながらのいいお湯でした。]
食事を済ませ、迎えに来てくれた知人とまず南気仙沼に向かう。この地区はほぼ全域が平地であったため、津波に大きく呑み込まれ、地元の人でも南気仙沼の駅がどこにあったのかさえわからない位の甚大な被害を受けた。
[南気仙沼地区に入ると、そこにはどこまでも何も無かった…]
[転々と残る鉄骨だけの建物が、津波のとてつもないパワーを感じさせる…]
[言葉が、出ない…]
[震災から10ヶ月。津波に残された海水に小魚が繁殖したのか…渡り鳥がえさをついばんでいた…衝撃的だ]
続いて、港の北側に当たる浜町・錦町地区に向かう。ここは鹿折川沿いの細長い三角州の形をしているため、奥に向かって津波にくさびを打ち込まれたように、やはり広い範囲が被災した。
[ 「鹿折唐桑駅」のバス亭には、電車ではなく大型船が横たわっていた。 ]
[水産加工工場が沢山あった地域だが、大型の建物以外はほとんど流され、漁船が打ち上げられたままだった。]
[一軒だけ取り残されたように残っていた民家。しっかりしたコンクリートの土台が、津波に耐えたようだ。]
[家はすべて流されてしまった中で、真っ白な土蔵だけが残っていた。この周辺も砕石を積み上げて道を作っていたが、未舗装のまま。]
ふと、被災地の写真を取る枚数が時間の経過とともに減っていくのに気が付いた。どこにカメラを向けても、空き地・瓦礫・壊れた建物…とファインダーのなかの風景が同じというのが理由ではない。
元の街並みをまったく知らないポンタでも、その場所で生活していた人達の様々な名残り・吹き抜ける風・匂いなどを通して目の前の見えない街並みが五感で感じられるような奇妙な感覚を味わっていた。
震災当時の瓦礫の山はだいぶ片付いて、基礎だけの空き地が目立つ。復興はまだまだ先の事かもしれないが、遠い昔ただの草原や空き地だったこの地に人々は家を建て町を作り上げた…またいつの日か、きっと人間はこの地に沢山の人が行きかう街並みを作り上げるだろう…人間てすごいなぁ…などという感慨にふけっていたためだ。