日常のことばたち

時々落ち込むこともあるけれど、いまを生きるんだ。

そんな気がしないか?

2007-07-10 23:56:44 | 日常
今日も酔ってます。



今日は仕事を終えて、月に一度の病院の日。

主に近況の報告。

「仕事もしながら、たまに友人らと飲んでます。最近は結婚した友人が増えて、子どもが生まれた友人も多くなりました。」

そしたら、

「そんな日常の中で、あなたにも素敵な人が現れるといいですね」

と先生は言ってくれた。

やっぱり心配してくれてんだな。

ひとりでいることを。

「支えてあげて、支えてもらえるような、対等な人がいいですね。無理にとは言いませんが、自然と現れることを祈っています。」

とりあえず、笑っといた。( ´ー`)



「死んだものが望むのは、生きているものの幸せ」

と、どっかの本に書いてあったな。

おれがあいつの立場なら・・・

ふむ・・・

確かにそうかもしれないな。



「今を生きる」



おれの卒論のテーマだったな。

どんな大学生だったんだ?おれ?

卒論が、今のおれに、難題を問いかけているようだ。

生意気な。

まあ、そんなことはスルーして、いつものように、のらりくらり生きていくんだろうけども~。



それに関係するかどうかわからんけど、

今日の仕事の休憩中に、ガンの話が出てきたので、ガンについて考えてみた。

余談だけど、私はガン保険に入っている。

もし末期ガンと診断されて、余命を宣告されたら?

まず、予め用意してある、必要最低限の連絡網にて、状況の説明を行なう。

もちろん、このブログでも。(入院しても、こっそり携帯持ち込んで更新してるかもしれんな・・・w)

そして、人生設計をしていたときによくやっていた、逆算を行なう。

余命3ヶ月前までに何々をするか。

2ヶ月前。

1ヶ月前。

1週間前。

没。



残り1週間は昏睡状態かもしれんから、それまでに何ができるのかを頭をフル回転させて考える。

そして実行する。

独自のネットワークをフルに活かす(はず)。



延命治療は、経過を見て判断する。

ガン治療には、お金がかかるし、

歯医者みたいに、混合診療はできんから。

延命治療を施して、1秒でも生き長らえるか。

苦痛を考慮して、やめるか。



そして訪れるのは、モルヒネでも抑えきれないほどの痛みと緩やかな死。



最悪なパターンを想定する。



ふむ。



やるだけやって、だめだったら、まあしょうがない。

皆にはそう受け止めてもらおう。

自分としても、異議はないだろう。

なるべくしてなった結果。

それも運命として受け入れるだろう。



・・・



生きると死ぬは、となり合わせ。

生きながら、死んだときのことを想定するのは変ではない。

ただ、孔子は弟子たちに、死の問題に触れぬように諭したという。

それは、孔子の『論語』の中にある、

『未だ生を知らず 焉(いずく)んぞ死を知らんや』

からも見てとれる。

生の意味も知らないのに、まして死の意味など知ることができようか。(いや、できない)



「考えてもしょうがねーよ。」



とも聞こえる。

極論、そのとおり。



どんなに真面目な話でも、

最後に「なーんちゃって」をつけると、

それ以前の話はすべて冗談のように聞こえる。

確かこれ、高校の現代文に出てきたな。

これに似ている。



そういうことなんだろうなぁ。



結局は、

なるべくしてなる。

なるようにしかならない。

ということなんじゃないだろうか。

それは、すべての運命のカラクリが働き、そして、おのおのの努力を怠ってはならない。

ということが言えるだろう。

「どうせすべての運命が決まってるなら、努力したって無駄じゃん~」

ってなっちゃうから。

努力の過程が結果に結びつくことになってるから、努力は必要。

人って難しいわ。



なんか疲れた。

多分、ここまで、さっきの文と合ってるはず。

眠たい・・・



つまりは、どんなに考えても、それは確率の実験家になってしまう。

あーすればこーなるし、こーすれば、あーなるし。

考えすぎて、一歩も歩けなくなる。

そして破局を迎える。



考えるのもいいけど、歩いてみないとわからないことがある。

人には破局に対する防御機能が備わっていると考える。

それがどんな方法で、どんな時に働き、どんな結果をもたらすのかわからないけど。

おそらく本能で、知っているはず。

でなきゃここに生きておらんだろう。



生きているだけでも十分、奇跡だわ。

「未来は明るいか?」

と聞かれれば、

「いや」

と答えるが、

すぐその後に、

「まだわからん」

と続けるだろう。



最後に、なんで酔ってるかというと、

冷蔵庫に缶チューハイ1本、白ワイングラス1杯分、赤ワイングラス1杯分が残っていたから。

ただ、それだけ。



あぁ!最後の最後に、もうひとつだけ。

1年後はわからんが、とりあえず明日は生きてるだろう。

そう思って、毎日生きていくんだろうな。

それが3日、1週間、1ヶ月、365日続き、2年、3年、5年、10年、20年・・・

ロウソクの火が燃え尽きるように。

緩やかに、ゆっくりと、確実に。

燃え尽きる前に火が消えたら、

二度と火をつけることは叶わんがな。

それでも溶けたロウソクはそこに存在した。

それが認識できれば、溶けたロウソクは模倣子となって、自分や誰かの中で生きていくだろう。

そんな気がしないか?