「まえ、なんでいーへんかってん?」(Mさん)「会議やってん。ごめんな。」(私)「会議なんかサボりや!」(Mさん)「ほんまやなぁ。そうやなぁ。たまには、さぼらななぁ…」(私)。Mちゃんに言われると何故か率直に「そうやなぁ」といってしまうのです。
Mさんは以前、スタッフのKさんに「おしごとがんばってください」と2通ものお手紙をくれた小学6年の彼女です。5年の頃は関わりたいという気持ちは十分にあるのに、うまくコミュニケーションがとれず叩いたり、乱暴なことばを吐いたりして相手の気持ちを引き寄せるというコミュニケーションの仕方でした。
このごろ、とても穏やかな表情になったねとみんなで話し合っています。春休みになって、叩いたりしないで自分からどんどん話しかけてきます。
特にお友だちが少ないときはスタッフとお話が出来るので嬉しいようです。その上に、お話だけでなく小集団だと、こんな遊びにも参加できました。彼女は苦手意識がとても強くて、それが遊びでも「できる・できない」というか「できる」ことでも構えて引っ込んでしまうところがありました。そうした裏返しとして強がりのことばや乱暴な行動も見られたのかもしれません。
一枚目の写真は最近流行の「ゴムとび」です。出来る子はお腹くらいのところを飛んでしまうので、彼女は一度は引っ込みました。いろんな子がゴムに引っ鰍ッたり、低くしたり、飛べなかったりするのを見ながら、勇気をふりしぼって飛んだときの写真です。
仲間の中で、5センチのゴムの高さから「やったぁー!」感も「いい失敗も」積み重ねて、ゆっくり時間をかけて自己肯定感の回復を図ることがとても大事な課題だと考えています。
彼女はこの春から特別支援学校に入学するそうです。私たちにも少し嬉しそうに話してくれました。そのこともあってホッとした表情もみせてくれているのかもしれないですね。
子どもたちの姿を見るにつけ、周りに合わせてばかりではなく、「自分への自信や意欲をもてる」経験、「安心して失敗できる」居場所となる集団や活動がもっと保障される必要があると思います。健常児の中で「ギリギリまで頑張らせます」「やれるところまでやらせてみます」というご家族の気持ちも理解できます。「可能性」の追求をしながらも発達状況や教育的な配慮=「適切性」についても留意したいものですね。国連「障害者の権利条約」でいうところの「合理的配慮」がない教育は権利侵害=差別であるという厳しい指摘がされています。
結局のところ、子どもに合った適切な教育が保障されなかったら、原点(到達点)に立ち返った「再教育」が必要になってくるのではないでしょうか。
相撲も「やっていいのかな?」「やっちゃえ」という感じで終わりの方で参加してきました。これから3回でも4回でも「もう一回!」とばかりに楽しんで欲しい。
今日からやってきたSくん。見学に来たときには「ウオー!」と叫びながらプレールームの棚からオモチャを全部出してひっくり返し、走り回っていました。私たちも少し身構えて迎えました。
でも、今日はしばらくするととても落ち着いて遊びの中に入ってきました。パンツ一つで嬉しそうにしこを踏んでいる相撲のいい写真があるのですが、想像してみてください。彼の真摯な姿勢に着ぐるみ姿の私の方が恥ずかしくなりました。本格的というか半端ではなんですよね。
砂場では友だちとせっせと水を運んで穴を掘り、ついには靴・ズボンごとドボンと飛び込みました。やることは少しとっぴな面があるけど、何故か憎めない子どもらしい笑顔で遊ぶ姿が気持ちよかったです。ぽぽろならではの光景かもしれません。
Mさんは以前、スタッフのKさんに「おしごとがんばってください」と2通ものお手紙をくれた小学6年の彼女です。5年の頃は関わりたいという気持ちは十分にあるのに、うまくコミュニケーションがとれず叩いたり、乱暴なことばを吐いたりして相手の気持ちを引き寄せるというコミュニケーションの仕方でした。
このごろ、とても穏やかな表情になったねとみんなで話し合っています。春休みになって、叩いたりしないで自分からどんどん話しかけてきます。
特にお友だちが少ないときはスタッフとお話が出来るので嬉しいようです。その上に、お話だけでなく小集団だと、こんな遊びにも参加できました。彼女は苦手意識がとても強くて、それが遊びでも「できる・できない」というか「できる」ことでも構えて引っ込んでしまうところがありました。そうした裏返しとして強がりのことばや乱暴な行動も見られたのかもしれません。
一枚目の写真は最近流行の「ゴムとび」です。出来る子はお腹くらいのところを飛んでしまうので、彼女は一度は引っ込みました。いろんな子がゴムに引っ鰍ッたり、低くしたり、飛べなかったりするのを見ながら、勇気をふりしぼって飛んだときの写真です。
仲間の中で、5センチのゴムの高さから「やったぁー!」感も「いい失敗も」積み重ねて、ゆっくり時間をかけて自己肯定感の回復を図ることがとても大事な課題だと考えています。
彼女はこの春から特別支援学校に入学するそうです。私たちにも少し嬉しそうに話してくれました。そのこともあってホッとした表情もみせてくれているのかもしれないですね。
子どもたちの姿を見るにつけ、周りに合わせてばかりではなく、「自分への自信や意欲をもてる」経験、「安心して失敗できる」居場所となる集団や活動がもっと保障される必要があると思います。健常児の中で「ギリギリまで頑張らせます」「やれるところまでやらせてみます」というご家族の気持ちも理解できます。「可能性」の追求をしながらも発達状況や教育的な配慮=「適切性」についても留意したいものですね。国連「障害者の権利条約」でいうところの「合理的配慮」がない教育は権利侵害=差別であるという厳しい指摘がされています。
結局のところ、子どもに合った適切な教育が保障されなかったら、原点(到達点)に立ち返った「再教育」が必要になってくるのではないでしょうか。
相撲も「やっていいのかな?」「やっちゃえ」という感じで終わりの方で参加してきました。これから3回でも4回でも「もう一回!」とばかりに楽しんで欲しい。
今日からやってきたSくん。見学に来たときには「ウオー!」と叫びながらプレールームの棚からオモチャを全部出してひっくり返し、走り回っていました。私たちも少し身構えて迎えました。
でも、今日はしばらくするととても落ち着いて遊びの中に入ってきました。パンツ一つで嬉しそうにしこを踏んでいる相撲のいい写真があるのですが、想像してみてください。彼の真摯な姿勢に着ぐるみ姿の私の方が恥ずかしくなりました。本格的というか半端ではなんですよね。
砂場では友だちとせっせと水を運んで穴を掘り、ついには靴・ズボンごとドボンと飛び込みました。やることは少しとっぴな面があるけど、何故か憎めない子どもらしい笑顔で遊ぶ姿が気持ちよかったです。ぽぽろならではの光景かもしれません。