大前研一「日本人が知らない日本の歴史」について、話をしよう【前編】
歴史は、嘘をつく。なぜなら人間の歴史は戦争の歴史であり、歴史は勝者によってつくられるからだ。第二次世界大戦の敗戦国となった日本に何が起きたのか。そしてどのような負の遺産が、今日に至るまで残されているのか。大前研一氏に、語ってもらった。
▼そもそも歴史は捏造されるもの
ことあるごとに日本は中国や韓国から「正しい歴史認識を持て」と非難されるが、日本が一方的に責め立てられるほど中国や韓国の歴史認識が正しいわけではない。歴史認識が正しくできていないのはあらゆる国にいえる。
そもそも歴史は捏造されるものだ。それぞれの国の為政者が都合のいいように歴史を捏造して、国民教育にも利用してきた。歴史認識を擦り合わせようとすれば、相手がどういう歴史を学んできているのかを知り、自分が学んだ歴史と突き合わせなければならない。歴史を遡ってどこから認識に齟齬が生じて、そこにどのような捏造が加えられたのかを検証し、相手に認めさせられるかどうかは極めて重要だが、日本はこの方面がことさら弱い。
自己主張を美徳としない国民性もあってか発信力や表現力が乏しいうえに、短いスパンで内閣がコロコロと代わるのもよくない。首尾一貫したアプローチが継続的にできないために、時間の経過とともに歴史問題が日本に不利に働いているのだ。日本の立場を世界に向けて雄弁に語れる政治家がいれば、日本人は右傾化しないと私は思う。海外の文化や技術を積極的に取り入れ、世界の市場から原材料を調達し、世界の市場で商品を売ってきた国なのだから、右傾化する理由がない。日本の政治の貧しい外交力、発信力と自己表現力の乏しさが、ここにきて日本人の右傾化を加速しているのではないか。
いつかきた道にならないためにも、今日に大きな影響を及ぼしている近現代史、特に戦後史というものを日本人は学び直して再構築する必要があると私は感じている。日本人の多くが歴史認識を誤っている部分もあるし、関係国が誤認している部分もある。それらを正して戦後史を再構築しなければ日本は過去に足をすくわれて前に進めないし、近隣諸国との関係も動かせない。
自己の正当性を主張して相手を非難するばかりでは、歴史問題の解決は期待できない。虚心坦懐に互いの歴史認識に踏み込んで、認識ギャップが生じた理由を相互検証し、白紙の年表に共通の歴史を書き込んでいくことが解決の鍵になると思う。
大前の視点[1]
ヤルタ会談の米ソ密約が領土問題の元凶
まず日本の歴史認識の問題として、ロシア(旧ソ連)との関係を取り上げる。日本政府は北方領土を「日本固有の領土」として返還運動を行ってきた。そのため日本人の多くは、日ソ中立条約があったにもかかわらず、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した後にソ連軍が侵攻を続け、北方領土を不法に占拠し、以来、実効支配しているのだ、と思い込んでいる。しかし史実は異なる。
連合国側で戦後の対日政策が最初に話し合われたのは、第二次大戦中の1943年に開かれたカイロ会談で、出席したのはルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、そして蒋介石中国国民政府主席の3首脳。日本の無条件降伏、日本軍が占領した太平洋の島々の剥奪、満州、台湾、澎湖島の中国返還、朝鮮独立などを盛り込んだカイロ宣言が発せられて、これが後のポツダム宣言につながっていく。
その後、1945年2月のヤルタ会談において戦後処理問題が本格的に話し合われることになるのだが、ドイツの分割統治やポーランドの国境策定などテーマの中心はヨーロッパの戦後処理だった。対日政策については、ヤルタ会談に先立ってルーズベルト米大統領、スターリンソ連共産党書記長、チャーチル英首相の間で秘密協定が交わされている。それがヤルタ会談で「ヤルタ協定」として取りまとめられた。
スターリンが主張したのは南樺太の返還と千島列島の領有で、ルーズベルトはこれを認める見返りとしてスターリンに日ソ中立条約の破棄と対日参戦を求めた。実は、ルーズベルトは日米開戦当初から何度もソ連に対日参戦を要請してきた。スターリンは日ソ中立条約を表面上は守ってきたのだが、ヤルタ協定でドイツ降伏後2カ月ないしは3カ月というソ連の対日参戦のタイミングが決まった。
ドイツが無条件降伏したのは1945年5月。その3カ月後の8月8日にソ連は日本に宣戦布告(日ソ中立条約は4月5日に不延長を通告)して、ソ連軍は満州、南樺太、朝鮮半島に進攻。千島列島に到達したのは日本がポツダム宣言を受諾した8月14日以降。
したがって、ソ連が日ソ中立条約を破って南千島を不当占拠したという日本政府の言い分は当たらない。戦争はすでに終わっていて、日本は「無条件」降伏をしていたのだ。満州および南樺太、千島列島に対するソ連の出兵がアメリカの強い要請によることは明白だし、北方四島を含む千島列島を「戦利品」としてソ連が得ることをアメリカは認めていた。日本固有の領土、というなら、ロシアに対して主張するのではなく、アメリカに対して“取り消し”を迫らなくてはならない。
実は当時、スターリンは北海道を南北に割って北半分をソ連が占領することを求めた。もし米大統領がルーズベルトのままだったら、実現していた可能性もある。しかしドイツ降伏直前にルーズベルトは病死、後を受けたトルーマンはスターリンの要求を拒絶、戦勝権益として代わりに南樺太の返還と南クリル(北方四島)を含めた千島列島の領有をソ連に提案したのだ。
こうした経緯を日本人はほとんど知らされていない。ただし、政府・外務省はよくわかっていて、戦後10年以上、北方領土の返還を求めてこなかった。それどころか1951年のサンフランシスコ講和条約において、早期講和のために日本は千島列島の領有権を一度放棄している。
▼日ソ関係の修復をアメリカは警戒した
これを翻して、「放棄した千島列島に北方四島は含まれない」との立場を日本政府が取るようになったのは、日ソ共同宣言が出された1956年のことだ。サンフランシスコ講和条約にソ連はサインをしていない。したがって日ソの国交正常化は日ソ共同宣言によってなされるが、このとき平和条約を締結した後に歯舞、色丹の二島を日本に引き渡す二島返還論で両国は妥結寸前まで交渉が進んだ。
しかしアメリカがこれに難色を示す。東西冷戦が過熱する状況下で、領土交渉が進展して日ソ関係が修復することをアメリカは警戒したからだ。1956年8月に日本の重光葵外相とダレス米国務長官がロンドンで会談した際、ダレスは沖縄返還の条件として、ソ連に対して北方四島の一括返還を求めるよう重光に迫った。
当然、当時の状況下で四島一括返還の要求をソ連が受け入れるわけもない。結局、平和条約は結ばれず、同年10月に署名された日ソ共同宣言(12月発効)では領土問題は積み残された。いまでは四島一括返還が日本人の宿願であるかのように刷り込まれているが、そもそもの発端は(日本とソ連を割くための)アメリカの嫌がらせなのだ。
大前の視点[2]
封印された問い「なぜ対米従属が永久に続くのか」
日米関係というのも不思議な関係である。我々はサンフランシスコ講和条約の締結をもって、日本が独立国になったと教えられてきた。しかし、「日本は本当に独立国家なのか」という問いかけは、多くの日本人の喉元にずっと引っかかっている。
占領下と変わらずに今も米軍基地が日本全国に置かれて、しかも土地使用料をアメリカからもらうのではなく思いやり予算として駐留経費まで日本が負担している。占領軍が残していった憲法をそのまま後生大事に守っていて、しかも共産党や旧社会党のように反米思想を持った勢力が、その憲法を守り抜こう、という倒錯した関係がある。
民主党政権時代、「日米中正三角形」という米中等距離の外交方針を掲げた鳩山由紀夫首相に対してオバマ大統領が面会を拒否するほどアメリカは激怒した。なぜ日本はアメリカの後ろを自動的についていくだけの追従外交しか許されないのか。なぜ他国に接近するとアメリカから叩かれるのか。世界に例がないほど自由に使える米軍基地が半ば永続的に維持されているのはなぜか。どうして自国の憲法を変えられないのか――。こうした疑問に日本の歴史の教科書は何も答えてくれない。
独立国家の日本にアンタッチャブルの米軍基地と軍事力が既得権のごとく存在し続ける理由を正当化するドキュメントを、我々は見たことがない。サンフランシスコ講和条約を読む限りはそれにはまったく触れていないし、日米安保条約にも書かれていない。
▼戦後15年間の「歴史の空白」
安倍晋三内閣が閣議決定した集団的自衛権はアメリカの20年来の要望である、とされているし、これが日米ガイドラインの基になる、といわれている。しかしアメリカ議会ではこれによって日本が世界のどこでも米軍指揮下で参戦できるので国防予算が助かる、と歓迎されていることが日本ではまったく報道されていない。そうした対米永久従属、という合意が記された外交文書がどこかに存在するのかもしれないが、日本国民には知らされていない。世界史の中でも希有な「無条件降伏」にそれが含まれているのかもしれないが、国民にはいっさい説明がない。
前述の北方領土問題にしてもそうなのだが、食うに困っていた戦後15年間ぐらいの期間、日本人の歴史認識はほとんど空白に等しい。どんな戦後処理が施されたのか、何も知らないまま、知らされないまま、事態は進行して、気づいたときには冷戦構造の中でさまざまなことが固定化された。戦後15年の空白の歴史認識を正しく再構築する作業は、日本の真の独立のために必ず必要だと私は思っている。
大前研一「日本人が知らない日本の歴史」について、話をしよう【後編】
冷戦へ、堪忍袋の緒が切れた習政権
中国市場で急失速する現代自動車
歴史は、嘘をつく。なぜなら人間の歴史は戦争の歴史であり、歴史は勝者によってつくられるからだ。第二次世界大戦の敗戦国となった日本に何が起きたのか。そしてどのような負の遺産が、今日に至るまで残されているのか。大前研一氏に、語ってもらった。(前編の続き)
大前の視点[3]
尖閣問題の裏に自民党政権の密約外交がある
「わが国固有の領土」という言い回しをよくするが、「古来、誰のものか」という議論では領土問題は解決しない。そんなことをいっていたら、アメリカの土地はネーティブアメリカンに返さなければならないし、ヨーロッパのほとんどの国が細胞分裂してしまう。
尖閣諸島の領有権について日本政府は日清戦争の2年目、1895(明治28)年に閣議決定によって日本の領土に編入したことを根拠にしている。しかし国会決議ならまだしも、国際社会に発信もしていない一内閣の閣議決定を領土画定の根拠にするのは無理があるだろう。近代以前に遡れば、明の時代に中国船の航路の目印に使われていたり、台湾の漁民が漁場にしていたことを示すような証拠もある。尖閣諸島を沖縄の属島と見ても、「琉球王朝を日本が無理矢理併合した」と中国では教えられているわけで、「日本固有の領土」という日本の歴史認識は相当に怪しい。とはいえ、中国が尖閣諸島の領有権を主張するようになったのは、海洋調査で周辺海域に豊富な石油資源が眠っていることがわかった1970年前後からだ。
▼知らされなかった棚上げ合意の密約
尖閣諸島を実効支配している日本は「尖閣に領土問題は存在しない」という立場だが、国民にもそう説明している。しかし、実際には1972年の日中正常化交渉で、尖閣の領有権を「棚上げ」することで当時の田中角栄首相と周恩来国務院総理が合意している(日本政府は認めていない“密約”だが、野中広務元官房長官の証言や中国側の資料で確認されている)。
「領土問題は棚上げして日本の実効支配は認めるから、捕まえた中国人は送り返せ」という棚上げ合意があるから、小泉純一郎政権のときには尖閣に上陸した中国人を立件しないで速やかに送還させた。ところが、歴史を知らない(棚上げ合意の密約を知らされていない)民主党政権では、海上保安庁の巡視船に激突してきた中国船の船長を逮捕、石垣に連行して立件してしまった。当時の前原誠司国土交通大臣が「国内法で粛々と裁く」などと格好つけて発言し、中国側の反発に火を注いだ。なぜか。日本の法律で裁くということは、棚上げ合意を反故にして、そこが日本領だと認めることになるからだ。
そのうえ、当時の石原慎太郎都知事による尖閣諸島購入計画に煽られて、野田佳彦民主党政権は尖閣諸島を(多分、官房機密費で)買い取って国有化した。当然、中国には「棚上げ」を大きく逸脱した行為に見える。実は石原都知事に買われるより、日本政府が買い取ったほうがはるかに「現状維持」であることは日本人なら自明だろう。それをきちんと中国に説明して「棚上げの約束を守るために国が買い取った」といえばよかったのだが、民主党では中国上層部とのパイプラインがなく、それができなかった。
自民党政権の密約外交による負の遺産に加えて、ひとえに民主党政権の対応のまずさが、尖閣問題をこじらせてしまったのだ。
大前の視点[4]
靖国問題の裏にある田中角栄と周恩来の手打ち
日中間に横たわる靖国問題の起点も1972年の日中国交正常化交渉、周恩来・田中角栄会談にある。
周恩来は日中友好条約を締結する前提条件として戦後賠償を求めたが、田中首相はすでに賠償済み(蒋介石の国民党政権に賠償を申し出たが、蒋介石はこれを断った)としてこれを拒否し、代わりにODA(政府開発援助)による資金援助を申し出た。世界第2の経済大国となった中国にいまだに日本がODAを供与する理由はここにある。つまり戦後賠償の一部であり、中国からすれば当然の償いなのだ。
しかし建前上、戦後賠償を放棄するとなれば中国としては大義名分が必要になる。そこで周恩来がひねり出したアイデアが、「中国人民も日本国民も、ともに日本の軍部独裁の犠牲者」という理屈であり、日中共通の加害者に仕立て上げられたのが東京裁判(極東国際軍事裁判)のA級戦犯だった。
東京裁判自体の正当性にも問題があるし、ABCという戦犯の等級は罪の単純な軽重ではない。軍部独裁の責任がどこにあるのかという議論もないまま、いわばA級戦犯を加害者に仕立てる形で中国と泥縄式に“手打ち”をしたのだ。尖閣問題の棚上げ同様、この合意についても日本国民は何も知らされていない。
▼軍部独裁=A級戦犯という中国の認識
その後、1978年にA級戦犯が靖国神社に合祀されて「英霊」として奉られるようになる。1985年に中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝して以降、中国、さらには韓国の反発が強まり、日本の首相や閣僚の靖国参拝が外交問題化した。ここでもまた朝日新聞が批判報道をして火に油を注ぐことになった。中国からすれば、日中の共通の加害者であったはずのA級戦犯を奉った靖国神社を国民の代表である首相や閣僚が参拝するということは、日本国民全体が加害者側に与して先の戦争を正当化していることになる。中国人の歴史認識は「ナチス=ヒトラー」「軍部独裁=A級戦犯」なのだ。
しかし、日本人は日中友好の裏で交わされたこのような合意を知らないし、そもそもA級戦犯に対する歴史認識も中国人とは違う。だからなぜ中国が靖国問題であれほどエキサイトするのか理解できないし、「内政干渉だ」「英霊に罪はない」と反発すら覚えるわけだ。
大前の視点[5]
極東でもっとも信頼できる国はロシアである
戦争終結70周年を迎える2015年、中国では「抗日戦争勝利記念日」に制定された9月3日に大々的な式典が予定されている。抗日戦争に勝利して、国土を取り戻し、中国人民を解放したのは中国共産党である――。共産党一党独裁を正当化するために中国ではこのように国民教育しているが、もちろん史実は違う。
最初の戦勝国会議であるカイロ会議に出席したのは国民党の蒋介石。抗日戦争の矢面に立ったのは主に国民党軍で、共産党軍は日本軍に追われて逃げ込んだ(これまた共産党は「長征」という美辞で語っているが)長江の奥地から後方支援をしていたようなものだ。戦後の国共内戦で共産党が勝利して国民党を台湾に追いやったのは1949年だから、終戦後4年以上も経過している。国際連合の常任理事国になったのも蒋介石の中華民国、すなわち台湾であって(1946年から71年までの26年間)、中国が台湾に成り代わって常任理事国になったのはニクソンショックの後の1971年のことだ。中国人民を日本軍から解放した、という共産党の一党支配の根拠もまた歴史の捏造(あるいは誇張、美化)なのだ。
歴史の捏造は中国共産党の得意技で、それがゆえに日中の歴史認識はあまりにかけ離れたものになっているのだ。
▼竹島を取り返すのは今のままでは難しい
韓国もまた反日教育によって、国民の日本に対する歴史認識が大きく歪んでいる。朝日新聞が捏造した部分はあったにせよ、従軍慰安婦が存在したのは事実だろう。しかし朴槿恵大統領の父親である朴正煕大統領も米軍慰安婦制度をつくっていたわけで、それに目をつぶって日本の従軍慰安婦問題だけを声高に責め立てるのはフェアではない。そもそも朴正煕大統領の時代に「前に進むために日本統治時代の問題はすべて清算しよう」ということで日韓は国交を回復し、日本からの資金援助と技術供与で韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を果たした。そういう歴史もきちんと直視すべきだ。
竹島問題については、歴史を遡れば領有権の優位性は日本にある。しかし李承晩ライン(1952年に韓国が日本海・東シナ海に一方的に設定した軍事境界線)が引かれて以降、韓国が竹島を実効支配してきた。「実効支配した者勝ち」という世界共通ルールからすれば、竹島を放置していた日本の負けだ。軍事的に取り返すしかないが、竹島を守ることに狂信的なまでに国民の意思統一ができている韓国に対して、日本はそこまでできていない。
こうして見ると、日本側の歴史認識を見直すだけで両国関係が劇的に向上する相手といえば、やはりロシアである。極東ロシアには600万人の人口しかいない。対して中国は隣接する東北三省だけで1億5000万人いる。この圧倒的な人口差にロシアは恐怖感を抱いていて、ウクライナ問題のような突発事故が片付いたら極東開発をやりたいのがプーチン大統領の胸の内。日本と平和条約を結んで、日本の資本や技術、企業を極東ロシアに呼び込むことは優先順位の高い課題なのだ。
しかしながら、アメリカが演出した歴史の歪曲とそれに基づく日本の間違った歴史教育によって日本人は70年間洗脳されてきたために、胸襟を開いてロシアと将来を語ることできなくなっている。
日本人が歴史を見直して、アメリカのバイアスを取り除いた話し合いを求めれば、ロシアは喜んで応じると思う。ロシアと平和条約を結ぶ利点は大きい。結果、プーチン大統領のいう「引き分け」、つまり面積等分による北方領土の返還という成果も十二分に期待できる。エネルギー問題や使用済み燃料の保管などでロシアに依頼したい項目もたくさんあるし、ロシアも日本に頼みたいことが山のようにあるだろう。外務省や時の政府に任せず、我々個人が戦後史の空白部分を訪ねる、という作業は近隣諸国との軋轢を抱える日本にとって現在および将来の大きな希望につながる重要な作業なのである。
大前研一1943年生まれ。マッキンゼー&カンパニー本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長を務める。著書多数。最新刊は『大前研一日本の論点2015.16』。