というのも、フィリピン料理は日本料理、韓国料理、ベトナム料理、タイ料理といった他のアジア料理ほど国際的に浸透していないからだ。
では、フィリピン料理とは一体何なのか?フィリピンの料理を初めて食べる人は、スペイン料理に似ていると感じるかもしれない。
中国料理の影響を強く感じる人もいれば、フィリピン風ハンバーガー、ホットドッグ、フライドチキンなど、アメリカのファーストフードを
現地風にアレンジした料理だと気づく人もいるだろう。
植民地時代の歴史から、フィリピン料理は東洋と西洋の影響のるつぼへと発展してきた。
伝統的なフィリピン料理とは?
フィリピン料理の特徴は、甘味、酸味、塩味の3つの味の組み合わせである。他の東南アジア諸国と比べると、伝統的なフィリピン料理では
スパイスや辛さはそれほど重要視されない。
ニンニク、生姜、ローリエ、黒胡椒が最もよく使われるが、辛い料理はビコールとイスラム教のミンダナオ島の2つの地域でのみ一般的だ。
フィリピン料理が興味深いのは、さまざまな影響が混ざり合っていることだ。
アウストロネシア語族をルーツとするフィリピン料理は、インドネシア料理やマレーシア料理と似ているが、何世紀にもわたる移民と植民地主義によって形作られ、
今日のような多面的な料理になった。
- オーストロネシア語族(オーストロネシアごぞく)は、台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる
族である。アウストロネシア語族とも。日本語では南島語族とも訳される。台湾諸語が言語学的にもっとも古い形を保っていると
される。
かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾諸語との類縁性が証明され、オーストロネシア語族と呼ぶようになった。
考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は、台湾から、東南アジアからフィリピン、インドネシア、マレー半島に南下し
西暦 5 世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に達し、さらに東の太平洋の島々やニュージーランドへ拡散したとされる。パプ
アニューギニアへの拡散は北側沿岸の低地へ限定された。
パプアニューギニアの大部分(パプア諸語)とオーストラリアの原住民の言語(オーストラリア・アボリジニ諸語)は、オーストロネシア語族ではない。
ドイツのフンボルト(ヴィルヘルム=フォン=フンベルト、ベルリン大学の創設者で言語学者)は19世紀の初め、インド洋・マレー半島・インドネシア
・南太平洋の言語の共通性に着目してそれらをマレー=ポリネシア語族と名づけた。
現在ではより広範な分布範囲を含むので、オーストロネシア語族と言っている。
人類の言語分布でも、非常に広範囲にわたっている言語で、その中の言語や周辺の玄菟との関係はまだ完全にはわかっていない。
ほぼインドネシア語系とオセアニア系に分かれいるが、同系統であることにはかわりはない。
- インドネシア語系 マレー語(マレーシア)、インドネシア語、フィリピンのタガログ語、台湾の先住民の言語、他にベトナムやカンボジアの一部、さらにインド洋の西のマダガスカル語などが同系統である。
- オセアニア語系 ニュージーランドのマオリ語、メラネシア(パプア)の一部、ミクロネシア、ポリネシア(タヒチ語、ハワイ語など)などの太平洋全域に広がっている。
オーストロネシア系民族の拡散。台湾からフィリピン、インドネシア、太平洋へと拡散した。
中国の華僑のおかげで、フィリピン料理は主に中国の福建地方からの移民や広東人による中国料理の影響を大きく受けている。
また、333年間フィリピンを支配したスペインや、半世紀近くフィリピンを支配したアメリカなど、植民地支配者の影響も大きい。
フィリピン料理は、日本料理、インド料理、メキシコ料理の影響も少なからず受けている。
日本は1942年から1945年までフィリピンを占領したが、インドの影響は2年間の占領中にイギリスが連れてきたインド人傭兵によってフィリピン料理にもたらされた。
そのため、メキシコ料理がフィリピン料理にどのような影響を与えたかを知るのは興味深かった。
メキシコはスペイン帝国とつながりがあったため、さまざまな果物、野菜、食材がガレオン船貿易でもたらされた。フィリピンへの最初の入植者の多くは、
実はすでにメキシコに定住していたスペイン人だった。
フィリピン料理の形成に役立った外国からの影響もさることながら、伝統的なフィリピン料理がその諸島料理の特徴を反映していることも見逃せない。
インドネシア料理と同様、フィリピン料理は非常に地域に根ざした料理である。
数千とは言わないまでも、数百の郷土料理が存在し、国中で見られる一般的な料理もあり、地域によって名前や調理法が異なることもある。
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