九州大学山岳部 ブログ 「QUAC blog」

日々の活動、部員の声etc... QUACの日記です。

記憶に残る冬合宿・後編

2025年01月22日 | 冬合宿
エッセンで腹を満たし、いよいよ本日の目的地 池山小屋をとらえる。しばらく登っているうちに土に雪が被りはじめ、それと時を同じくして先導山本の足が凍りついた。本人曰く2週間前から風邪症状に悩まされていたらしい。本調子じゃない中、ここまで7kmの道のりを歩いてきたその体力と精神力には圧倒される。隊は歩荷分けをし、ペースを整えた。

さらに進むと次は山崎が凍りはじめた。相次ぐ3年お二人の不調に小屋目前、池山に差し掛かる頃には津田と森が先陣を切っていた。池山を通り、原生林の林を抜けると、一面白銀の世界。見上げると雪花舞い、足元は真白の絹布団。白原を越え綿帽子かぶる林の中、木立に包まれた小屋が見える、池山小屋に到着だ。
小屋には先客が一名。十分な広さであったので小屋内にテントを張り、夜の支度にとりかかる。マットを敷き詰め、その上にコンロと鍋をセットする。ゴホゴホ。小屋内とはいえ凍える寒さにダウンに身を包み、誘い水と雪のかたまりを鍋に入れる。ゴホゴホ。ガサゴソ。山本が熱を測っている。鍋に結露した水滴を雑巾でふき取る。ゴホゴホ。ゲホゲホ。山本がやってきた。隅に行く。俺インフルみたいだから近寄らないで。ゴホゴホ。鍋の中、雪はとけて水になっている。テントの中、山本は寝込む。小屋の中、9度の熱が知れ渡る。

急遽リーダー会が開かれた。グツグツ。水はお湯になり湯気が立ち昇る。雪を入れる。とける。今度はもっと雪を入れる。とける。いれる。とける。

山崎がやってきた。明日は下山する。んんん、聞き間違いかと思った。2年と山崎でアタックするものだと思ってた。山本も山崎も体調はすぐれず、このまま山籠もりして発病者が増えると下山はさらに深刻になる。賢明な判断だった。下山後山本以外に5人がインフルに罹患した。

荷物を少しでも軽くするため、夕食は2食分食べることになった。青椒肉絲と辣子鶏だ。日も暮れ、電灯のない小屋のなか、ヘッドライトの明かり頼りに調理を進める。後期入部で合宿がはじめての梅野は、ぺミカンを溶かすための水を気持ち以上入れてしまった。今夜は薄い中華スープだ。

気づくと先客は寝ている。光量を弱め、急ぎかきこむ。味わいつつもコッヘルはすぐ空になった。ささっと片付け、今夜は寝よう。おやすみなさい。


DAY2 2024.1.28
やせ細った月が明けの空に浮かんでいる。私たちを照らす光もない。朝六時半、小屋を出た。薬を飲んだからであろう、山本は解熱し足取りは軽くなっている。今のうちに降りてしまおう。森はリュックから赤旗を取り去り竹棒だけ自然に返す。もう目印を立てる必要はないのだ。梅野はせっかく雪山に来たのだからと写真を撮りまくる。遠くに見える岩峰、木立に差し込む橙の朝日、前を行く長谷川の後ろ髪引かれる足取りを。






順調に歩みを進めていたかのように見えたが、斎藤が遅れ始める。ついに鷲ノ住山中で歩みを止めてしまった。具合の悪いメンバーが増え、ペースも大分落ちたことにより、帰りのタクシーに間に合わない可能性がでてきた。昨日下山が決まり、交通係の木下はタクシーを急遽手配したのだった。逃すわけにはいかない、予約の時間を少し過ぎても待ってはくれるだろうが、何分いや何時間過ぎるかわからない。敢え無い分隊をおこなった。
速足なのは森と津田。次に山本とサポートする岩井。さいごに斎藤と彼の歩荷分けを終え
た山崎、木下、長谷川、梅野。

鷲ノ住山を下り、足元はアスファルトに変わる。日はすっかり高くなり、黒い地面が続いている。途中、路肩では路面の工事を行っていて、コンクリートの隙間に岩壁が見える。たしか北岳一帯は堆積岩が分布していた。チャートとおぼしき岩を眺めながら足を進る。そういえば、岩井は大学の課題で北岳の地質を観察しようとしていた。今回実際に岩を見ながら教えてもらいたいとも思っていたが、撤退によりその夢はついえた。
何度目かのトンネルを抜けたときだった。うしろから一台のトラックに抜かされた。続いて二台目が迫ってきた。君たち、荷台に乗ってく?気前のいいおっちゃんが運転席から顔をのぞかせる。いいんですか!?乗ります!とっさに梅野がこう叫ぶ。
一台目に抜かされたとき荷台に乗りたいなーなんて話していたのだから驚きだ。意外にも山崎と木下は断り、最尾隊の斎藤、長谷川、梅野が急ぎ乗り込んだ。またまた分隊だ。はじめてトラックの荷台に乗ったものだから荷台の長谷川は終始にこにこだった。

途中山本、岩井を拾い、あっという間に夜叉神峠に到着した。先着の津田と森はあっけらかんとこちらを見ていた。ほどなく山崎木下が着き、タクシーもやってきてほっと一息ついた。

帰りは韮崎駅解散となり、それぞれがそれぞれのルートで帰っていった。

ーーーーー
雪山デビューが撤退に流れたのも、渓谷を眼下に荷台から風を切れたのも、このメンバー
で北岳をかじれたのも、一生に一度の思い出な気がする。悔しかった。楽しかった。あり
がとうございました。
ーーーーー
冬合宿のブログは小説風に書いてみました。小説風に書くのは初めてなので、誤記があっ
たり、落ちがなかったりするかもしれませんが、ここまで読んでくださり感謝感激です。
梅野
コメント (1)
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記憶に残る冬合宿・前編

2025年01月22日 | 冬合宿

「北岳に来ただけ」今季この9文字を叫ぶことはできなかった。2024年度冬合宿・北岳アタックはメンバーの発病により撤退を余儀なくされました。北岳山域の池山小屋にて一泊後引き返し、稜線に出ることもなく帰路につきました。

はじめに賢明な撤退判断を下された諸先輩方に敬意を表すとともに、報告会での「結果的には良かったが早期に計画を破棄した現役は淡白である」とのご指摘を深く受け止め、2025年はさらに心身ともに鍛え、岳人として山を本気で楽しんでいきます。

合宿参加者/3年:山崎、山本/2年:岩井、津田、斎藤/1年:木下、森、長谷川、梅野


 さて、時は遡りDAY0  2024.12.26

博多から名古屋、中津川を経由し、甲府へ向かう。参加者は計9人の大所帯。博多駅に集合すると、1年ふたりが差し入れとともにお見送りに来てくれていた。


この時期、新幹線のぞみは全席指定席。青春きっぷの暴走により、新幹線を使うことを余儀なくされた我々は節約のため自由席券を購入。ひとりふたりで各車両のデッキで時を過ごした。車窓に見える田畑や住宅街、コンビナートや五重塔が過ぎ去り、あっという間に名古屋のビル群が迫っていた。

ローカル線に乗り換え、揺られる。遠目に雪被る頂が見える。気がつくと一面雪化粧の山あいを進んでいた。暖房の効いた車内には、部員の談笑が響き、それぞれの心根で北岳への期待が高まってゆく。

甲府に着いた頃には日は暮れ、駅前にはサラリーマンがせわしなく行き交う。計画上は駅前のカラオケ泊の予定だ。夜ご飯のため一旦解散となった。吉野家の定食にご飯おかわりを求める者、郷土料理ほうとうに温まる者、行方知れず気づくとビジネスホテルで快を満たす者。

そう、数名の先輩方がホテル泊に急遽切り替えたので、カラオケ泊は解消、残りはあてもなく彷徨うことになった。もとのカラオケ店は深夜料金に年末料金にで、ホテル泊より高かったのだ。もちろんのこと甲府城泊も検討したが、結局、安いカラオケ店にビバーク、1日目が終わった。


DAY1   2024.12.27

早朝発、甲府駅前に集合しジャンボタクシーに乗り込む。車内は真っ暗、木下は揺れるなかコンタクトレンズと格闘していた。1時間ほど夜道に揺られ、夜叉神峠に到着。準備を整え通行止めのゲートを越える。

ここから10時間の歩きが待っている。まずは鷲ノ住山登山口を目指し、登山口を越えたその先、あるき沢橋までは前座だ。昨年は暖冬により積雪も少なかったらしいが、今年はアスファルトが白むほど。ヘッドライトの明かりに、風花がきらめく。はじめての雪山、岩壁に生えるつららを横目に、しんしんと積もる雪への楽しみに満たされる。途中小休憩をはさみ、鷲ノ住山に足を踏み入れる。地面はアスファルトから土に移り、軽い足取りで山頂を跨ぎ、400mの急な下りへ突入する。薄暗い木立のなかを日頃の歩荷ではそう見ない斜度に慎重になりながら、冬靴が薄茶ける。赤旗をリュックの脇に抱える森は、その竹の棒を木に突き刺し引き抜き堪えていた。
走ると1分もかからない距離を1時間かけて下った。すっかり明るくなった谷間に野呂川が流れ、ワイヤーと鉄格子から成る灰色の吊り橋がかかる。野呂川は北岳を源流にもち、春には豊富な雪解け水が流れ下る。川の上、鉄格子の隙間から浅葱色の河面を覗く。夏にもなると豊かな水に育まれ、ヤマメが群泳するそうだが、風に揺られる波面が映るだけだった。

橋を渡り終え、土から再びアスファルトに戻る。ほどなくして、あるき沢橋が見える頃には腹音も聞こえ始めていた。

(後半へ続く)
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