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預言者伝【番外編2】

2015年04月02日 | 預言者伝関連
≪重婚について≫
  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)はその人生の半分である25年を独身者としてすごしました。それは若者が持つべき最良の条件、徳性を備えた期間でした。彼の25年間はアラブの健全な青年期の良い例でした。街の諸悪から遠い田舎暮らしのおかげで得ていたのは健康で、またすぐれた騎士道と男らしさを身につけていました。彼の最大の敵さえも彼に非の打ちどころがないことを知っていました。それは彼が預言者になる前も、預言者になってから今日に至ってもです。そのため彼は清廉さ、貞節、高潔、無罪、彼に相応しくないあらゆる事柄から遠ざかっていることにおける模範でした。

  アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)は25歳になってハディージャ・ビント・フワイリドと結婚しました。彼女は未亡人で40歳、かつて二人の男性と結婚したことがあり、子どももいました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と彼女の間には15歳の差があるという説が有力です。彼女の後に-50歳を超えてから-サウダ・ビント・ザアマと結婚しました。彼女の前の夫はエチオピアに移住してムスリムとして亡くなりました。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が結婚した女性の中でアーイシャ・ビント・アビーバクルだけが処女でした。またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)の結婚はイスラーム宣教における何らかのメリットや、公共利益、甚大な社会的危険の防御のためだけになされました。この結婚によって生まれた血縁や姻戚関係にはアラブ部族社会に大きな影響を与え、ほかの共同体にはない価値がありました。またこの姻戚関係はイスラーム宣教と理想的イスラーム社会に影響を与え、流血を防ぎ、アラブ諸部族の問題からの回避にもつながりました。

  またアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)と彼女たちの生活は、一般の女性たちが望んでいると多くの人が思い込んでいる贅沢で高価なものを飲食したりというものではありませんでした。むしろ慎ましく質素で利他主義で節制した暮らしで、昔の人も現代の人も、男も偉大な清貧家でも耐えられないものでした。その一部分については次の聖句を読むだけで十分に分かるでしょう:「預言者よ、おまえの妻たちに言え、「もし、あなたがたが今生とその装飾を望んだら、来るがいい。あなたがたに生活費を与え、美しい離別で別れよう」。「だが、もしあなたがたがアッラーとその使徒と来世の住まいを望んだなら、まことに、アッラーはあなたがたのうち善を尽くした者たちには大いなる報奨を用意し給うた」。(部族連合章28~29節)

  この貴重、高尚、そして深い教育的意図の影響の一つが妻たち全員-アッラーが彼女たちに満足し給い、アッラーが彼女たちを満足させ給いますように-が例外も緩慢もなく、アッラーとその使徒と来世の住まいを選択したことです。アーイシャ-アッラーが彼女に満足し給いますように-の言葉が例として十分でしょう。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)がこの聖句をお読みになって彼女に:≪両親に相談して、答えを急ぐ必要はない≫と言われて、彼女は言いました:このことについて両親に相談するというのですか。まことに私はアッラーとその使徒と来世の住まいを望みます。アーイシャは、他のアッラーの使徒の妻たちも同様にしたと言いました。

  重婚やそれがもたらす心理的、経済的、社会的忙しさはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安あれ)が宣教の義務、奮闘努力、質素な生活、理想的な生き方、重大諸事を実行することを邪魔することはありませんでした。むしろ重婚は彼にさらなる活力を与えました。妻たちはアッラーが彼に恵み給うた宣教という務め、信託された諸事の実践、男・女信徒たちの教育といった活動に協力しました。戦の際は彼に同行し、けが人や病人を看病したり、吉報を伝えたり、厳しい時には慰めたりしました。実に宗教-彼の家庭生活や親交に関わる規則や多くの法規定-の三分の一は彼女たちによってもたらされました。信徒たちは彼女たちからそれらを学び、保持し、広めたのです。

(参考文献:①「預言者伝」、アブー・アルハサン・アリー・アルハサニー・アンナダウィー著、ダール・イブン・カスィール出版、P411~412)