イスラーム勉強会ブログ

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悔い戻る者たちの道しるべ【4】-(2)罪を知ること/欲望が圧倒すること/罪人の種類/罪人の状態

2015年04月10日 | 悔い戻る者たちの道しるべ
”打ちのめされた者”としてアッラーに背く者についてお話します。つまり自我に負けてしまった人のことです。油断している間に罪を犯してしまったためにこの人は泣き、後悔します。ここで私は吉報を伝えましょう。罪を後悔しているあらゆる人には赦しがあると。預言者様(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われました:
≪後悔は改悛である。≫(アッ=ティルミズィー、アハマドがイブン・マスウードから伝承)

かの罪人たちは一体どの種に属する罪人なのでしょうか。高慢に、自信満々にアッラーへの服従に背く者たちの一人なのか、それとも弱さのために背いた人たちの一人なのか。

【罪を知ること】
人間は己を知って、己を清算しなければなりません。さて自分は高慢にアッラーに背いたのか、それとも打ちのめされてしまったゆえに背いたのかを。
彼らについてアッラーは明快かつ素晴らしい聖句の中で述べ給いました:

「醜行をなしたり、わが身に不正をなしたりした時にアッラーを思い出し、己の罪の赦しを乞う者-アッラーのほかに罪を赦す御方がおろうか-、知った上でなしたことに留まりはしない者。」(イムラーン家章135節)

【欲望が圧倒すること】
イブン・アル=カイイムという威厳ある学者がこの意味について素晴らしい言葉を残しています:
”至高なるアッラーは、欲望や自然の力に負けてしまうという形で罪に陥ってしまったしもべを赦し給う。つまりその罪の中にある欲望の強さのために、それを嫌悪し、己の中でそれに固執しているわけでもないのに罪を犯してしまう場合。このような者にはおそらくアッラーの御赦しと御放免と赦免が期待される。なぜなら至高なるアッラーは彼の弱さと彼が欲望に負けてしまったことを御存知だからである。また罪人は罪に忍耐出来ずいる時毎に、罪に陥る時は畏縮し、主に服従した者として恐れ、胸は震える。罪ある自我の欲望を持った信仰心は彼が罪に陥ることを嫌うので、彼は自我の呼びかけに応じたり、信仰の呼びかけに応じたりする。代わって罪を止めず、恐れることもなくアッラーのために欲望を捨てることもなく、喜び、罪を勝ち取った際には大きく笑う者。この者こそが己と悔悟を隔てられて、悔悟できないことが心配される者である。”

この威厳ある学者の言葉続きます:
”至高偉大なるアッラーに背くことに喜びを得ることは、それを激しく欲していること、背いた相手の身分(つまりアッラー)について無知であること、罪がもたらす結果の悪さやその危険の大きさについて無知であることの証拠である。彼が罪に寄せる喜びはそれらすべてを覆ってしまっている。そのため彼が罪に寄せる喜びは彼が罪に陥ることよりも彼にとってはるかに害である。罪によって喜びを感じることは罪を犯すこと自体よりも危険である。信仰者は罪で快楽をけっして得ないし、それによって喜びが増大することもない。むしろ罪をなす時は必ずや悲しみが伴っている。誰でもこの悲しみを心に感じず罪によって幸福感と歓喜が強くなる者は己の信仰を疑い己の心の死を泣かなければならない。もし心が生きているなら罪を成すことに悲しみと怒りを感じ、(その行為を済ますことを)難しいと思うだろうが、心がそのように感じずにいるなら:傷は死人に痛みを与えないということである。”

さて彼は欲望に負けてアッラーに背いたのか、それとも弱かったためなのでしょうか?代わって高慢に喜びの中アッラーに背く者は違います。信仰者の欲望は罪によって達成されません。なぜならアッラーを畏れているからです。私は自我が弱いために油断している間にアッラーに背いてしまった後悔し、泣き、この罪に陥らなければよかったと願う人たちに吉報を伝えます。アッラーの御赦しが近く彼らにあることを。

【罪人の種類】
イブン・サンマークが次のように言ったのをアル=バイハキーが伝えています:“被造物は3集団となった:罪から悔悟する集団で、罪から逃げて落ち着いており、罪の一つにでも戻ることを望まない集団。これこそが無罪とされる者である。そして罪を犯して後悔し、罪を犯して悲しみ、罪を犯して泣く集団。同情され、心配される。そして罪を犯して、後悔せず、悲しまず、罪を犯して泣くこともない集団。楽園の道から火獄に外れた者である。”
一つの罪を犯して、しっかりとした悔悟をする人は安泰です。そして罪を犯し、また罪を犯す人は心配ですが、(悔悟すれば)アッラーに受け入れられます。そして罪を犯し、何も感じず、後悔もせずアッラーに戻ることもない者は、楽園から火獄に移る者です。

【罪人の状態】
司会:先生、”あなたはどれに属する罪人でしょうか?”が今回の質問でした。罪には位があると言えば良いでしょうか。いずれにせよ誰に対して背いているのかという点から訓戒が得られます。つまりあなたは至高偉大なるアッラーに背いていると。罪から悔悟する者は常に後悔の念と悲しみの状態にあります。それ以外の人はアッラーの道しるべから逸脱した人であって、彼がしっかりと悔悟しない限り悔悟も赦しも望まれません。
次回は罪と悔悟の話を続けます。まず始めに悔悟の前置きがどのようなものであるか、条件は何かを知りたいと思います。
最後に一言だけ残しておきます:罪で喜ぶことはそれを犯すよりも酷いものである、と。

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