信者の心を動かすバーイス(باعث)=強い動機。
何が人間を服従する者にするのか。そして何が人間を前者と違う不努力者にするのか。
何が「礼拝は眠りに優るالصلاة خير من النوم」を聴いて、目を覚まし、甘い眠りから起き上がらせるのか。
何が信者を夜中、「どのようにすればアッラーに近くなれるか」と考えさせるのか。
何が人生すべてをアッラーのために捧げる人にそうさせるのか。
何がラマダーン中、人々に崇拝行為を熱中させるものは何か。
それは、バーイス。
それは、アッラーが人間が心に投げ込み給うもの。
何十年も怠ける人間や、礼拝を放棄し、ハラームを食べている人が急に改悛することは、ある。
モスクに行くようになり、人間関係を改善する。それを見た他人が、「アッラーが彼をお導き給うたのだ」と言う程だ。
この導きとは、何か。
これは、アッラーが人間の心に投げ込み給うたもの。
これを、バーイスという。
バーイスはちょうど、何かに招待されるようなもの。
招待カードに、「出席してください」と記されている。
カードを受け取ったあなたは、出席しようか、という気が起こるだろう。
アッラーからあなたに届いた招待カード。
アッラーはしもべにかれに顔を向けるよう促し給う。
なぜここで招待を受け取る話をするかというと、アッラーは人間にバーイスを投げ込むために、
いくつかの理由を作り給うたから。
教育者たちは言う:
アッラーに接近しようとするバーイス(強い動機)が心に生まれるきっかけは、以下の5事項。
①関心の惹き付け(الترغيب):例)アッラーに近づきたいと思わせる何かを聴くなど、
②恐れさせること(الترهيب)、
③憧れさせること(التشويق)、
④他人から受ける影響=善良な人々との同席
⑤特に理由なし
私にはバーイスが必要なのである。アッラーへ連れて行ってくれる強い動機が。
1~2日で礼拝を辞めたり、1~2週間や1~2ヶ月でタズキヤ(自我浄化)を辞め、バーイスを失ってしまう様。
熱意を求めて夜中の2ラクアの礼拝を捧げていたのに、
もうしなくなっていたりするのはなぜか?
バーイスがないのである。
ではバーイスはどこに行ってしまったのか?
バーイスは、理由もなく現れることがあると↑に書いたが、
極限の怠慢の中に現れることもあるし、
一生懸命探して、アッラーに投げ込んでいただけることもある。
理由なくバーイスが現れることがあるのなら、寝て待てばよいのか?
ある人は礼拝せず、いつするのか?と聞かれると、
「アッラーがお望みになれば、するよ」と言う。
仕事をせず、「導き給う御方は、糧も与え給うだろう?」と言う人。
間違った発言ではないが、アッラーはその原因を自分たちで作るよう仰せになった。
原因を放棄して待つのではなく、きっかけを自分で作ること。
私たちはバーイスを必要としている。
それはなぜか?
何ヶ月経っても、あなたの心にバーイスが生まれないこと。
そんな状態で死を迎えてしまったら一体どんなことになるだろうか。
なおムスリムに年年間もバーイスが訪れないことは十分ありえる。
80年以上生きたのに、一度も「アッラーに接近しよう」というバーイスが生まれなかった人は、いる。
その原因とは何だろうか?
それは、戸を叩いていないから。
アッラーの戸の前に立たないのが原因。
私たちには、原因が必要ということ。
あなたも私も心にバーイスが生まれることを望んでいる。
これをどのようにして手に入れるか。
学者たちは次のように言った:
人間の自我は、次の3つを原因に影響を受けたり、感情的になったり、受容的になる。
①おそれ②(貪欲的な)期待③憧れ
例)糖尿病の人がお菓子を食べたいと思っている。血糖が高いのに、自我は甘いものを熱望している。
その友人は注意して、食べるな、と言う。これを食べると、失明するかもしれないぞ、と言う。
このように言われたらどうするか?きっと食べるのをやめるだろう。
自我が欲しているのに、甘い菓子を放棄させたものは何か?
「おそれ」である。
クルアーン中に多くの地獄の話、痛々しい罰の話などが出てくるのは、
ハディースが墓の罰について語るのは、なぜか。
人間がそれらを語られる必要があるから。
人間として必要だから。
この「おそれ」を知ることで、自我は目を覚ます。
自我には脅迫されることが必要。
あなたがいつか死ぬことを思い出すとき。それは確かに真実だ。
死後、アッラーに対面し、清算を受け、かれはあなたの行為について細かく質問し給うのだ。
あなたがスィラート通過について思い出すとき。
そこを通りきって天国に行けるのか、
または途中で落ちてしまい、地獄行きになるのか。
この思考の際に、注意するのである。
あなたがこれらのことを思い出し、
かつ、それらが真実であることを確信していると、
その瞬間心は覚醒し、アッラーに接近しようと思うのである。
以上は、「おそれ」がバーイスを生むことの説明。
子供(=私たち)は学校抜授業を一気に理解できない。
しかし父親は言う:「良く復習して、試験に受かったら、自転車を買ってあげよう」
このとき子供は何を思うか?
約束されたものを手に入れるために、自我の中にある怠けを追い出そうとするだろう。
人間とは、こういうものなのだ。
「(貪欲的な)期待」は大いに自我を動かす。
では私たちのこの貪欲的さが向けられるべきものとは何か?
それは、アッラーの許にあるものに自我が期待するもの。
あなたが、アッラーがかれに接近する人たちのために準備し給うているものを読むとき。
天国の住民に与えられる恩恵、川、王権、永遠の至福、
その中で最も大きい、アッラーの御満足の獲得。
これらの贈り物をあなたは熱望しないのか?
天国で最も貧しい人は、現世の10倍のものを得ると言われる。
これらの事実はあなたの心を動かさないのか?
قل يا عبادي الذين أسرفوا على أنفسهم لا تقنطوا من رحمة الله إن الله غفور رحيم
「わたしのしもべたちよ」とアッラーが仰せ給うている。
この寛大さとは何か?
アッラーはこんな私たちにこのように接し給うている。
ハディースには、毎夜の最後の時間に、
「罪の赦しを求める者はおるか、悔悟する者はおるか、われに頼みごとがある者はおるか?」
とアッラーが仰せ給うことが載っている。
アッラーは日中に罪を犯した者のために夜中手を広げ給い、
夜中に罪を犯した者のために日中手を広げ給うのだ。
自分とアッラーの間で犯された罪について考えてみること。
アッラーが私を暴露し給うたなら、誰も私に挨拶をしてくれないだろう。
何度アッラーは私を助け給うたか。
このような事柄が、あなたの心に、このように接し給うた寛大な主、
アッラーを熱望する気持ちを起こさせるのだ。
子供に対する母親の視線。
人々があなたの子供を責めている。
なのにあなたの心には、「私の子を放っておいて!これは私の子」と
子供に対する愛情が募るばかり。
ある教友がキャンプで、子を見失った母親を見た。
彼女は子を探していた。
しばらくすると子が彼女のところに来、走って行った。
彼女も子に向かって走って行った。
2人は抱きしめ会い、彼女も子も泣いた。
それを見ていた教友たちも皆して泣いているのを預言者(平安と祝福あれ)がご覧になった。
「何があなた方を泣かせたのですか?」と言われた。
「この女性の、子に対する愛情です」と彼らは答えた。
「彼女が子を火に投げ入れると思いますか」と預言者(平安と祝福あれ)は言われた。
「いいえ、決して」と彼らは答えた。
「アッラーはあなた方に対して、この母親よりも慈悲深いのです」と言われた。
アッラーのこの繊細な対応・・・
私たちは主を熱望しないのか?
アッラーへの熱望は、
「私はこの主とどのような関係にあるのだろうか?」
と自問させる。
バーイスは、「おそれ」「憧れ」「(貪欲的な)期待」で生まれる。
アッラーへの「おそれ」から、かれの怒りに対する「おそれ」から礼拝する。
アッラーから頂ける恩恵に期待して、アッラーに接近する。
アッラーを愛し、熱望して、アッラーに接近する。
「善良な人々と時間を過ごすこと」で、アッラーに接近する。
「善良な人々と時間を過ごすこと」とは?
ボタンを押して得られるものではない。
彼らを眺め、関係を作ることが、彼らにアッラーにより与えられた
恩恵へ熱望を心に生む。
彼らも以前の善良な人々と同席していたのであり、
その以前の人たちも善良な人々と同席していた。
これは鎖のように続いているもの。
あなたは以前に、このような人たちとズィクルをして、
「この人たちのようにアッラーにお仕えできたらなあ」と思ったことはないのか?
だからこそ、彼らとの同席は、バーイスを生む。
ではバーイスが生まれたら気を付けるべき3事項。
①このバーイスの保存。バーイスはアッラーからあなたへの贈り物。これを尊く、偉大に見ること。
人によっては重要視しないために失ってしまう。バーイスを清算し、強化すること。
つまり、悪友を避け、アッラーが満足し給うことにひたすら対面すること。そして悪魔の
ささやきを無視し、それに遭う度にタアウウズすること、付き合う人を選ぶこと。
②バーイスは3つのことで強化される:
1.ズィクル
2.アッラーに御許にあるものについての思考(死後のことやアッラーにどう対面するかなど)
3.善良なる人との同席
③バーイスの要求に応えること:どのように応えるか。善行を急ぐこと。何か思いついたら、
すぐに実行する。悪魔は、「後でやろう」とさせる。「今は微力なので完遂できないだろう」
と思うのではなく、とにかくやり始めること。アッラーに接近する機会を待つのではなく、
心がそうしたいと思ったときに、すぐそうすること。
バーイスを獲得した後は、タウバ(悔悟、改悛)。
続く。
何が人間を服従する者にするのか。そして何が人間を前者と違う不努力者にするのか。
何が「礼拝は眠りに優るالصلاة خير من النوم」を聴いて、目を覚まし、甘い眠りから起き上がらせるのか。
何が信者を夜中、「どのようにすればアッラーに近くなれるか」と考えさせるのか。
何が人生すべてをアッラーのために捧げる人にそうさせるのか。
何がラマダーン中、人々に崇拝行為を熱中させるものは何か。
それは、バーイス。
それは、アッラーが人間が心に投げ込み給うもの。
何十年も怠ける人間や、礼拝を放棄し、ハラームを食べている人が急に改悛することは、ある。
モスクに行くようになり、人間関係を改善する。それを見た他人が、「アッラーが彼をお導き給うたのだ」と言う程だ。
この導きとは、何か。
これは、アッラーが人間の心に投げ込み給うたもの。
これを、バーイスという。
バーイスはちょうど、何かに招待されるようなもの。
招待カードに、「出席してください」と記されている。
カードを受け取ったあなたは、出席しようか、という気が起こるだろう。
アッラーからあなたに届いた招待カード。
アッラーはしもべにかれに顔を向けるよう促し給う。
なぜここで招待を受け取る話をするかというと、アッラーは人間にバーイスを投げ込むために、
いくつかの理由を作り給うたから。
教育者たちは言う:
アッラーに接近しようとするバーイス(強い動機)が心に生まれるきっかけは、以下の5事項。
①関心の惹き付け(الترغيب):例)アッラーに近づきたいと思わせる何かを聴くなど、
②恐れさせること(الترهيب)、
③憧れさせること(التشويق)、
④他人から受ける影響=善良な人々との同席
⑤特に理由なし
私にはバーイスが必要なのである。アッラーへ連れて行ってくれる強い動機が。
1~2日で礼拝を辞めたり、1~2週間や1~2ヶ月でタズキヤ(自我浄化)を辞め、バーイスを失ってしまう様。
熱意を求めて夜中の2ラクアの礼拝を捧げていたのに、
もうしなくなっていたりするのはなぜか?
バーイスがないのである。
ではバーイスはどこに行ってしまったのか?
バーイスは、理由もなく現れることがあると↑に書いたが、
極限の怠慢の中に現れることもあるし、
一生懸命探して、アッラーに投げ込んでいただけることもある。
理由なくバーイスが現れることがあるのなら、寝て待てばよいのか?
ある人は礼拝せず、いつするのか?と聞かれると、
「アッラーがお望みになれば、するよ」と言う。
仕事をせず、「導き給う御方は、糧も与え給うだろう?」と言う人。
間違った発言ではないが、アッラーはその原因を自分たちで作るよう仰せになった。
原因を放棄して待つのではなく、きっかけを自分で作ること。
私たちはバーイスを必要としている。
それはなぜか?
何ヶ月経っても、あなたの心にバーイスが生まれないこと。
そんな状態で死を迎えてしまったら一体どんなことになるだろうか。
なおムスリムに年年間もバーイスが訪れないことは十分ありえる。
80年以上生きたのに、一度も「アッラーに接近しよう」というバーイスが生まれなかった人は、いる。
その原因とは何だろうか?
それは、戸を叩いていないから。
アッラーの戸の前に立たないのが原因。
私たちには、原因が必要ということ。
あなたも私も心にバーイスが生まれることを望んでいる。
これをどのようにして手に入れるか。
学者たちは次のように言った:
人間の自我は、次の3つを原因に影響を受けたり、感情的になったり、受容的になる。
①おそれ②(貪欲的な)期待③憧れ
例)糖尿病の人がお菓子を食べたいと思っている。血糖が高いのに、自我は甘いものを熱望している。
その友人は注意して、食べるな、と言う。これを食べると、失明するかもしれないぞ、と言う。
このように言われたらどうするか?きっと食べるのをやめるだろう。
自我が欲しているのに、甘い菓子を放棄させたものは何か?
「おそれ」である。
クルアーン中に多くの地獄の話、痛々しい罰の話などが出てくるのは、
ハディースが墓の罰について語るのは、なぜか。
人間がそれらを語られる必要があるから。
人間として必要だから。
この「おそれ」を知ることで、自我は目を覚ます。
自我には脅迫されることが必要。
あなたがいつか死ぬことを思い出すとき。それは確かに真実だ。
死後、アッラーに対面し、清算を受け、かれはあなたの行為について細かく質問し給うのだ。
あなたがスィラート通過について思い出すとき。
そこを通りきって天国に行けるのか、
または途中で落ちてしまい、地獄行きになるのか。
この思考の際に、注意するのである。
あなたがこれらのことを思い出し、
かつ、それらが真実であることを確信していると、
その瞬間心は覚醒し、アッラーに接近しようと思うのである。
以上は、「おそれ」がバーイスを生むことの説明。
子供(=私たち)は学校抜授業を一気に理解できない。
しかし父親は言う:「良く復習して、試験に受かったら、自転車を買ってあげよう」
このとき子供は何を思うか?
約束されたものを手に入れるために、自我の中にある怠けを追い出そうとするだろう。
人間とは、こういうものなのだ。
「(貪欲的な)期待」は大いに自我を動かす。
では私たちのこの貪欲的さが向けられるべきものとは何か?
それは、アッラーの許にあるものに自我が期待するもの。
あなたが、アッラーがかれに接近する人たちのために準備し給うているものを読むとき。
天国の住民に与えられる恩恵、川、王権、永遠の至福、
その中で最も大きい、アッラーの御満足の獲得。
これらの贈り物をあなたは熱望しないのか?
天国で最も貧しい人は、現世の10倍のものを得ると言われる。
これらの事実はあなたの心を動かさないのか?
قل يا عبادي الذين أسرفوا على أنفسهم لا تقنطوا من رحمة الله إن الله غفور رحيم
「わたしのしもべたちよ」とアッラーが仰せ給うている。
この寛大さとは何か?
アッラーはこんな私たちにこのように接し給うている。
ハディースには、毎夜の最後の時間に、
「罪の赦しを求める者はおるか、悔悟する者はおるか、われに頼みごとがある者はおるか?」
とアッラーが仰せ給うことが載っている。
アッラーは日中に罪を犯した者のために夜中手を広げ給い、
夜中に罪を犯した者のために日中手を広げ給うのだ。
自分とアッラーの間で犯された罪について考えてみること。
アッラーが私を暴露し給うたなら、誰も私に挨拶をしてくれないだろう。
何度アッラーは私を助け給うたか。
このような事柄が、あなたの心に、このように接し給うた寛大な主、
アッラーを熱望する気持ちを起こさせるのだ。
子供に対する母親の視線。
人々があなたの子供を責めている。
なのにあなたの心には、「私の子を放っておいて!これは私の子」と
子供に対する愛情が募るばかり。
ある教友がキャンプで、子を見失った母親を見た。
彼女は子を探していた。
しばらくすると子が彼女のところに来、走って行った。
彼女も子に向かって走って行った。
2人は抱きしめ会い、彼女も子も泣いた。
それを見ていた教友たちも皆して泣いているのを預言者(平安と祝福あれ)がご覧になった。
「何があなた方を泣かせたのですか?」と言われた。
「この女性の、子に対する愛情です」と彼らは答えた。
「彼女が子を火に投げ入れると思いますか」と預言者(平安と祝福あれ)は言われた。
「いいえ、決して」と彼らは答えた。
「アッラーはあなた方に対して、この母親よりも慈悲深いのです」と言われた。
アッラーのこの繊細な対応・・・
私たちは主を熱望しないのか?
アッラーへの熱望は、
「私はこの主とどのような関係にあるのだろうか?」
と自問させる。
バーイスは、「おそれ」「憧れ」「(貪欲的な)期待」で生まれる。
アッラーへの「おそれ」から、かれの怒りに対する「おそれ」から礼拝する。
アッラーから頂ける恩恵に期待して、アッラーに接近する。
アッラーを愛し、熱望して、アッラーに接近する。
「善良な人々と時間を過ごすこと」で、アッラーに接近する。
「善良な人々と時間を過ごすこと」とは?
ボタンを押して得られるものではない。
彼らを眺め、関係を作ることが、彼らにアッラーにより与えられた
恩恵へ熱望を心に生む。
彼らも以前の善良な人々と同席していたのであり、
その以前の人たちも善良な人々と同席していた。
これは鎖のように続いているもの。
あなたは以前に、このような人たちとズィクルをして、
「この人たちのようにアッラーにお仕えできたらなあ」と思ったことはないのか?
だからこそ、彼らとの同席は、バーイスを生む。
ではバーイスが生まれたら気を付けるべき3事項。
①このバーイスの保存。バーイスはアッラーからあなたへの贈り物。これを尊く、偉大に見ること。
人によっては重要視しないために失ってしまう。バーイスを清算し、強化すること。
つまり、悪友を避け、アッラーが満足し給うことにひたすら対面すること。そして悪魔の
ささやきを無視し、それに遭う度にタアウウズすること、付き合う人を選ぶこと。
②バーイスは3つのことで強化される:
1.ズィクル
2.アッラーに御許にあるものについての思考(死後のことやアッラーにどう対面するかなど)
3.善良なる人との同席
③バーイスの要求に応えること:どのように応えるか。善行を急ぐこと。何か思いついたら、
すぐに実行する。悪魔は、「後でやろう」とさせる。「今は微力なので完遂できないだろう」
と思うのではなく、とにかくやり始めること。アッラーに接近する機会を待つのではなく、
心がそうしたいと思ったときに、すぐそうすること。
バーイスを獲得した後は、タウバ(悔悟、改悛)。
続く。
イマンさん、ありがとうございます。
まさにこういうものを読みたかった。
続きをなかなかアップできず申し訳ないです。