またアッラーは、太陽を覆う夜において誓われています。「それ(太陽)を覆う夜において」夜は、昼間の働きによる体の休息を取るものと定められました。常時昼間であったならば、人間は活発な人生、また気の入った生活を継続できることは無かったでしょう。
続けてアッラーは天において誓われます:「天と,それを打ち建てた御方において」つまり、この天と、それをお創りになり、高くされた御方アッラーにかけて、という意味です。この天が含む数億にのぼる数の天体の存在は、それを創造した神の偉大な力の象徴となっています。
アッラーは大地において誓われます:「大地と,それを広げた御方において」つまり、この大地と、それを平らにして人間と動物が生活できるようにしてくださったアッラーにおいて、という意味です。
最後に、アッラーは人間の魂において誓われます:「魂と,それを釣合い秩序付けた御方において」つまり、魂を釣り合い秩序付けた御方アッラーにおいて、という意味です。かれは、発明の頂点と言える人間の体の各部分をお創りになり、また思考の道具となる理性を人間にお与えになりました。そして話すための舌、見るための目、聴くための耳、匂うための鼻、生活の糧を得るための両手両足なども人間にお与えになりました。
続いてクルアーンは、人間の特徴でもあるアッラーが人間の魂に植え付けた善悪や導きと迷いを見分ける力の解明に移ります。アッラーは言われました:「邪悪と信心に就いて,それ(魂)に示唆した御方において(誓う)。」つまり、人間の魂に行うべき善行や服従行為、また放棄すべき悪行を明確にした、という意味です。また、アッラーは人間の魂に善の道と悪の道を表した、とも言えます。
その後、誓いの答えがされます:「本当にそれ(魂)を清める者は成功し」つまり、自分自身の魂を罪から清め、善行で成長させた者は成功する、という意味です。その中で最も高位なのは、畏敬の念で魂を成長させることです。「それを汚す者は滅びる」つまり、自分自身の魂を罪で覆い隠してしまい服従や善行で輝かせない者は損をする、という意味です。汚す(Dass)は元来、隠すという意味を持ちます。
続いてクルアーンは、サムードの民と、彼らの預言者サーリフ(平安あれ)に対する不服従の結果として被った罰の話に移ります。解説をする前に、クルアーンに登場する物語の目的と、本当のサムードの民の物語について説明します。
諸預言者の物語の目的:クルアーンに登場する諸預言者の物語の目的は、アッラーの満足という吉報、かれに背くことに対する警告です。また、イスラーム的ダアワの基礎の説明、預言者(平安と祝福がありますように)と彼に従う者の心の強化、彼の預言者性の証明という目的もあります。クルアーンは、諸預言者の物語の中から、訓戒を得られる部分を選んでいます。ユースフ(平安あれ)の物語のように、連結性を持ちながら話の詳細述べることがありますが、大抵の場合、ムーサー(平安あれ)のように物語の一部分が述べられます。それは、求められる教訓がそこにあるからです。クルアーンはその物語が有名であることに基づいて、物語の一部分を述べます。
諸預言者の物語は詳しくまた長々とした形で、また短縮された形で繰り返されます。ここにクルアーンの奇跡とクルアーンの言語における正則性が現れています。 そしてクルアーンはサムードの物語を要約してこの章の中で述べています。そのため、クルアーンの違ういくつかの箇所に登場する言葉を参照しながらこの章を明解にすることが好まれます。
サムードの物語:アッラーは使徒サーリフを彼の民であるサムードに遣わし、彼らに訓戒し、アッラーにお仕えすることへ呼びかけ、偶像崇拝をやめるように諭しました。サムードは遠い昔のアラブ系部族で、ヒジャーズの北側にある、現在はサーリフの町と呼ばれているアル・ヒジュルに住み着いていました。サムードの人たちは彼らの使徒がもたらしたものを信じず、またサーリフが示した真実の道を歩むどころか、彼を嘘つき呼ばわりしたのでした。彼らはサーリフに彼がアッラーの使いであることを証明するムウジザ(奇跡)を持ってくるように要求しました。彼は普通とは違うように創造されたラクダを連れてきて、人々にこのラクダに悪さをしたりしないように命じました。アッラーはこのラクダに決められた日に水を飲むように定められ、人々にはこの日とは違う日を定められました。そしてラクダに害を加えたときには罰をくだすであろうと警告されました。
ラクダは彼らの間にしばらく存在し、大地の草を食み、ある日に水を飲み、またある日には飲まずにいました。この状態を保つラクダを目にしたサーリフの民の多くが彼の使徒性を認めるようになりました。しかしこの事実は地位の高い人々を憂慮させることとなり、ラクダを殺そうとしました。そうしていけないとサーリフは彼らに警告しましたが、彼らは恐れることなどありませんでした。彼らのうちの不幸者がラクダの住処へ赴き、彼らの同意の許ラクダを殺してしまいました。そのためにアッラーのお怒りが彼らにふさわしいものとなり、罰が下りました。彼らの犯した罪のためにアッラーは彼らを全滅させました。サーリフと彼と共に信仰した人たち以外はすべて滅びました。これがこの章の最後に要約された物語です:
「サムード(の民)は,その法外な行いによって(預言者を)嘘付き呼ばわりした。かれらの中の最も邪悪の者が(不信心のため)立ち上がった時,アッラーの使徒(サーリフ)はかれらに,「アッラーの雌骼駝である。それに水を飲ませなさい。」と言った。だがかれらは,かれを嘘付き者と呼び,その膝の腱を切っ(て不具にし)た。それで主は,その罪のためにかれらを滅ぼし,平らげられた。かれは,その結果を顧慮されない。」
アッラーはサムードの民がアッラーの使徒サーリフを嘘つき呼ばわりしたのは、「その法外な行いによって」つまり、彼らの悪行(不信と罪において度を越すこと)が原因となっていると言われています。「かれらの中の最も邪悪の者が(不信心のため)立ち上がった時」彼はサムードの中で最も悪い者で、Qadaar Bun Saalifといい、悪さをしないようにとアッラーが警告したにも拘らずラクダを殺すために立ち上がりました。「それに水を飲ませなさい」ラクダに水を与える際に害を加えてはいけない、これが水を飲む日は決められており、あなたたちが飲む日も決められている、という意味です。「だがかれらは,かれを嘘付き者と呼び,その膝の腱を切っ(て不具にし)た」つまり、アッラーの使徒サーリフを彼らは嘘つき呼ばわりし、彼のうちで最も悪い者がラクダを殺した、という意味です。代名詞が全員となっているのは、彼らがラクダを殺した者の行いを認めているからです。「それで主は,その罪のためにかれらを滅ぼし」つまり、アッラーは彼らを滅ぼし彼らの不信と預言者を嘘つき呼ばわりしたとこととラクダ殺しという罪のために彼らに罰を付け加えられる、という意味です。「平らげられた」つまり、彼らに破滅を同等のものとし、また彼らを罰で覆った、という意味です。彼らの若い者、年配者の上に罰は下り、彼らのうち誰一人として留意する者はいませんでした。「かれは,その結果を顧慮されない」つまり、アッラーは王が自ら行うことに恐れを抱くようなことはありません。なぜならアッラーは自らが行うことに関して尋ねられることはないからです。
続けてアッラーは天において誓われます:「天と,それを打ち建てた御方において」つまり、この天と、それをお創りになり、高くされた御方アッラーにかけて、という意味です。この天が含む数億にのぼる数の天体の存在は、それを創造した神の偉大な力の象徴となっています。
アッラーは大地において誓われます:「大地と,それを広げた御方において」つまり、この大地と、それを平らにして人間と動物が生活できるようにしてくださったアッラーにおいて、という意味です。
最後に、アッラーは人間の魂において誓われます:「魂と,それを釣合い秩序付けた御方において」つまり、魂を釣り合い秩序付けた御方アッラーにおいて、という意味です。かれは、発明の頂点と言える人間の体の各部分をお創りになり、また思考の道具となる理性を人間にお与えになりました。そして話すための舌、見るための目、聴くための耳、匂うための鼻、生活の糧を得るための両手両足なども人間にお与えになりました。
続いてクルアーンは、人間の特徴でもあるアッラーが人間の魂に植え付けた善悪や導きと迷いを見分ける力の解明に移ります。アッラーは言われました:「邪悪と信心に就いて,それ(魂)に示唆した御方において(誓う)。」つまり、人間の魂に行うべき善行や服従行為、また放棄すべき悪行を明確にした、という意味です。また、アッラーは人間の魂に善の道と悪の道を表した、とも言えます。
その後、誓いの答えがされます:「本当にそれ(魂)を清める者は成功し」つまり、自分自身の魂を罪から清め、善行で成長させた者は成功する、という意味です。その中で最も高位なのは、畏敬の念で魂を成長させることです。「それを汚す者は滅びる」つまり、自分自身の魂を罪で覆い隠してしまい服従や善行で輝かせない者は損をする、という意味です。汚す(Dass)は元来、隠すという意味を持ちます。
続いてクルアーンは、サムードの民と、彼らの預言者サーリフ(平安あれ)に対する不服従の結果として被った罰の話に移ります。解説をする前に、クルアーンに登場する物語の目的と、本当のサムードの民の物語について説明します。
諸預言者の物語の目的:クルアーンに登場する諸預言者の物語の目的は、アッラーの満足という吉報、かれに背くことに対する警告です。また、イスラーム的ダアワの基礎の説明、預言者(平安と祝福がありますように)と彼に従う者の心の強化、彼の預言者性の証明という目的もあります。クルアーンは、諸預言者の物語の中から、訓戒を得られる部分を選んでいます。ユースフ(平安あれ)の物語のように、連結性を持ちながら話の詳細述べることがありますが、大抵の場合、ムーサー(平安あれ)のように物語の一部分が述べられます。それは、求められる教訓がそこにあるからです。クルアーンはその物語が有名であることに基づいて、物語の一部分を述べます。
諸預言者の物語は詳しくまた長々とした形で、また短縮された形で繰り返されます。ここにクルアーンの奇跡とクルアーンの言語における正則性が現れています。 そしてクルアーンはサムードの物語を要約してこの章の中で述べています。そのため、クルアーンの違ういくつかの箇所に登場する言葉を参照しながらこの章を明解にすることが好まれます。
サムードの物語:アッラーは使徒サーリフを彼の民であるサムードに遣わし、彼らに訓戒し、アッラーにお仕えすることへ呼びかけ、偶像崇拝をやめるように諭しました。サムードは遠い昔のアラブ系部族で、ヒジャーズの北側にある、現在はサーリフの町と呼ばれているアル・ヒジュルに住み着いていました。サムードの人たちは彼らの使徒がもたらしたものを信じず、またサーリフが示した真実の道を歩むどころか、彼を嘘つき呼ばわりしたのでした。彼らはサーリフに彼がアッラーの使いであることを証明するムウジザ(奇跡)を持ってくるように要求しました。彼は普通とは違うように創造されたラクダを連れてきて、人々にこのラクダに悪さをしたりしないように命じました。アッラーはこのラクダに決められた日に水を飲むように定められ、人々にはこの日とは違う日を定められました。そしてラクダに害を加えたときには罰をくだすであろうと警告されました。
ラクダは彼らの間にしばらく存在し、大地の草を食み、ある日に水を飲み、またある日には飲まずにいました。この状態を保つラクダを目にしたサーリフの民の多くが彼の使徒性を認めるようになりました。しかしこの事実は地位の高い人々を憂慮させることとなり、ラクダを殺そうとしました。そうしていけないとサーリフは彼らに警告しましたが、彼らは恐れることなどありませんでした。彼らのうちの不幸者がラクダの住処へ赴き、彼らの同意の許ラクダを殺してしまいました。そのためにアッラーのお怒りが彼らにふさわしいものとなり、罰が下りました。彼らの犯した罪のためにアッラーは彼らを全滅させました。サーリフと彼と共に信仰した人たち以外はすべて滅びました。これがこの章の最後に要約された物語です:
「サムード(の民)は,その法外な行いによって(預言者を)嘘付き呼ばわりした。かれらの中の最も邪悪の者が(不信心のため)立ち上がった時,アッラーの使徒(サーリフ)はかれらに,「アッラーの雌骼駝である。それに水を飲ませなさい。」と言った。だがかれらは,かれを嘘付き者と呼び,その膝の腱を切っ(て不具にし)た。それで主は,その罪のためにかれらを滅ぼし,平らげられた。かれは,その結果を顧慮されない。」
アッラーはサムードの民がアッラーの使徒サーリフを嘘つき呼ばわりしたのは、「その法外な行いによって」つまり、彼らの悪行(不信と罪において度を越すこと)が原因となっていると言われています。「かれらの中の最も邪悪の者が(不信心のため)立ち上がった時」彼はサムードの中で最も悪い者で、Qadaar Bun Saalifといい、悪さをしないようにとアッラーが警告したにも拘らずラクダを殺すために立ち上がりました。「それに水を飲ませなさい」ラクダに水を与える際に害を加えてはいけない、これが水を飲む日は決められており、あなたたちが飲む日も決められている、という意味です。「だがかれらは,かれを嘘付き者と呼び,その膝の腱を切っ(て不具にし)た」つまり、アッラーの使徒サーリフを彼らは嘘つき呼ばわりし、彼のうちで最も悪い者がラクダを殺した、という意味です。代名詞が全員となっているのは、彼らがラクダを殺した者の行いを認めているからです。「それで主は,その罪のためにかれらを滅ぼし」つまり、アッラーは彼らを滅ぼし彼らの不信と預言者を嘘つき呼ばわりしたとこととラクダ殺しという罪のために彼らに罰を付け加えられる、という意味です。「平らげられた」つまり、彼らに破滅を同等のものとし、また彼らを罰で覆った、という意味です。彼らの若い者、年配者の上に罰は下り、彼らのうち誰一人として留意する者はいませんでした。「かれは,その結果を顧慮されない」つまり、アッラーは王が自ら行うことに恐れを抱くようなことはありません。なぜならアッラーは自らが行うことに関して尋ねられることはないからです。
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