■ラッコマンの喫茶室■

北海道からオリジナルフォーク、クルマの話題などを発信します。

サーファーのメッカ 浜厚真海岸

2007-04-13 | ラッコのつぶやき



北海道厚真町の浜厚真海岸です。
サーファーの皆さんの間では人気のある海岸ということです。
残念ながら、ラッコはサーフィンはできません。
でも、この海岸に腰を下ろしていると不思議なくらいに落ち着けます。
やっぱり人間は海から生まれた生き物なのでしょう。

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6 コメント

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Unknown (hosihitaro)
2007-04-13 20:40:12
私も、種子島育ちだから、潮の香りが、波の音が、大好きです。
そして、海に沈む夕日を見るのが、日課みたいなものでした。
種子島の砂浜は、砂鉄がたくさん含まれているので、薄黒い粒の砂の層があったりします。
昔から良質の鉄が得られて、鍛冶屋さんが沢山いて、そこに鉄砲が持ち込まれたのですから、歴史って面白いですね。
話が横道にそれてしまいました。失礼しました。
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Unknown (ラッコマン)
2007-04-13 20:57:18
hoshiさん、こんばんわ。
種子島は憧れますね。

鉄砲伝来の地ですから。
日本の戦国時代を決定付けた地、1543年(以後予算かかる)でしたよね。

ラッコマンは鉄砲伝来の地、種子島と、邪馬台国の地には深い思い入れがあります。
邪馬台国は岡山だと自分で勝手に想像しています。
(笑)
なぜなら鉄が産出されるからです。
鉄こそが「力」になったと思います。
種子島、一度は行ってみたい所ですね。
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Unknown (hosihitaro)
2007-04-13 21:15:21
種子島は、文化的にも面白い位置にあるようで、平家の落人が居たり、紀州の漁師が来たり、根来の僧侶が鉄砲繋がりで居たり、堺の商人が鉄の道具を求めに来たり、ちょっと琉球にも似た、色々な藩の損得勘定から、何処にも支配されない、自由な中継基地だったみたいです。
私の母方の先祖には、鉄砲用の火薬の製造を担当した「笹川小四郎」がいます。私は、その血を引いたのか、化学屋でした。
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Unknown (ラッコマン)
2007-04-13 22:21:18
>私の母方の先祖には、鉄砲用の火薬の製造を担当した「笹川小四郎」がいます。私は、その血を引いたのか、化学屋でした。

いや~!
hoshiさん、奇遇ですね。
実は私の父は、鉱山の分析をやっていた化学屋でした。
(笑)
定年退職して今は、元気に庭木の手入れをしています。
ラッコマンは父に対するライバル意識のせいか、化学は大嫌いでした。(^^;
残念~!
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Unknown (hoshitaro)
2007-04-13 22:29:13
今は、天文と、写真と、音楽が趣味のオヤジです。
嫌わないでぇ~。

明日は、ラッコマン研究日にしようかな。
特選コラムをじっくり読ませてもらいますね。

そう言えば、K(ケイ)さんが掲示板で待っていましたよ。
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Unknown (ラッコマン)
2007-04-13 22:52:39
化学で覚えていることといえば、「すいへいりーべぼくのふね・・・・」だけですね。(^^)
いつも赤点ギリギリでした。
化学のできる人、尊敬しま~す。
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