人 形 の 目
【主な登場人物】
親旦那 上女中・お絹 丁稚・定吉 若旦那夫婦ほか
【事の成り行き】
昨年の6月にテレビが壊れてからというもの、夜のくつろぎタイムはもっ
ぱらレコード鑑賞と決め、音楽を楽しめる程度にまでボリュームを上げ、結
構大きめの音で聞き込んでいます。
幸いなことに、わたしの住まう鉄筋長屋の床・壁はかなり良心的に防音対
策されているとみえ、経験上、隣り上下の物音が筒抜けになって聴こえてき
たということがありませんので、多少大きめの音でも大丈夫でしょう。
聞きますところでは、世間では音の問題で苦労されることが多いとか、そ
の点ありがたいことだと感謝しています。と感謝しつつも、もし隣りの生活
音が漏れ聴こえたとしても、それはそれでまた楽しみ方を見付け出せるよう
な気もします。
ただし、音の種類を選ぶのは当然のことなのですけど……(2008/01/20)
* * * * *
え~、よぉこそのお運びさまでございまして、ありがたく厚く御礼を申し
あげますが。
世の中ちゅなまぁ面白いもんですなぁ、毎日まいにちがコロコロ、コロコ
ロ変わります。何がどないなってんのんか分からん、てなことはぎょ~さん
にありますが、もぉなぁ~んでも変わってしまいまっさかいに「三日見ぬ間
の桜かな」ちゅなことを申しましたけども、この頃はもぉ三日どころの騒ぎ
やおまへん、一日(いちんち)で世の中がゴロォ~ッと変わってしまう。
まぁあのぉ~、妙な話が字ぃひとつにいたしましてもその通りで、字ぃて
あのオイド患う痔ぃ~やおまへんで、あの書くほぉの字ぃ。これ、おんなし
「し」に点々ですがね、上向いて「字ぃ」ちゅうのんと、下向いて「痔ぃ~」
ちゅうのんとえらい違いで。
この、書きます字が昔とただ今とではずいぶん変わりました。同じ日本の
字がどぉ違うかてなもんですが、縦に書くとき、こら昔も今も一緒でござい
ますが、横書きの場合が変わった。
日本の字を横に書くとき、こらもぉ今誰でも迷う人ないんで、左から書い
て左からお読みになりますが、昔はあれ、右から書いて右から読んでたんで
んなぁ。そぉ言われてみると、わたしらでもうっすらと覚えとります。
わたしがまだ子どもの時分、小ぃさい可愛(かい)らしぃ、人さんにボンボ
ン、ボンボンと言われてた、そぉいぅ子ぉと遊んでた時分にね……、遊ぶぐ
らい遊ばしとくなはれ。その時分にはね、カタカナの字ぃなんか右から書い
てました。
「ルービヒサア」とかね「ルービンリキ」「ルービロポッサ」「ルービス
ビヱ」ビールばっかりよぉ覚えてますが、で、あれが戦後になりましてあっ
ちこっちからいろんな国の方がお越しになったん。まぁそぉいぅ方たちと揃
えにするほぉがよかろぉといぅんで、昭和二十二年の十一月に国の定めると
ころとなって、あれがみな左から書くよぉに統一されたんです。
今でこそ誰でも、迷わんと左から書いて左から読みますが、今まで右から
書いて右から読んでたやつが「さッ、今日から左から」ちゅわれるとややこ
しぃ。ねぇ、右から読む癖が残ってまっさかい。
慌てもんの奥さんなんか、レストラン入ってメニュー広げてね「すみませ
ん、チンラの日本一つ」チンラの日本て何や知らん? 本日のランチとこぉ
「チ、ン、ラ、の、日、本」とこぉなるわけです。
本日のランチがチンラの日本になるぐらいは罪が軽い。本日のランチやさ
かい「チンラ」とこぉいけまっせ。これもしあんた「フルーツポンチ」てな
あんた、ヘヘヘヘッ……、わて何にも言ぅてしまへんで、そっちゃ側が何考
えたか、そこまでは責任よぉ持たんからね、わたしゃ。
ですからもぉ、昔とただ今とではずいぶんと違いますよ。言葉でもね、こ
の頃、通用せん言葉ちゅなずいぶんありますですなぁ。あの~、妙な話です
が、この頃若いお方、原語で言ぅたほぉがお分かりにならん。チョメチョメ
てなこと言ぅたほぉがよぉ分かる。
昔、あんな本ありましたなぁ、あの×(ぺけ)がいっぱい書いたぁる、丸や
三角や四角のいっぱい書いたぁる本。一生懸命、中へ字ぃ当てはめて読んだ
もんです、伏字の本ちゅなねぇ。
あれあんた、戦後になってそぉいぅもんが解禁になって、○○やら××や
ら何にもなしで、ちゃんと書き下ろしたやつ読んだら、ちょっともそんなん
と違いまんねんあれね。
「男は○○をさぐった」と、こぉ書いたぁるとですな「どこ探りよったん
やろ? この○○は何やろ?」いろいろ想像して「手がどのへんいったんや
ろか?」とか思て読みまんがな。
ほんであんたそれ、伏字ののぉなったん見たらでっせ「男は懐中をさぐっ
た」て、それやったら何もあんた○○も××もせんでよろしぃねん。そんな
んがよぉありました。ですから、○○とか××とかいぅたほぉが想像力がた
くましなる。
こら、大阪弁なんかでも通用せんよぉなりましたんが「すまんだ」とかね
「隅っこ」ちゅうたら分かりますけど、スマンダちゅうたら分からしまへん
がな。あの「♪はしりのし~たのね~ずみが」ちゅなこと言ぅてね「ネズミ、
スマンダへ入りよった」どこへ入ったんや分かれへんこれね、今の方。
それにこの「ほとびる」ちゅな言葉も使わんよぉになりましたなぁ「いつ
までお風呂へ入ってんねんアホやなぁ、この子わ。笊(いかき)持ってすくい
に行かんならんほど入ってるわ、もぉほとびてしまうで」ちゅなこと言ぅて
ね、よぉわたしら子どもの時分言われました。
あれやっぱり「ほとびる」ちゅうと、何となしにブヨブヨなった気がしま
すけども、あれ「いつまで入ってんねんな、ふやけるがな」ちゅわれると、
何や豆腐(高野)みたいな気がしてね「ふやける」ちゅうのんと「ほとびる」
いぅのと意味は一緒でしょ~けども大きな違いで。
お風呂なんか入りまして指の先なんかシワシワになってね、ほとびてくる。
ふやけるちゅうとなんか、豆腐かね、干瓢が戻りそこのぉたよぉな気がしま
すけども。ほとびるとか、すまんだ、あぁいぅ言葉はあって欲しぃなぁ思い
ますけども。
でもあの、昔は何でもこの手作りの良さちゅなもんがありましたんでね、
何でも誂える。ちょっとえぇもんがあると大事にしました。正月まで置いと
いて正月に下ろそか。この頃、盆も正月ものぉなりましたさかいね、昔はあ
んた、何でもちょっとえぇもんがあると、お正月まで残しといてお正月に下
ろそ。そんなん、ありましたもんなぁ。
サラのもんはお正月に下ろそ、ちゅな気がありました。せやからあんた、
十一月にね、結婚式挙げても嫁はんとなぁ~んにもせんとね、嫁はんのほぉ
は「この人、何でなんにもしはらへんのやろ?」ちゅなこと言ぅて、で、里
へ帰って親に相談して、親も「そらおかしぃ、あれからもぉひと月も経つね
んさかい」言ぅて。
であんた、先方へ聞ぃてみたら「いえ、あんまり真っサラやったさかいに、
正月に下ろそと思て……」そんなことはまぁないでしょ~が、そぉいぅ楽し
みいぅのがありましたが。
船場のあるご大家で、お家(おえ)はんが亡くなりました……
お家はんとか御寮人(ごりょん)さんといぅ言葉も、今だんだんのぉなりま
したけど、お家はんといぅのは親旦さんのほぉの奥さんがお家はんでね、
若旦那のほぉのお嫁さんが御寮人さん。
ほれからあんた、嬢(いと)はん小嬢(こい)さんね、中んちゃんてなこと、
昔言ぃました。谷崎の世界ですなぁ。なかなかこぉいぅのはね、生半可な学
力では言えまへんねんで。わたしら学習院の土木科出てるだけで、これだけ
のことが言えますが。
でこの、お家はんが亡くなりまして、親旦さんが一人、まだお元気でお残
りになってる。と、若旦さんご夫婦のほぉも「まぁ、お父さんもあの歳やさ
かいに、後添えがなかったら何かと不自由(ふじゅ~)やろなぁ」と思いはし
ますもんの、親っさんは親っさんで若旦那に対して何となしに気兼ねがある。
◆お父さん、どぉです、後添えでもおもらいになったら
■何を言ぅてんねん、わしゃそんな歳やありゃせんがな。
強がり言ぅたもんの、上(かみ)の女衆(おなごし)さんでお絹さんちゅうの
が、やっぱりこの、お家はんがないあと、まめまめしく親旦さんの身の回り
の世話をしてるうちに、ヒョンなことからヒョンな具合(ぐわい)になったんで。
ほんであんたもぉ、この親旦那のほぉも「お絹、お絹」と、こぉ。
若旦那のほぉも「ははぁ~ン、あぁ、そぉか」と思たもんの、
これもよぉでけた若旦那でございますから、
御寮人さんと二人で見て見ぬ振りといぅやつ。
これがお家はんが、母親が生きててのことなら家の揉めにもなる、
世間さまにも恥、といぅことになるかも知れんけれども
「もぉお袋も死んでしもたあとのこっちゃ、
わしらが後添いを勧めるぐらい元気な父親やねんさかい、
まぁ、そのぐらいのことがあっても……」
このお絹さんには格別の手当てをしまして、それとなしに
「まぁまぁ、頼むで」てなぐあいで黙認といぅ形でね、
大目に見てたんですが、それはそれでやっぱり親旦さんのほぉ、
なんぼ若旦那夫婦が知ってるさかいにちゅうて、
大っぴらちゅうわけにはいきまへん、何となしに人目を忍ばんならん。
思うよぉに思うことがでけん、ちゅうもんですわなぁ、
そらねぇ……、あの~……、
そぉするとまた若旦那のほぉでも
「そぉやなぁ、いっぺんぐらいはお父っつぁんに、思うさま思うことさしたげたいな」
あるときに、ふと思い立って
「今日はもぉお店を休みにしょ、お店を休みにして、店中みんなで芝居観に行こやないか」
と、今で言ぅ従業員慰安会ちゅなもんですなぁ。
昔のことですからそんなことは申しませんで
「今日はお店を総じまいにして、家中で芝居観に行こ」
昔の芝居といぅのは朝早よぉに始まりまして、晩遅そぉまで通し狂言です。
今のお芝居と違いましてね、歌舞伎の時分ですから、朝早よぉから晩までお芝居がある。
朝早よぉ、店中のもんがお弁当こしらえて芝居へ行ってしまう
「お父さんはお歳やさかい、残ってとくなはれ。
その代わりに、あのお絹を付けときまっさかいに」
こぉ言ぅてやれば、一番無難で、
一日中したいことしてもらえるやろ。
なかなかさばけた若旦那ですなぁ、段取りス~ックリした。
まぁ、店を空にしてしまうといぅわけにもいかんので、丁稚の定吉に申し含めまして、
「定や、こなた気の毒じゃが、またいつぞや暇みてゆっくり芝居やったげるで、
今日は店番を頼みますでな。
奥は親旦さんとな、お絹がいてくれるさかいに、親旦那のことは心配せんでえぇ。
お前は店のことさえ気ぃ付けててくれたらえぇさかい、
留守番頼みましたで」
と、お店ご一統(ごいっと)連れまして若旦那、朝早よぉからバ~ッと芝居へ出てしもた。
朝のうちはお目覚めになりましてゴチャラゴチャラと朝ご飯食べたり、
何やかんや片付けもんしてるうちに昼になる、
昼からもぉすることない、ねぇ、親旦さんとお絹さんと差し向かい。
■なぁお絹、こないして気兼ねなしで二人になったん久しぶりやなぁ。
昼日中(ひるひなか)からといぅのも何じゃが、こっちおいでぇな
●親旦さん、そんなん……、ですか、あのぉ~、けどぉ~……
■けど、何やねん? 気になることがあるのかい?
●いや、あの、お店に定吉っとんが
■あいつがいよるんや。あら、いたってコマシャクレて鬱陶しぃ丁稚やねんなぁ、
何じゃらと。
そぉじゃ、定吉をな、使いに出しましょ、それならよかろぉ……
■定(パンパンッ)定はいませんかな?
▲へぇ~いッ!
■ビックリするがな、大きな声を出して。
お前みたいなやつはないでホンマに。
サボるだけサボって、ネキ来て大きな声で返事すんねん、
ビックリするがな。
いや、ちょっとな、お使いに行てきてもらいたい。
▲あの、けど今日は若旦さんが「お前は店のこと、目ぇ光らしてないかんさかい」
とおっしゃりましたんで、わたしお店が大事でござりまっさかい、
今日だけはお使い堪忍してもらいます。
■そない切り口上でもの言ぅことないやないかいな。
なんぼ若旦那さんが言ぅたとて、
わしゃな、若旦那の父親(てておや)や、
わしの言ぅことは倅(せがれ)が言ぅのも一緒。
わしが許すからえぇのじゃ、使いに行とくれ。
▲あの、けど、旦さんおっしゃっててでおました
「店のことはお前に任す」と
■「店のことはお前に任す」はえぇねけどもな、
わしがこないして言ぅてんねんさかい
▲ん~ん、わたい使いに出したら、親旦さんだけが残りまんねんなぁ?
お絹さんとなぁ……、わてが邪魔になるさかい?
■これ、何ちゅうこと言ぅねん。
いぃえぇな、そやありゃせんがな、いやいや、
こないだからな、気になってることがあんねや。
ほいで、ちょっと使いに行てもらいたいと思てな。
どぉや、その代わりに若旦那に内緒で、
わしが余分にお使い賃やるが、どや?
▲あッ、お使い賃いただけまんのん?
へいッ、へぇへぇ、ほな行て参じます。
あの、どこへ行きまひょ?
■あのな、松屋町(まっちゃまち)のな、
津田屋さんといぅ人形屋さんがあるやろ、
前にも行てもろたことがあったなぁ、
あそこへ行てきてもらいたい。
▲あぁさいですか、ほであの、何ちゅうて?
■ん、わしがな、こないだうちから頼んだぁった人形がな、
もぉボツボツでけてる頃じゃ。
できてたら頂戴して帰ります。
できてなんだら「いつ頃できあがりますか?」
といぅことを尋んねてきてもらいたいのじゃ。
■いや、お代のほぉはえぇ、またあとあと向こぉから番頭さんが取りに来なはる。
お使い賃はそこへな、なにしてやるさかいに行てきとぉくれ
▲あぁさいですか、どこ行きまんのん?
■いやあの、松屋町の津田屋さんといぅ人形屋さんじゃ
▲あぁあぁ、なるほど津田屋さん。何ちゅうて?
■いや、あのな、こないだからわしが頼んだぁる人形があるのじゃ、
でけてたら頂いてくる、
でけてなんだら「いつ頃できあがりますか?」
と日を尋んねてくるのじゃ。
▲あぁ、そぉですか、で、どこ行きまんのん?
■松屋町の津田屋さんじゃッ
▲何ちゅうて?
■人形の催促ッ
▲どこへ?
■津田屋さんやッ
▲何ちゅうて?
■えぇかげんにしなされッ、この子わッ!
■いぃえぇな、そない大人なぶりしてんねやないがな。
いつもならな「早よ行といで、早よ帰っといでや」と言ぅとくことじゃが、
今日はこないしてお店ご一統が留守、
お前もまぁ気にすることはない、
キコンカイにブラブラ行てきたらえぇわ。
■あぁそぉそぉ、お前ラムネが好きやったなぁ、
帰りにな、ラムネも飲んだらえぇさかいな。
これやっとくでな
▲あッ、こないぎょ~さんいただけまんのん、
おおきに、ありがとぉさんでござります。
早速に行て、なるだけ早いこと……
■いや、それが要らんといぅのじゃ。なるべくゆっくり行ってきたらえぇ、
お休みのこっちゃ、の~んびりと行ってきたらえぇんじゃ
▲けど、あの「お使いは早よするよぉに」と、
常日頃から旦さんに言われております
■「今日はかまへん」と言ぅてるやろがな、この子わ。
■ほなお前、ラムネでだけで気がいかんのやったらな、
冷やし善哉なと食べたらえぇさかい……
▲あッ、こんないただけまんのん?
もぉ、こんだけいただいたらわたい、
特急で行て……
■いや、特急で行かんでもえぇんじゃそれは。せやさかいな、
ゆっくりと行といで、頼んましたで
▲へ~いッ。
この丁稚がさぁ、一筋縄ではいかんやつでおます。
こんだけ小遣いよぉけくれて
「ゆっくり行といで」親旦さん、あのお絹さんと何ぞするに違いがない
「行て参じま~す」
下駄の音を大きい音さしてガ~ラガ~ラ、ガ~ラガ~ラ、
表の戸をバタ~ンッと大きな音さしといて、
下駄脱いでソ~ッと入る。
戻って来よってからに、縁の下のスマンダのほぉへゴチョゴチョゴチョと、
こぉ入ってしまいよった。
そんなことは知らん親旦さんのほぉ、
■お絹、もぉ心配することはない、
定はな、あないしてお使いに出しましたでな。
いつもな、こなたとな、ゆ~っくりと話がしたかった。
周りの人目がある、
こなたも辛抱してくれてる、
あぁすまなんだなぁ。
■今日はゆっくりとお茶でも飲んでな、
いやいや、お茶入れに行かんでもえぇ
「お茶でも飲んで」といぅのは言ぅただけのことじゃ、
こなたがネキにいてるほぉがえぇ、
これお絹こっちぃ……
■まぁ、可愛(かい)らしぃ手ぇじゃ、
こないしてゆっくり手ぇも触ったことないねやがな。こっちおいで
●旦さん、そんな……
■そんなもこんなもあれへん、
気にすることはあれへん、
定はもぉあっち行たんやさかい
●そぉですか……
ちゅなことで、ゴジャラゴジャラ、ゴジャラゴジャラと始まった。
まぁ、そのうちに男と女ですから、
なるよぉになりますわなぁ。
親旦さんのほぉもあんた、
年がいもなく大っきぃやつを大きしましてからに、
ピンコシャンコ、
ピンコシャンコとあんた、ねぇ。
真っ昼間でございます、
男のほぉは昼間は昼間でこらまたえぇもんやそぉですけども、
お絹さんのほぉ、そら恥ずかしぃ。
キュ~ッと目ぇ瞑(つむ)ってなはる。
■これ、お絹、わしゃなぁ、
いっぺんこなたにな、
言(ゆ)いたいゆいたいと思てたんじゃ。
こなたは目ぇ千両といぅほどえぇ目をしててじゃ。
その、こなたの目がな、
チラッとわしを見ただけでムラムラッとしたもんじゃが、
こないしてこんなときになるとお前、
キュ~ッと目ぇ瞑ってるじゃないかい。
■なにか? この年寄りの皺の顔を見るのが嫌さに、
そないして目ぇ瞑るのか?
お前、この年寄り見るのが嫌やさかい、
そないキュ~ッと目ぇ瞑るのか?
●いえ旦さん、そんなことおへんのんどす
■「おへんのどす」て、お前キュ~ッと目ぇ瞑ってる。
●いえ、あの、絹が目ぇ瞑るのは、あの~、
もぉ辛抱できんよぉになんのんどす
■「辛抱できんよぉに」何が?
●「何が?」て旦さん、イケズ。
そんなこと聞かんと……、
わたしがパッチリ目ぇ開いてるときは、まださほどのことはないんです。
ス~ッと薄目になったときは、もぉ良ぉなってきたときで、
キュ~ッと目ぇ瞑るのは、もぉ良ぉて良ぉてたまらんときです。
■あぁそぉか、目ぇキュ~ッと瞑るのはえぇのんか、
知らんもんやさかい。
ほなほれ、もっと目ぇ瞑れもっともっと、ほれッ。
こないしてやろか、こないしたら目ぇ瞑るか?
これッ、もっと目ぇ瞑れッ
●うッ、旦さん、そんなことあそばしたら……
■どぉじゃ? もっと目ぇ瞑れ、えぇ具合か?
●さッ、どぉぞこのまま、このまま……
■潤(ほと)びるまでか?
よっしゃ、よっしゃ……
て、もぉあんた一生懸命、家鳴(やなり)り振動。
ここまでくると下で聞ぃてた丁稚のほぉもたまらんよぉになりやがって、
バタバタ~ッと這い出して来るなり、
下駄の音ガタガタガタ~ッ……
▲ふぇ~いッ、ただいま
■あぁビックリした、何をさらすねん。あぁビックリした、心臓に悪いわい。
お絹、慌てんでもえぇ、定吉じゃがな。わしゃ何が走り込んで来たんか、
イノシシの仔が走り込んで来たんか知らん思て……
■定、こなたみたいな使い上手はないぞ、
表ノロノロ、ノロノロ帰って来くさったに違いないのに、
家ん中入ったら俄かに走りくさんねん。
あ~、ビックリした。
お使いはちゃんと行てきましたんかいな?
▲ちゃんと行て参じました。
松屋町の津田屋はんでおます
■ん、ほんで頼んどいた人形はどやて?
▲あの人形は「まだできてまへん」ちゅうてまんねんけどな
■人形がでけてないか、いや、早よぉから頼んだぁったさかいに……、
で、いつ頃できると言ぅてなさった?
▲え? えぇ~? いや、あ~、いや、パ~ッ……
■何を言ぅてんねん……、まだできてへんのは分かるわいな、
いつ頃できるとおっしゃっててやった?
▲いえ、その、あの、こぉ、あのね、人形屋はん「考えてます」ちゅうてました。
■何を考えてるねん?
▲いえ、あの、人形はね「おおかたできてまんねんけども、
目ぇが難しぃ」ちゅうて
■「目ぇが難しぃ?」人形の目ぇには鈴を張れちゅうて、
人形さんの目はパチ~ッと開いてるのがえぇに決まってるやないかい。
▲そぉでっか? そら言ぅてまへんでしたで、目ぇパチッと開いてんのはね、
あんまりえぇことないんですて。
ちょっと細目になったときがね、だいぶん良ぉなってね、
もぉキュ~ッと目ぇ瞑ってんのが、良ぉて良ぉてかなんて。
■聞ぃてくさったな、このガキャ……、糞ガキッ!
親旦さんも腹立ちまぎれ、ネキにあったキセル振り上げてカ~ッと睨みなはった。
丁稚思わずダ~ッと走りよる
「このガキャ何をさらすねや」
キセル振り上げて、年がいもなく親旦さん追いかけなはる。
丁稚はあっち逃げこっち逃げ、逃げ場を失のぉてお風呂場へ飛び込みますと、
水の張ったぁる風呂桶の中へザボ~ンと入りやがった。
■こんなとこ入りくさってこのガキャ。
よし、出られんよぉにフタしたるぞ。
こらッ、これでもか、悪いやっちゃ、これでもか
▲親旦さん、堪忍しとくなはれ、堪忍しとくなはれ。
このままズッと、ここへ入れといとくなはれ、このままズッと入れといとくなはれ。
■こんなとこ、いつまで入ってるつもりじゃ?
【さげ】
▲へぇ、潤びるまで入れといとくなはれ。
【プロパティ】
ボン・ボンボン=令息。坊ちゃん。息子の愛称。目下の者が言うと敬称、
目上の者が言うとき愛称になる。
昭和二十二年の十一月に国の定め=1942(昭和17)年7月、文部省国語審議
会が「左横書きを本則とする」答申を出したが閣議提案されなかった。
戦後になり1946(昭和21)年、読売報知新聞が見出しに左横書きを適用。
1951(昭和26)年10月、国語審議会審議決定した「公用文作成の要領」
(1952(昭和27)年4月内閣官房長官依命通知)により指針が示され、
1960(昭和35)年前後より地方自治体の文書規定に定められるようにな
る。明治期より外国語、数学、音楽、また理工系の専門書では左横書
きであった。
すまんだ=隅っこ・隅のほう。
スマクタ=すまんだ:隅っこ・隅のほう。すま・すまんこ・すみくた。
走り=台所の水まわり。ものを洗った水を流し走らせるところから出たも
の。
潤(ほと)びる=乾燥していたものが水を吸ってやわらかくなる。ふやける。
ホトは女性の陰部、迸(ほとばし)る、火照(ほて)る、熱(ほとぼ)る、
辺・畔(ほとり)なども同系統の言葉と思われる。
笊(いかき)=ざる。
サラ=新品。新しいこと。新規。手付かず。強めてサラッピン。
お家=家のうち、畳の上。転じて、その家のうちに住む主婦のことを指し
ていう。お家さん。おえはん。
~はん=さんの転訛。すぐ前の音がイ段・ウ段・ンの場合はさんのまま。
ア段・エ段・オ段に限って「はん」となる。ただしすぐ前の音が、シ
・ス・チ・ツ・トの場合は、それらの音は促音化する。また「やん」
は「さん・はん」より「ちゃん」に近く、より親しい感じである。
御寮人(ごりょん)さん=商家など中流家庭の若奥様の称。
嬢(いと)はん=お嬢さん。「いとけない」また「いとしご」の「いと」。
「はん」は「さん」の転訛。トウサンともいう。
上(かみ)=商売に直接関係しない家庭生活に関する場所。商家特有の言葉。
奥向き。また、庭、炊事場を下というのに対して座敷をさす。
上(かみ)の女中=店の賄いや雑用をする下の女中にたいして家の中、家族
の身の回りの世話をする女中。上(かみ):商売に直接関係しない家庭
生活に関する場所、奥向き。商家特有の言葉。
女衆(おなごし)=下女・はしため。雇われた順あるいは年齢順に、松竹梅
からとってお松どん、お竹どん、お梅どんと呼んだ。長じるとお松っ
つぁん、お竹はん、お梅はんとなる。決して呼び捨てにはしなかった。
すっくり=すっかりの行訛。すっきり。そっくり。さっぱり。きれいに。
残らず。全部。すべて。
一統(いっとう)=一つにまとめた全体。一同。おしなべて。いちように。
昼日中(ひるひなか)=真昼中。まっぴるま。⇔夜夜中(よるよなか)。
コマシャクレル=子供が大人びている。小生意気である。
コマシャクレ=大人くさいことをする子。
ねき=根際? そば・かたわら・きわ。対象が人の場合は「はた」を使う
ことが多い。
切り口上=形式ばったかたくるしい話し方。
ボツボツ=ぽつりぽつり・徐々に・ゆっくり。ボチボチ。
キコンカイ=のんびりと。だらだらと。気長に。キコンは根気の倒置「気
根」であろうが、カイは快であろうか? 解であろうか?
ラムネ=日本起源の炭酸清涼飲料水。レモネード→ラモネード→ラモネ→
ラムネ、ばんざ~い。ビー玉式のラムネは1888(明治21)年に大阪の徳
永玉吉が研究・開発に着手、爆発的に広まったという。
ぎょ~さん=たくさん・はなはだ・たいへん。大言海には「希有さに」の
転とある。「仰々しい」のギョウか?「よぉけ→よぉ~さん」たくさ
ん、の訛りかも?
冷やし善哉=善哉を冷やしたもの、餅の代わりに白玉を入れる。
善哉(ぜんざい)=東京のしるこに対して、大阪ではぜんざいである。しる
こはこし餡であるが、ぜんざいは小豆のはいったしる粉といってよく、
大阪では、元来しるこを「こしあんのぜんざい」といった。仏が弟子
のことばに賛成し誉める言葉「善哉(よきかな)」からとったもの。
よぉけ=よけい・余り・余分。転じて、たくさん。
イケズ=いじわる。根性悪(こんじょわる)。
かなん=困惑する。適わない→適わん→かなん。
くさる=するという意の下品な悪態口に用いる補助動詞。腐るであろう。
ヤガル・サラス・ケツカルなども同じ意。
ガキ=子ども、また相手をいやしめていう語。ガキや→ガッキャ、ガキは
→ガキャ。
さらす=するの罵語。やがる・くさる・けっかるなどの補助。さらしてけっ
かる。
音源: 露の五郎(五郎兵衛) 1986/08/09 (コロンビア)