60代 スッキリ行こう🐦

還暦過ぎた!
これからも、心の向くままケセラセラ。

三陸の海に思う

2013-08-21 15:28:31 | 震災後の日々

昨日の雨は午前中であがってしまった。
それでも、それを境に気温が落ち着き、
今日は30度前。

30度と35度では全然違って、過ごしやすい。




今朝の読売新聞朝刊の文化欄の「海に思う」
三陸、大船渡の医師、山浦玄嗣さんの記事が胸に残ったので、ちょっとここで紹介しようと思う。

あの大震災の後、海からニキロ離れた医院にいた山浦氏は
患者を帰し、妻を連れ出そうと隣の自宅に戻り、
二階で服を着替える妻を待ちきれず、階段を駆け上った途端に津波が襲った。

停電で寒さに震え、黒い汚泥に覆われたガレキの山も、多くの人の死も見たという山浦氏は、
こんな話をしたという。

「近くの水道屋が、二階から眺めてたら、ありとあらゆるものがダーっと流れてきて、
おじさんが女房の手をつかんで泳いできたんだって。
それで窓をあけて身を乗り出してね、「おめえさま、こんなところで何してました」と聞いたんだ。
そしたら、おっつあんがさ「いやあ、おれも好きでこんなことをしてるわけではないんだけどな」って答えたんだな。
この辺の人は、ユーモアがあるべ。アハハハ」
・・・・・

海とは一体、何なのですか・・という問いに山浦氏は
「そんなこと、生活に密着しすぎていて答えられねえ」
「・・・ジャーナリストはよく、そういう聞き方をするんだ」


三陸地方は再三、津波の被害に遭ってきた。
明治29年の津波で母方の一家11人が亡くなり、
昭和8年の津波には、その村の半分が流された。
山浦氏は、小さな頃から見たことのない津波の夢をよく見たという。

だから、震災がなぜ起きたのか・・と問うことに意味はないのだと話す。

「ここに住めば、30年~40年に一度必ず津波を体験する。それは仕方がねえことです。
 どうせ人間は死ぬ。理不尽なようにできている。家流された、親が死んだ。そいつをぐっとのみ込んで、故郷を再建するしかねえ」

「この世は、神様が造った。何かのために自分は造られたのだから、「こいつはいい奴だ、めんこい奴だ」と思っていただけるよう、
心の耳を澄まし、目を凝らし、神さまに何をすれば喜んでいただけるかを考え、行動するんです」

幼い頃からのカトリック信者である同氏は、そうおっしゃるそうです。





未だに、被災地にはナカナカ行けない私。
・・・

理屈なんてない、何度傷つけられても、故郷に家を建ててまた住み続ける
あの地域の、「あまちゃん」の舞台の三陸の人々が持つ
スコンと抜けた、明るさ。人間の真髄に迫る素朴さ。簡潔さ。



そうなのよね。
どうせ理不尽な世界に私たちは生きている。

いつかは死ぬのだから、自分の心の耳を澄まし、

私のことだから、神さまの為にも誰のためにもならないかもしれないけど、
素朴に正直に残りの人生を楽しみたい!! と近頃強く思うのです。


しかし、ほんまに・・・
好きでこんなことしてる訳ではねえんだけどな・・・・・そら、そうやわな!!






(上の写真は、ネットの画像をお借りしました。震災の前? 美しい!!)







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東日本大震災から二年

2013-03-10 21:58:56 | 震災後の日々

3月10日の夜です。

外は暴風が吹き荒れている。
あの日から、まる二年の明日を前にして、
多くの亡き人達の荒れ狂う叫びのような
怖いくらいの風が吹いている。

東日本大震災。

その被害の範囲は広範囲すぎて、
神戸の時のように、
モニュメントが作れるような、焦点が定まるような災害ではなかったんだなあ。

岩手県の沿岸の町々の様子と
宮城県の石巻、仙台をはじめとした町々。
それから、福島県では原発の被害の為に、様相が全く違ってくる。
茨城県、千葉県まで含めると、
災害の範囲が広すぎて、大きすぎて。

もう、二年目だから、どうなった・・・なんてことは
全く一言で言えるはずもないのだろう。

同じ宮城県に住んでいても、
うちの周りでは、震災後、新しい家がドンドン建って、
人口がドンドン増えている。

それぞれで、それぞれ違う、
震災後、二年目・・。

それが現実なのだと私は思う。

増してや、大切な人をなくした人達に
二年の月日は、何の慰めにもなるはずもない。

・・・


それにしても、ここんとこの気温の高低差。
そして、この暴風は普通ではないなあ。



ただ、一つ言えることは、
あの日から、みんな
少し世界が変わった・・と思ってるはず。

何故か、あれから気候は激しさを増したし、
ノホホンと信じてた安全が、
危ういものだと知ってしまったし、

日本は災害で、昔から多くの人が亡くなる国だった事を
思い知らされたんだものね。


だからと言って、
私に何ができる訳でもない。

できることは、
家の家具を固定すること。
出かける時は、飴ちゃんくらい持っていること。

そして、家族と過ごせる時間を大切にすること。


それくらいしかできなくて。
それがわかれば十分だと思ってる。

あれから二年。
まだ、それぐらいの私です。




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電気のこと

2012-07-04 21:45:03 | 震災後の日々

七月に突入してます。

今日は暑かった~♪
仕事の会議もあったし、なんだかんだで
バタバタ忙しい一日。


仕事場は、今日はほとんど冷房が入ってなく、
節電モード・・・で暑い! 暑いと騒いでました。

電気については、今、
大飯原発再稼働を巡って、いろんな対立がありますね。


去年の大震災でライフラインが止まった経験から身に染みたこと。

電気止まったら、本当に大変!!
電気のいらない生活ができるという人は、素晴らしいと思うけど、
私は、絶対、電気が必要~~!!!

・・とあの時は、心底思いましたね。
暑さ、寒さがこたえるんですよね。生身の人間は!
暗がりの中でずっと生活してると、性格変わると思うよ~。


なので、停電するぐらいなら、
自然エネルギーに移行できるまで
暫定的には、原発もやむなしの立場なのかなあ。

少なくとも、真夏の計画停電は
本当に、命取りだと思います。

悪夢の後に考えなければならないことはたくさんあるけど、
歴史は、少しずつしか動かない。

でも、少しずついい方向に動いてる・・こともあるんじゃないかと
信じてます。





(写真は yahoo画像からお借りしましたよ)






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もうすぐ一年

2012-03-08 10:27:51 | 震災後の日々

震災後、一年が経とうとしている。

3.11なんていう言い方も好きではないけど、
あの大震災以降、いろんな価値観が変わってきているとは思う。
それまでの、無縁社会、勝ち組による成果主義が蔓延した弱肉強食社会から
民主党による、フラフラ政権に転換してしばらくしての

あの大震災。

世界中からの援助、絆の連呼。
外からの応援の声。
何かできることを届けたいと切望する人達。

そんな声のすべてに
本当に支えられた日々があるのは確かである。

私は、それを受ける側にいるのだろう。
被災者側の中にいる。外にはいない。
手をさしのべなくちゃ・・なんていう発想はなぜか絶対に浮かばないのだ。
多くを失った人の顔をまっすぐにも見られないくらいだ。


今尚、復興にはほど遠く、痛手の姿がむき出しになりつつある東北。

なんて言ったら、私の気持ちが届けられるかわからないのだけれど、

人間なんて、そう簡単なものではない。

津波が来た地域にいて助かっていても、
もう津波は来ないだろうからと
動きたくない人がたくさんいる。
無残に家族を失くした人達の心が癒える日が
いつか来ることを信じて・・なんて、簡単な言葉はかけられるものではない。

どうしても、そこを離れたくないという人達の気持ちは
理屈を超えている。

そして、その気持ちに個々に寄り添える解決法なんて、そう簡単にはないし、
私には、共感できそうにない事もある気がする。


息子さんを失くされた、娘のお義父さんも、いったん盛岡に移住を考えてマンションまで買ったのに、
やはり、釜石に戻り、小さな家を建てて住みたいとのことだ。

そうなのだと思う。
その人達の生活は、ずっとそこにあったのだから。




世代論なんて、あてにはならないのかもしれないけれど、
私の世代は、大きく言えば新人類にあてはまる世代だ。

60代の団塊の世代、50才前後の新人類、40代のバブル世代? 次に氷河期世代に、今の若者ゆとり世代ってとこなのか?

ウィキペディアによると、新人類の特徴は、当時、
「成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとるとされた。」

それではダメじゃん、なんて団塊世代なら言うのかもしれない。
社会ってなんだろうね。一定の責任と自覚はあるつもり。でも、
自分の事はさておいても、人の為に生きなさい・・という言葉に

絶対的拒否反応を起こしてしまう私がいる。
それが事実なのだと告白せざるを得ないのだ。

多様性を認める社会を目指すと言いながら、
実は、単一性をいつも求める日本社会。
一人一人が思いを口に出すのは、
言葉で言うより、とても難しいのだと思う。


正解の押し売りは、誰にもできない。
私は、自分の人生だけは責任を持って
変化を恐れず、私らしく行くしかないと思うだけだ。








コメント (2)
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放射能汚染について

2011-09-29 08:23:14 | 震災後の日々

最近になって、放射能のことについて
・・気になってきた。

この地域では高い放射能は検出されていない。
が、

こういうの見たりすると、正直びっくりする。

私ら、爺さん婆さんはいいのだけど、
高校生の息子・・。
これから子供をつくる世代のことは、心配になる。


一番気になるのは、
食品だ。

娘は、小さな子供を抱えているので、震災後から
水のこと、食品のことを気にしていた。

当然やね。
だって、毎日身体に取り入れていくものだからね。


どこかに書いてあったのだけど、
豆、いも、麦、葉物野菜、魚などがセシウムなどをとりこみやすいそう。
逆に果物などは、ほとんど取り込まないらしい。

・・しかし、葉物野菜などは近郊のものを食べざるを得ないだろうし、
魚なんて、海をグルグル泳いでいるんだから、産地なんてアテにならない。
世界の海はつながってるしなあ。。


全く、困ったもんやわ!

ほんまに、ものすごい汚染垂れ流し国になっちゃったんだね。ニッポン!

セシウムなどの測定器の精度も統一されていないだろうから、
不検出なんて表記も、本当にはアテにならない。
牛肉は全頭検査しているらしいけど、
もっと、幅広く、食品についての安全性を徹底しないと、
疑心暗鬼は広がるばかりと思います。

とにかく、子供!
子供の食べ物に、放射能なんて、あかんわ!ほんまに。。














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