60代 スッキリ行こう🐦

還暦過ぎた!
これからも、心の向くままケセラセラ。

瀬戸内の旅  その5  神戸

2012-03-31 19:40:34 | 旅・山・庭・温泉・土産・食

四泊五日の旅。最後の日。

風邪をひいたか、声が枯れて出ない私。
前の日会った友達に
「またその声ですかあ」と言われ、去年震災後の五月に大阪に来た時も
この声だったことを思い出して、びっくりする。

その時は、姫路の友達がやってる漢方薬局で
「風邪ではなく、アレルギーやで」と言われたことを思い出す。

その時は、黄砂のせいだよと言われたけれど、
今回は、しまなみの海風にやられたか・・・。

この日は息子も朝から微熱。
とにかく、思わぬ寒さで体調を崩したような私達。

今晩帰るのだから、あと一息や。。

・・・息子も仮眠をして体調が戻ったのを見て、弟宅を出る。


それでもこの日は性懲りもなく、神戸に行ったのだ。

震災後・・ここでは阪神・淡路大震災。
ゆっくり神戸に行ったのは一回だけ。

阪神の春日野道に防災センターが出来ていることをネットで知り、
息子に見せたかったから。

難波から阪神電車に乗れるのね。前からつながってたっけなあ。。

阪神沿線は、新しい家だらけ。震災前はこうではなかったはず。
それでも、もう十七年も経っているんだなあ。

阪神淡路は午前5:46 東日本大震災は午後3:46・・・。
阪神淡路の時は、息子は一歳半。午前5:46はミルクの授乳中でした。
大阪北部のマンションは、大きく揺れたけど被害はなく、住んでたそのマンションも二か月後の仙台行の為に売却済みで、あとは三月の仙台行を待つばかりでした。
あれが、まだ売却してなかったら、どうなってたのでしょう。
運命は、ちょっとしたことで大きく左右されるのだと、ずっと後になって思ったことでした。

立派なセンターです。


東日本大震災でも、ここのセンターからの支援が多々あったようで、
宮城県知事からの感謝状が貼ってある。

ここのセンター長は、震災後いつもテレビに出てておなじみの関西大学教授の河田教授です。

人と防災未来センター

館内では、特撮とCGで阪神淡路大震災が体験できるようなコーナーもあり、
生々しい気分が蘇る。
この気分は、つらいけど、忘れてはならないことなんだと思う。

地震多発期に入ったと言われる日本。
大きな地震を誰も体験したくないけど、
恐れてばかりはいられない。

首都圏直下も、東海・東南海地震も
きっと来るのだと忘れてはいけないですね。

館内には、新しく南海地震の際に想定される津波の高さを示す垂れ幕がありました。



復興した、この街に津波が襲う日が来ないようにと
願わずにはいられないのですが。。





その後、三宮から伊丹行のバスに乗り、
夜遅くに仙台に帰り着きました。


長いようで、あっという間の瀬戸内の旅。
暖かい所でホッとしたいという夢はかなわず、
春まだ遠しの寒さでしたが。

阪神淡路大震災の年に大阪から仙台に来て、十七年? 十八年?
去年東日本大震災があり、
なんだか、また大きな節目に来てる気がする。
そんな気が強くするような、印象的な旅でした。

お世話になった皆様、本当にどうもありがとう。
旅日記、見てくれた皆様も、本当にどうもありがとう。

はあ、とりあえずお疲れ様!!







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内の旅  その4 大阪

2012-03-30 19:51:19 | 旅・山・庭・温泉・土産・食

四日目の朝。今日は大阪へ向かいます。

叔父は、夕べ、「客間の外にスリッパがあるけど、誰かおるんか~」と叔母に聞いてたそうです。
・・・
すぐに忘れるのねえ。

おじいちゃんと、おばあちゃんのお墓詣りをしてから、駅へと送ってもらいました。
叔父は、運転は大丈夫なんだそうです。
始終ニコニコしてますけど、誰かは、わかってないんでしょね。。。
叔父ちゃん、また来る日までほんまに、ほんまに、元気でね。



そして、大阪へはお昼に着きました。


お昼は難波で。香港ラーメン。


みなみの道具屋筋

一旦、弟宅へ荷物と息子をおいて、私は友達に会いに出かけます。

最初に会う友達は、娘の幼馴染のよっちゃんのお母さん。
大阪で同じマンションに住み、いろんな思い出を共にしました。

娘は盛岡で二児の母になってますが、
幼馴染のよっちゃんも、最近東京で結婚、出産予定です。

娘とよっちゃんと、もう一人の三人組は、
幼稚園の頃、いろんな事件を巻き起こしたものです。

忘れられないのが行方不明事件。
出かけたのはいいけど、暗くなっても帰らない。
何処を探しても三人が見つからず、警察に届けよう・・なんて言ってた頃、
三人が首にそれぞれフロシキを巻いて帰ってきた・・。
聞くと、どこだかの見知らぬ叔母さん宅に、長々と居座っていた・・そうです。

小学校にあがっても、遠い小学校までの帰り道、
毎日同じ家の前でウ○コをして
怒られたこともあったとか、なかったとか・・。

相当な人達でしたね。

とにかく、今だに娘もよっちゃんも、キャラが濃くて、恐ろしい・・と
二人でつくづく語りあったのでありました。

仙台に来て以来、初めて会ったよっちゃんママ。
元気そうで、何よりでした。



その後夕食は、いつものヤマハ時代の友達と。


梅田の蒸し料理のお店で、一年ぶりの会食でした。



相変わらず、元気そうな皆の顔を見れてうれしかったです。

どうしても大阪では会いたい人が多くて
忙しくなってしまいますね。

この日は、弟宅で宿泊です。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内の旅  その3 松山~岡山

2012-03-28 19:27:55 | 旅・山・庭・温泉・土産・食
道後での朝。
近所の道後温泉本館へ行きました。


テレビでおなじみの道後温泉本館は、道後の中心に
昔ながらの姿で保存されています。

入浴料 一階神の湯 400円。

タオルと石鹸210円をおみやげに買う。



お風呂の中は、昔ながらの銭湯で、
まったりとしたお湯で気持ちいい。


お風呂の中で、隣のおばあさんが
「石鹸貸してあげるから」と貸してくれました。
「どこから来られたの?」と聞かれ、「仙台から」と答えると
「地震は大丈夫でしたか」と聞かれ、「大丈夫でした」と答える。
「姪が、東北大学の薬学部を卒業し、こちらへ帰ってきてからあの地震があったんですよ」とおっしゃってました。

どこでも温泉は、お年寄りの社交場です。
温泉に入る習慣のある人は、みんな元気そうですね。
ゆったり朝風呂を楽しみました。


その後、宿に戻った後、チェックアウトと同時に
松山に住む、私の従弟と待ち合わせです。
従弟は、父の妹の息子。
広島の呉育ちで、神戸の大学を出て就職してから松山にいます。
私とは、子供の時、広島で会って以来なので、数十年ぶり。


二つ下の従弟もすっかり、おっちゃんです。
昼前の列車で松山を発つので、時間もあまりない中を
松山城に案内してくれようとしましたが、
時間切れで・・・

松山城の模型だけ、拝みました。

数十年も交流がなかったんだけど、
父の死の前後から、父方の親戚とも交流が復活しています。
恩讐の彼方・・なんて言葉を誰かが言ってましたが、時が経つというのはいいこともいっぱいありますね。
松山まで来て本当に良かったです。

その後、従弟に駅まで送ってもらい、松山を後にして・・。

鈍行で、予讃線、瀬戸大橋線、岡山経由で母の里へ向かいます。




今回、二度目の瀬戸内海越えです。今度は瀬戸大橋。
瀬戸大橋が出来てから、四国はすっかり近くなりました。
次に四国に来るのはいつかしらん・・・。


夕方、母の里へ着きました。

母の里は、今、叔父と叔母の二人暮らしなのですが、
82才になる叔父は、最近物忘れが激しいと聞いてます。
でも、私の顔を見たら、ニコニコして、
「わかる、わかる」と言ってます。
・・しかし、あとの名前は出てきません。

でもニコニコ元気そうなので、安心しました。

今夜は、おじいちゃん、おばあちゃんの仏前でゆっくりです。
おじいちゃんは、母子家庭だった私達を一番心配してくれた人。
いつもいつも感謝しています。

三日目は、おじいちゃんの里でゆっくりと暮れました。






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内の旅  その2 しまなみ海道

2012-03-27 15:23:54 | 旅・山・庭・温泉・土産・食
次の日は、しまなみ海道。
因島に渡ります。

バスでも行けるのだけど、船で渡ってみたくなりました。

ホワイトドルフィン号。
この船で観光案内してくれたおっちゃんは、
たどたどしい案内なんだけど、とっても陽気で、ほのぼの良かったです。



瀬戸内海は島だらけ。

因島、土生港に着きました。


今回の旅は、息子と同行で、
この島が息子の目的の地です。
ポルノグラフィティの大ファンらしい息子は、
ここからレンタサイクルで、ここ出身のポルノグラフィティ因縁の地を巡るそうです。


息子と別れて、私はバスに乗って隣の生口島へ行くことにしました。



生口島出身の今は亡き日本画伯の平山郁夫さんの美術館へ行きました。
館長さんが、実弟の方で、お兄さんそっくりです。
広島出身と聞いてましたが、この島出身とは知りませんでした。
少年時代の絵画なども展示してあり、興味深かったです。

平山郁夫美術館

他に、西の日光と言われる耕三寺。
境内には入りませんでしたが、極彩色の門構えですね。


平日でしたが、観光客もチラホラ歩いてます。
ゆったりした島でお天気もいいのだけど、おもいがけず肌寒い日です。


ランチに、カフェに入りました。こんな雑誌を見つけ、このあたりの島には素敵な美術館がいろいろある事を知りました。
また、いつか巡ってみたいなあ。


サラダは新鮮で、パスタがおいしかった!!



それから因島に戻って、息子と合流。
息子はポルノグラフィティの二人の実家に行き、(観光で行く人多いとのこと)
ギターの人の実家の果物屋さんで、「兄ちゃん、イケメンやなあ」って八朔もらったそうです。
ボーカルの人の実家は写真屋さんで、グッズも売ってたそうで、
ポスター買ってきてました。
歌詞に出てくる浜へも行ってきたとのことで、とっても満足そうでした。
~青春って、ほんと、他愛のないことで幸福の絶頂なんだもんねえ~

その後、コインロッカー荷物置き忘れ事件が発生したりして、(バスに乗った後、気づいて急いで降ろしてもらい、タクシーで戻りました)
今治まで、船で行かざるをえなくなりました。

この船で四国、今治まで向かいます。

途中、いくつもの島に寄りました。
友達のおじいちゃんが住んでた佐島にも寄って、「ここかあ」なんて感慨深い船の旅となりました。

素敵な眺め、ご覧になりたい方・・
しまなみ海道パノラマ写真集 どうぞ!!

今治から、松山まで特急に乗りましたが、
二日目の宿、道後に着いたのは暗くなってから。
道後温泉駅

お祭りなのか、ゆかたの列が。。。

道後の湯は、初めてです。
お部屋は一日目に引き続き、シングル二つでゆったりと。
大浴場はひのき風呂で、やっと生き返りました。

二日目は、海風に吹かれ過ぎたのか、本当に寒い日となりました。











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内の旅  その1 尾道

2012-03-25 20:18:27 | 旅・山・庭・温泉・土産・食

四泊五日の瀬戸内の旅から、22日の木曜日に帰ってきておりますが、
なんせ、風邪をひいて帰ってきたのと、
23日に息子の大学結果発表があり、
まさかの合格で、急遽バタバタしておりました。

西へ旅するから・・と薄着で出かけた私を待っていたのは、
意外な寒さ。
尾道でも、松山でも、ダウン姿の人をたくさん見かけました。

服装で言うと、日本全国変わらない
先週だったようです。


少しずつ、旅のご報告をいたしますね。


今日は初日の尾道。

大阪までは、マイル使用の飛行機でしたが、
大阪から尾道は、青春18切符使用の鈍行乗継。

尾道に着いたのは午後三時頃。
ホテルにチェックインして、千光寺に向かいました。


千光寺行のロープウェイの中から






上の千光寺公園から、尾道の街、尾道水道を望む
この日は、あいにくの曇り空だったのに、
一筋の太陽が顔をのぞかせ、
キラキラと海を照らしてきれいだったわ。


公園から下った所にある千光寺本堂

尾道の街は、映画やテレビでおなじみだし、
私にとっても、懐かしい思い出がいっぱいです。
この、ひなびた感がとってもいいと思うのです。



最終のロープウェイで下に降りて、
食べログで目をつけていたお好み焼き屋に行くことにしました。

村上お好焼き


おばあちゃん二人でやっている。
一人は、お手伝いの妹さんみたい。


尾道焼きを注文。
イカ天に、スナズリが入る。

この店のご主人のお姉さんは、73才。
このお店はまだ16年とのこと。
その前は、魚の行商をしてたんだって。

働くことが好きで働き過ぎた。
だから、今になって、身体のあちこちに病気が出てきている。

「ねえちゃん、働きすぎたらいかんよ~」としんどそうに言っていたのが心に染みました。

肝に銘じないとあかんね。(心配ないと思うけど・・)


そうやって、長距離移動の一日目が過ぎたのでした。。!!






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする