四泊五日の旅。最後の日。

風邪をひいたか、声が枯れて出ない私。
前の日会った友達に
「またその声ですかあ」と言われ、去年震災後の五月に大阪に来た時も
この声だったことを思い出して、びっくりする。
その時は、姫路の友達がやってる漢方薬局で
「風邪ではなく、アレルギーやで」と言われたことを思い出す。
その時は、黄砂のせいだよと言われたけれど、
今回は、しまなみの海風にやられたか・・・。
この日は息子も朝から微熱。
とにかく、思わぬ寒さで体調を崩したような私達。

今晩帰るのだから、あと一息や。。

・・・息子も仮眠をして体調が戻ったのを見て、弟宅を出る。
それでもこの日は性懲りもなく、神戸に行ったのだ。

震災後・・ここでは阪神・淡路大震災。
ゆっくり神戸に行ったのは一回だけ。
阪神の春日野道に防災センターが出来ていることをネットで知り、
息子に見せたかったから。
難波から阪神電車に乗れるのね。前からつながってたっけなあ。。
阪神沿線は、新しい家だらけ。震災前はこうではなかったはず。
それでも、もう十七年も経っているんだなあ。

阪神淡路の時は、息子は一歳半。午前5:46はミルクの授乳中でした。
大阪北部のマンションは、大きく揺れたけど被害はなく、住んでたそのマンションも二か月後の仙台行の為に売却済みで、あとは三月の仙台行を待つばかりでした。
あれが、まだ売却してなかったら、どうなってたのでしょう。
運命は、ちょっとしたことで大きく左右されるのだと、ずっと後になって思ったことでした。


東日本大震災でも、ここのセンターからの支援が多々あったようで、
宮城県知事からの感謝状が貼ってある。
ここのセンター長は、震災後いつもテレビに出てておなじみの関西大学教授の河田教授です。
人と防災未来センター
館内では、特撮とCGで阪神淡路大震災が体験できるようなコーナーもあり、
生々しい気分が蘇る。
この気分は、つらいけど、忘れてはならないことなんだと思う。
地震多発期に入ったと言われる日本。
大きな地震を誰も体験したくないけど、
恐れてばかりはいられない。
首都圏直下も、東海・東南海地震も
きっと来るのだと忘れてはいけないですね。
館内には、新しく南海地震の際に想定される津波の高さを示す垂れ幕がありました。

復興した、この街に津波が襲う日が来ないようにと
願わずにはいられないのですが。。
その後、三宮から伊丹行のバスに乗り、
夜遅くに仙台に帰り着きました。
長いようで、あっという間の瀬戸内の旅。
暖かい所でホッとしたいという夢はかなわず、
春まだ遠しの寒さでしたが。
阪神淡路大震災の年に大阪から仙台に来て、十七年? 十八年?
去年東日本大震災があり、
なんだか、また大きな節目に来てる気がする。
そんな気が強くするような、印象的な旅でした。
お世話になった皆様、本当にどうもありがとう。

旅日記、見てくれた皆様も、本当にどうもありがとう。

はあ、とりあえずお疲れ様!!
