眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

鈍色の空と90代のご夫婦

2025-01-17 15:53:25 | 日々の雑記帳
1月16日のあさ空。
今日も雲が多く、日の出は見えません。


雲間から少しだけ強い光が雲の向こうにあるのを感じます。


がん治療病院から電話で、何か予約の変更があるのかしらと思ったら、なぜか「エコー下採血があります」という連絡で、いつものように「?」の私。それはもう、指示が出されていたので、「なぜ、今さら?」な気持ちだったのですが、これはいつものことなので、「はい。わかりました。おうかがいします」とおこたえ。うーん。毎度のことながら、どこか行き違いのあるご連絡(笑)


前日の鉢植え用のお花を持って、おとなりにうかがったら、奥様が出て来られて、「まあ、こんなにきれいなお花を」と、とても喜んでくださいました。「(私)さんがひとりで頑張っているのに、何もできなくてごめんなさいね」とやさしいおことば。こちらこそです。
うちの両親より少し年上でいらっしゃるので、いつも親目線でお話をしてくださるのが、もう家族のいない私にはとてもうれしいひととき。以前は、私が名前入りで仕事をしていると、それをご夫婦できちんと見てくださって、読んでくださって、褒めてくださって。母の介護をひとりでしているのをいつも心配していただいて来ました。
「元気でいるうちにやってあげないとと思っているのに。年を取ったら頭の方もまあ、ぱあーっとなっちゃって」と、おっしゃっていたけれど、私から見れば、とてもしっかりしていらして、驚くほどです。100歳超えてもお元気でいて欲しいというのが、私の願い。
おうちもいつもきれいにしていらして、私の放置庭に比べて、手入れが行き届いていらして、いつも反省するばかり。以前はお弁当なども作って差し入れしていましたが、最近は、お弁当の宅配を頼んでいらっしゃるご様子なので控えていましたが、また、おいなりさんでもお持ちしようかしら。
いつも齟齬のある病院からの連絡より、お話に全く齟齬がない90代ご夫婦です(笑)

おとなりは公務員でいらして、あちこちの転勤が多く、定年退職でようやく家を建て替えられてお住まいになられたのが、あれはもしかすると、55歳定年だったのかしらと思ってみます。私も家を離れていたので、詳細の記憶はないけれど、当時は55歳定年ではなかったのかなと。父は60歳定年で、おとなりの方が随分、早くにリタイアなさった印象でした。
どこにも再就職をなさらずにいらしたのは覚えていますから、ざっと40年は年金生活をなさっていたということになりますね。そうやって考えると、定年後の暮らしの長さというのが、実感できる気がします。
父も再就職はしなかったものの、70歳すぎに亡くなりましたから、10年ほどの年金暮し。父の世話は相当に手がかかりましたが、自分が父の年齢に近くなると、父が職から離れることができ、自由に定年後の暮らしを過ごせたのはよかったなと思います。

ゆう空。一日、鈍色の空でした。



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