かなり遅れたために高速を使った。高速を出て中勢バイパスの車の流れを見ているとそれほどでもない。中勢バイパスから津西の裏側に回り込む。こっちの老人ホーム隣の臨時駐車場はちょっと遠い。早歩きで傾斜を駆け上がる・・・発表の15分前。
15分前でこんな雰囲気だ。目を凝らすと一人、草原を悠然と歩くがごとくの学生がいる。・・・オーラで気づく、誠紀だ。俺は運動場へ降りる階段脇に腰掛け身体を休めている。少しは増えたが、まだまだ例年の賑わいとは程遠い。
誠紀がどうやら俺に気づいたようで、近づいてくる・・・歩調は相も変わらずそよ風に押されるような歩みだ。俺に顔を近づけて、「誠紀です」 「知っとるわい!」 誠紀に言う。「今日はおまえの番号はあっても喜ばないし、なかっても慰めることはしない。今日は受験生に捧げる日や。どちらにしろ、自分で噛みしめる。感激が後悔か分からんけど、自分で噛みしめるんや」
発表1分前に発表・・・遠巻きに眺めていた学生服が緩慢に動き出す。最初に掲示板をのぞき込んだ女の子2人が抱き合って喜んでいる。その嬌声が空虚な発表会場に響く。俺も立ち上がる、まっすぐに掲示板に近づいていける。・・・あった。誠紀の73番、愛の68番、ともにある。誠紀はともかく、愛は不安だった。なにせ内申が31・・・全県模試の追跡調査だと内申31での津西合格は過去10年間に3人しかいない。つまりは定員の10%、第三次合格枠しかなかった、ボーダー得点は年によって変動する。190から200点あたりだ。
俺が安堵していると、俺の斜め前で誠紀がじっと番号を見つめている。振り向いて俺に近寄り、「・・・番号、ありました」 「知っとるわい!」
「言葉は何も言わんけど、写真を撮っておこうや」と携帯を取り出す。しかし誠紀、笑わんよな。俺のこと嫌いか? 隣のお父さん、「お二人で写真を撮りましょうか」 ・・・たぶん、受験生とその祖父とでも思ったのだろう、恐縮しながら断る。「じゃあ、誠紀またな」 今度は傾斜のきつい坂を速足で下りていく。
県文の駐車場にプリウスを置いてひたすら歩く。調整池に沿ってゆったりと歩く高齢の女性、年齢は俺と同じくらいか。歩みを止め、路傍に咲く花に視線をめぐらす。再び歩き出してはまた立ち止まり、木の新芽にも視線を投げかける。あんな穏やかな人生もある・・・どこで人生しくじったのかと思いやりながらも津東に到着、透き通るような紺碧の空・・・津東の印象はいつもいつも紺碧の青だ。
掲示板の番号を確認する・・・344番、内申は29だったが有輝也は津東なら順当だった。点数だけなら津西も十分あったが、過去に内申29で津西に受かった生徒はいない。関係者は20台は採らないと俺に明言もしている。馨五(28期生・三重大学教育学部4年)に連絡して受かっていることを伝える。馨五は、もう塾に戻っている。
さっき愛がお母さんとやって来た。「もうダメだと思ってましたからびっくりして・・・」とお母さん。
ともあれ内申31で津西に合格・・・塾の歴史を紐解けば10年以上も昔、22期生の良幸以来。塾の後輩たちにとれば、この合格は内申が今いちの生徒にとり一筋の光明だ。