昨日に続き、今日のやる気の感じられないブログ・・・まやぞろ病気が出てきやがったな、との憶測・・・そこそこ当たってるかな。また同時に、期末試験の佳境に入った。狂奏曲の真っ只中という高ぶりもあるのだが。
睡魔に苛まれることなく午前1時を過ぎるまで塾に居続けた瞭を眺めながら、ついつい誤解されがちな20期生論でも始めてみようかと思いきや、深夜となり征希来襲。当然、召集済みの古西もしばし後には顔を揃え闘牌がスタート・・・今日の朝まで半荘10回を数えたところでゲームセット。
古西は午前中から伊賀上野でサッカー教室、俺にしたところで期末待ったなし!の過酷な一日が始まった次第。
試験開けの南郊中・嬉野中、そのなかで塾に姿を見せたのはクニだけ。さっそく私立高校受験を見据え英単語と歴史からスタート。私立の試験はマークゆえに筆記は避け、音読。ただひたすらに音読。例えば歴史なら・・・
1000年から1050年、つまり11世紀前半は摂関政治の時代で、藤原さんは道長と頼道の親子。この時代は浄土と呼ばれる天国があったから、お寺をたくさん造ることで天国にいけると思てた。だから造る造る、頼道が10円玉の裏の宇治は平等院鳳凰堂をつくった。造った人は寄木造で有名な定朝。でもこの頃に東北地方で蝦夷の反乱が起きて頼道びびる。前九年と後三年の役。役は「えき」と読んで、日本人と外国人との戦いの時に使う言葉。蝦夷を日本人扱いしてない、かわいそうやね。その戦いを平定したのが武士の源さんやけど、朝廷が後三年の役を私闘やて言うて、つまり街のケンカやから褒美やらんと言うたんで義家が部下に自腹を切って払ってあげた。これに部下となった武士たち感動して、これから源氏は関東地方ではええ顔するようになった。
さて金持ちだけが天国、つまり浄土に行けるんはおかしい!って人が出てきて、これが浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞ていう鎌倉新仏教になっていくねん。
こんなやつをやたら作り、この時期に覚えてもらうわけだ。