津高担当の馨五(28期生・三重大学教育学部3年)は俺より早く塾に到着・・・そこへ朱莉と遼大が帰ってきたそうで、俺に連絡。
津高ではなく、さらなる高みを目指し始めた12月。あの50日間にわたる勉強はこれからの人生で無形の財産になると信じている。ともあれ、津高合格おめでとう。
朱莉を家まで送り塾に戻ると・・・
蓮がいた。預かったときは学年50番くらいだっけ、少し教えてみて伸びるなと思った。「頑張れば10番くらいにはなるかな」と言った。数学の苦手意識を潰すのに時間がかかった。完全に払しょくしたとは思っていない、ただ標準問題を嫌がらずに解こうという意識は持てるようになったと思う。3学期明けに15番、そして最後の実力テストが12番だっけ・・・もう少しでイメージ通りだったと思うのは俺の感想、どちらにしろ津西なら無風だったと思う。津西進学後にさらなる高みを・・・。
そして34期生のモドリッチこと莉世。
莉世はこの1年間本当によくやってくれた。風呂にも入らず、受験期には食事もとらない俺をどのように眺めていたのか・・・怖くて聞けない。ただ、祖父と言っても通用する俺にすれば、莉世には何であれ仕事をする人間の原風景のような光景だけは伝えておきたかった。
この1年間、ほぼ休むことなくともに塾で過ごした。この経験がこれからの人生で逆風が吹いた時の支えに少しでもなればと願う。
自粛の連鎖に抗えずにカラオケ大会を中止と決めた。痛恨・・・中3はもとより、高1も高2もひそかに期待していたと聞いた・・・大学生たちもだ。俺は朱莉のアカペラを聴いてみたかったよ。