不動院と天海と東照三所大権現(5)
天海僧正は、「ソース顔」?
ここで、ちょっと一休みな話題を一つ。
今回の展示では、絵画や彫刻の天海僧正の肖像をいくつか
集めましたが、それらをよく見てみると…あることに気付
きます。
それは、天海僧正のお顔立ちについてです。
絵画ですと、不動院、本覚院、全水寺、輪王寺のもの。
彫刻ですと、不動院、輪王寺のもの。
これらを観察しますと…
①眉間が突出し、眼窩も横長で四角く大きい輪郭。
②濃い眉毛。
③二重瞼。
④鼻根は低くへこむが、鼻背が高く大きい鼻。
⑤太く厚い下唇。
⑥大きく垂れ下がるような耳たぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/43/220325c299ba1223e69228211a4db1e9_s.jpg)
慈眼大師(天海)坐像(不動院所蔵)(№58)
これらの特徴は…といいますと、
「縄紋人」タイプとされる顔の特徴ですね。
今時?は、ソース顔なんて言われたりしているようです。
ここから察するに、天海僧正は男性的な濃いお顔立ちで、
若い頃は彫りが深く、ある意味日本人離れした
エキゾチックなハンサム…
だった…かもしれません…。
天海僧正は、会津出身ですが、東京大学大学院理学研究科の
調査によりますと、現在も福島県には縄文人の遺伝的
特徴を備えた方が少し多くおられるようです。
天海僧正は、父方から縄紋系の特徴を受け継いだと考えら
れますが、須藤光輝著『大僧正天海』(1916年9月20日)
には、天海の父は在地の武士船木兵部少輔景光、母は
芦名盛常の娘とありますが、これとも符合しそうです。
このお顔の特徴こそが、「会津人」としての天海僧正の
アイデンティティーに関わっているのかもしれませんね。
天海僧正は、「ソース顔」?
ここで、ちょっと一休みな話題を一つ。
今回の展示では、絵画や彫刻の天海僧正の肖像をいくつか
集めましたが、それらをよく見てみると…あることに気付
きます。
それは、天海僧正のお顔立ちについてです。
絵画ですと、不動院、本覚院、全水寺、輪王寺のもの。
彫刻ですと、不動院、輪王寺のもの。
これらを観察しますと…
①眉間が突出し、眼窩も横長で四角く大きい輪郭。
②濃い眉毛。
③二重瞼。
④鼻根は低くへこむが、鼻背が高く大きい鼻。
⑤太く厚い下唇。
⑥大きく垂れ下がるような耳たぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/43/220325c299ba1223e69228211a4db1e9_s.jpg)
慈眼大師(天海)坐像(不動院所蔵)(№58)
これらの特徴は…といいますと、
「縄紋人」タイプとされる顔の特徴ですね。
今時?は、ソース顔なんて言われたりしているようです。
ここから察するに、天海僧正は男性的な濃いお顔立ちで、
若い頃は彫りが深く、ある意味日本人離れした
エキゾチックなハンサム…
だった…かもしれません…。
天海僧正は、会津出身ですが、東京大学大学院理学研究科の
調査によりますと、現在も福島県には縄文人の遺伝的
特徴を備えた方が少し多くおられるようです。
天海僧正は、父方から縄紋系の特徴を受け継いだと考えら
れますが、須藤光輝著『大僧正天海』(1916年9月20日)
には、天海の父は在地の武士船木兵部少輔景光、母は
芦名盛常の娘とありますが、これとも符合しそうです。
このお顔の特徴こそが、「会津人」としての天海僧正の
アイデンティティーに関わっているのかもしれませんね。