稲敷資料館日々抄

稲敷市立歴史民俗資料館の活動を広く周知し、文化財保護や資料館活動への理解を深めてもらうことを目的にしています。

特別展「常刕江戸崎不動院」の見どころ!(15)

2022年03月17日 | 日記
不動院と天海と東照三所大権現(6)

徳川家康のお葬式

徳川家康が、元和2年(1616)4月17日に没しますが、
それ以前に以下のような遺言を残しています。

臨終候はば御躰をば久能へ納。
御葬禮をば增上寺にて申付。
御位牌をば三川之大樹寺に立。
一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。
勧請し候へ。

大凡の意味は…
亡くなったら遺体を駿河国久能山に納め、
葬礼は、江戸の芝・増上寺に申し付け、
位牌は三河国大樹寺に立て、
一周忌が過ぎた後、日光山に小さなお堂を建て、
(霊を)勧請し(神として祀れ)なさい。
という所でしょうか。

ちなみに、この時、芝・増上寺で徳川家康の葬儀
(中陰法要)を取り仕切ったのは…
江戸崎・大念寺の開山僧である源誉慶巖(げんよ・けいがん)
なのです!


…しかし、家康の遺言には、遺体を駿河国久能山に納め、
とあるので、芝・増上寺には、ご遺体がありませんでした。
そこで、葬儀は、中陰法要(初七日法要)という形で
実施された、ということのようです。

大念寺は浄土宗ですが、三河国の松平氏も浄土宗を一門
の宗派としていたようです。
そして、家康は、増上寺の国師・存応と、師檀の契約を
結び、源誉慶巖は存応の後継者の一人と目されるほどの
学僧だったと言われています。

そして、一周忌が過ぎた頃、家康の霊は日光山に
勧請されることになるのです。