5月29日。
この日は、先日、当館までお越しいただいた
日本画家の小林恒岳先生のアトリエにお邪魔
いたしました。
先生のお住まいは、旧八郷町で笠間市に
隣接した山の中腹にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0e/0d/ab0b205fb8763dc2e57445ad0282c17b_s.jpg)
先生のお宅は、資料館から車を走らせておよそ2時間弱。
先日はこの道のりを先生が自ら運転なさって
資料館まで来て下さったことを考えると、
再び頭の下がる思いがしました。
今回、恒岳先生をお尋ねした目的は、先生の
父君である故小林巣居人先生の若き日の作品の
調査のためでした。
先日、恒岳先生とお話した際、小林巣居人先生が
26歳頃、江戸崎辺りを描いたと思われる作品が
ありますとのお話をいただきましたので、今回は
その作品を実見するための訪問です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/24/2d07bb1c9641ad7d1fdb23e66e31dae3_s.jpg)
この作品は「白鷺」という題で、大正11年、
日本橋三越で開催された第3回中央美術社展に
小林巣居人先生が出品されたとされているもので、
当時の巣居人先生の行動範囲を考えると
霞ヶ浦の南岸、江戸崎付近の風景だろうと
恒岳先生は考えておられるようでした。
ちょうど江戸崎の「吹上」から榎ヶ浦、対岸の
古渡を見渡した景観は、茨城百景や江戸崎八景に
選ばれてもいますし、この絵のイメージとも
矛盾しません。
当時は「吹上の松」という巨大な松の名木が
あったことも知られており、その周辺も今と
違って松林が広がっていたことも考えられます。
この作品は、今年度の企画展で展示する予定
ですので、是非実物をご覧になって、これが
どこの景観なのか皆さんも想像してみてください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/a7/c6c83e922dcad501e8fd4c2712b133c5_s.jpg)
この日はお忙しい中、当館の調査を快く迎えてくださり、
恒岳先生と奥様、誠にありがとうございました。
この日は、先日、当館までお越しいただいた
日本画家の小林恒岳先生のアトリエにお邪魔
いたしました。
先生のお住まいは、旧八郷町で笠間市に
隣接した山の中腹にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0e/0d/ab0b205fb8763dc2e57445ad0282c17b_s.jpg)
先生のお宅は、資料館から車を走らせておよそ2時間弱。
先日はこの道のりを先生が自ら運転なさって
資料館まで来て下さったことを考えると、
再び頭の下がる思いがしました。
今回、恒岳先生をお尋ねした目的は、先生の
父君である故小林巣居人先生の若き日の作品の
調査のためでした。
先日、恒岳先生とお話した際、小林巣居人先生が
26歳頃、江戸崎辺りを描いたと思われる作品が
ありますとのお話をいただきましたので、今回は
その作品を実見するための訪問です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/24/2d07bb1c9641ad7d1fdb23e66e31dae3_s.jpg)
この作品は「白鷺」という題で、大正11年、
日本橋三越で開催された第3回中央美術社展に
小林巣居人先生が出品されたとされているもので、
当時の巣居人先生の行動範囲を考えると
霞ヶ浦の南岸、江戸崎付近の風景だろうと
恒岳先生は考えておられるようでした。
ちょうど江戸崎の「吹上」から榎ヶ浦、対岸の
古渡を見渡した景観は、茨城百景や江戸崎八景に
選ばれてもいますし、この絵のイメージとも
矛盾しません。
当時は「吹上の松」という巨大な松の名木が
あったことも知られており、その周辺も今と
違って松林が広がっていたことも考えられます。
この作品は、今年度の企画展で展示する予定
ですので、是非実物をご覧になって、これが
どこの景観なのか皆さんも想像してみてください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/a7/c6c83e922dcad501e8fd4c2712b133c5_s.jpg)
この日はお忙しい中、当館の調査を快く迎えてくださり、
恒岳先生と奥様、誠にありがとうございました。