PCにダウンロードしていた作品たち。個別に感想を書くと行が足りない。
が、飛び抜けて一つ、語りたい作品がある。
『ひぐらしのなく頃に』オリスク「虚崩し編」である。
「祭囃し編」が世に出た2006年から制作が始まり、
完成したのは(『うみねこ』も終わっている)2015年という大作。
「ヘイトあり」という注記に、ずっとためらっていた。
読むと確かに、原作への批判が痛烈の極み。
園崎家のお魎や茜へ突きつけられる「忌み子」の問題。
雛見沢の住民全体へ突きつけられる「村八分」の問題。
そして、そもそも梨花と羽入のループが起こる原因への追求。
原作では流された、各人の犯した“罪”が、これでもかと糾弾される。
「悪い事をしたけど可哀想だから許してあげよう」という
加害者寄りの考えは全て否定され、
「他人様に悪い事をしたのだから責任を取れ」という
被害者寄りの考えが貫かれる。
読んでいる途中、何もここまでしなくても……
と不愉快な気持ちにさせられるのは、しかし書き手の想定内。
苦しくも全部読み終えて、思い返して、
そこで初めて、読んで良かったと思えた、不思議な作品だ。
今の自分が欲していた作品は、ここにありました。
どんな事情があろうと、悪い事は悪い。
たとえ架空の話でも、人を死なせる重みを知れ。
そんな当たり前の真実が、今は恋しい。
それでは。また次回。
が、飛び抜けて一つ、語りたい作品がある。
『ひぐらしのなく頃に』オリスク「虚崩し編」である。
「祭囃し編」が世に出た2006年から制作が始まり、
完成したのは(『うみねこ』も終わっている)2015年という大作。
「ヘイトあり」という注記に、ずっとためらっていた。
読むと確かに、原作への批判が痛烈の極み。
園崎家のお魎や茜へ突きつけられる「忌み子」の問題。
雛見沢の住民全体へ突きつけられる「村八分」の問題。
そして、そもそも梨花と羽入のループが起こる原因への追求。
原作では流された、各人の犯した“罪”が、これでもかと糾弾される。
「悪い事をしたけど可哀想だから許してあげよう」という
加害者寄りの考えは全て否定され、
「他人様に悪い事をしたのだから責任を取れ」という
被害者寄りの考えが貫かれる。
読んでいる途中、何もここまでしなくても……
と不愉快な気持ちにさせられるのは、しかし書き手の想定内。
苦しくも全部読み終えて、思い返して、
そこで初めて、読んで良かったと思えた、不思議な作品だ。
今の自分が欲していた作品は、ここにありました。
どんな事情があろうと、悪い事は悪い。
たとえ架空の話でも、人を死なせる重みを知れ。
そんな当たり前の真実が、今は恋しい。
それでは。また次回。