飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

等分除と包含除の系統性

2023年06月10日 11時21分24秒 | 算数科
3年生でわり算が出てくる。
わり算のイメージとして、わけるという考えがあるので、同じ数ずつわける等分除を最初に教科書では扱っている。
その分けるという活動を具体物を通して、理解する。
その上で、半具体物から抽象的な思考へと発展させた上で、包含除へが出てくる。

この流れの中で繰り返し出てくるキーワードがある。
それは、「全体の数」「いくつ分」「1つ分の数」の三つ。
わり算の答えを出す数式と同様に、言葉の式でも何ども言い換えている。

単純なわり算の計算式なら比較的簡単にできる。
九九さえ覚えていればできからだ。
仮の商を立てる段階になると少し難しくなるが。

このわり算の学習の中で、等分除と包含除をどの程度意識させ、区別させる必要があるのだろうか。


二つの考え方を今一度整理してみる。
わり算には2つの考え方がある。
等分除 (全体量)÷(いくつ分)=(一当たり量)
包含除 (全体量)÷(一当たり量)=(いくつ分)

等分除の問題は次のようになる。

 アメが15個あります。
 これを5人の人に同じ数ずつ分けると、1人分は何個になりますか?

包含除の問題は次のようになる。
 アメが15個あります。
 これを1人に3個ずつ配ると、何人の人に配ることができますか?

子どもたちは立式して、答えも出すことができるだろう。
しかし、この式の意味の違いははっきり理解しているようにみえない。
できることと理解することとは別問題なのである。

等分除は1人が何個もらえるかを問う「1つ分の数」の問題ですある。
それに対して、包含除は逆に何人に配れるかという「いくつ分」の問題である。
算数の内容理解には、操作活動を欠かすことはできない。
この操作方法を経験することにより、言語が実際の生活場面の中でのできごととしてイメージすることができる。

等分除はトランプを配るように1人1人にアメを1個ずつ配っていき、最後に1人にいくつ配れたかを考える。
これに対して包含除は1人に3個ずつあげていき、最後に何人に配れたのかを考える。

この2つのわり算、等分除と包含除の考え方の違いをしっかりと押さえることが今後の学習の発展において大きな意味を持つ。
高学年になると算数の内容も高度になりかなり難しくなってくる。

特に5、6年生で「速さと時間と距離」の関係が出てきたり、「割合」が出てくると内容理解ができない子がふえる。
その要因となっているのが、「1つ分の数」、「いくつ分」、「全体量」という数の関係がいろいろと形を変えて出てくるからだ。
例えば「距離」、「時間」、「速さ」の関係で言えば次のようになる。

(速さ)×(時間)=(距離) (例)時速4kmで3時間歩くと12kmの距離歩ける
(距離)÷(時間)=(速さ) (例)12kmの距離を3時間で歩いた時の時速は4km
(距離)÷(速さ)=(時間) (例)12kmの距離を時速4kmで歩くと3時間かかる

この場合「1つ分の数(一あたり量)」は「速さ」(時速は1時間当たりどの位の距離進めるか)にあたる。
「いくつ分」は「時間」、「全体量」は「距離」にあたる。
このように、算数の学習は系統性と発展性をもって配列されている。
既習事項をただ単に利用して、新たな課題を解決するだけでなく、同じ事柄であっても姿を変えて繰り返し出てくることもある。
そのことを考えて系統性をもって授業者は学習を進める必要がある。

この学習は3年生で学習した内容と同じであることを、割合のところで思い出させる必要がある。

saitani
コメント
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