飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

三浦綾子氏の言葉

2024年05月19日 05時07分23秒 | 人生論
艱難は忍耐を生み、忍耐は錬達を生み、錬達は希望を生む。
そして希望は失望に終わることはない。   新約聖書

ギプスベッドに寝たきりになった数年間、母は便器の世話をしなければならなかった。
五十二歳から六十五歳まで、寝たきりの私のために外出もままならかった。
そんな私に母は不平一つ言わず、綾ちゃん、どんなに長いトンネルでも限りがある。
必ずトンネルを出る日が来るよと励まし手くれました。

父親がよく言っていた言葉も忘れられない、という。
「綾子、弱く生んで済まなかったな」
謝らなければならないのは、幾年月たくさんのお金を使わせ心配をかけた自分なのに、そう言ってくれる父親の言葉にこもる優しさがみにしみ、三浦さんを勇気づけてくれたという。


神様が何か思し召しがあって、私を病気にしたんだと思っています。
特別に目をかけられ、任務を与えられた、と。
いい気なもんですね。


人生は思わぬ展開をするものですね。
自分の思い通りに動くものではない。
けれど、神の御手にゆだねて一歩一歩進めば、いつの間にか絶望が希望に変わっている、ということがある。


どんな暗い時代も希望を持とう。
どんな時も意気消沈してはならない。
  カール。バルト

saitani
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