授業中に子どもたちに課題を与え、答えと同時に考え方もノートに書かせる。
論理的ということは、言語化できるということだ。
音声で説明できることも大事だが、音声と文章とどちらが論理的かと言えば圧倒的に後者だ。
授業中によく目にする光景。
練習問題を解かせて黒板に書かせる。
そして発表させる。
「この計算の答えはいくつになりますか?」
子供
「342です。」
教師
「では、筆算の仕方を発表しなさい。」
子供
「説明はできません。」
この子は何を理由に、発表を拒むのだろう。
恥ずかしいから、面倒だから、答えは出せるが説明はできないから。
このどれも、何一つ子ども本人のためになることはない。
説明できて初めてできたと言える。
インプットと同時にアウトプットをすることにより格段に理解が深まる。
こんなことは当たり前なのに、それをやろうとしない。
物事は何でも趣意説明が大事だ。
特に高学年になると、指示だけでは納得しない。
なぜ、それに意味があり、いやでもしなければならないかを納得しなければ行動しないか、不満を持つようになる。
こんな研究結果がある。
学習の法則である。
教育学者エドガーデールの「学習の法則」。
物事をどれくらい覚えていられるかという内容。
あることを覚えて以下の行動でだいたい何%覚えていられるか。
・読む…10%
・聞く…20%
・見る…30%
・見て、聞く…50%(人の方をみながら、絵や図など示されたものを見て聞く)
・言ってみる…70%(声に出して読む、音読を含む)
・書いてみる…70%(知ったことを書いてみる)
・人に教える(説明する)…90%(知ったことを人に説明してみる)
教室ではよく発表者の方を向いて話を聞くように指示する。
その意味を教師は説明しているだろうか。
「それは発表している人への礼儀です。」
その言葉も意味はある。
しかし、最近の子どもたちはエビデンスを説明しないと納得しない子もいる。
この研究結果からすると、ただ単に聞いているよりも、見て聞いた方が2倍以上の効果がある。
視覚的な要素もあるが、このことは教師がきちんと音声情報だけでなく、視覚情報も補足しながら授業をすすめることの大切さも物語っている。
例えば、「この分数は約分します」と言葉でいうだけでなく、黒板の計算の過程をできるだけ言語化する。
これは授業におけるキーワード「思考の言語化」にも通ずることである。
この原則を知っているだけでも、教室の中には救われる子がいるのである。
子どもたちには次のように話す。
物事を覚えるには効率の良い方法があります。
例えば、算数の公式を覚えるとします。
長方形の面積=たて✕横を覚えるとします。
先生から、この公式を覚えなさいと言われたら、覚えられるでしょうか。
なかなか難しいです。
なぜなら、たいていの人はじっくりと見るだけだからです。
みるだけでは、30%の効率性しかないからです。
先生から、この公式を5回以上言って、覚えたら座りましょうと言われたらどうしょうか。
こちらの方がしっかりと覚えられます。
効率性は70%にはねあがります。
さらに、「となりの人に説明しましょう。」と言われ説明をしたらさらに効率性は90%になります。
人が、物事をしっかりと早く覚えるには活動を多くするしか方法はありません。
言ってみる、書いてみる、説明してみる。
このことが大事です。
算数の問題を大きな声で読んでいる人がたくさんいますが、素晴らしいです。
そちらの方が、問題の状況をイメージしやすいし、答えを書くときにも間違いが少なくなります。
なぜなら、大きな声で言っている方が、その問題文の内容の確認と理解が早いからです。
声に出す、見る、読む、人の方を向いて聞く、説明する。
本気でするのが大事なのです。
こんなふうに趣意説明することに学級の子どもたちは変わっていくのではないか。
saitani
論理的ということは、言語化できるということだ。
音声で説明できることも大事だが、音声と文章とどちらが論理的かと言えば圧倒的に後者だ。
授業中によく目にする光景。
練習問題を解かせて黒板に書かせる。
そして発表させる。
「この計算の答えはいくつになりますか?」
子供
「342です。」
教師
「では、筆算の仕方を発表しなさい。」
子供
「説明はできません。」
この子は何を理由に、発表を拒むのだろう。
恥ずかしいから、面倒だから、答えは出せるが説明はできないから。
このどれも、何一つ子ども本人のためになることはない。
説明できて初めてできたと言える。
インプットと同時にアウトプットをすることにより格段に理解が深まる。
こんなことは当たり前なのに、それをやろうとしない。
物事は何でも趣意説明が大事だ。
特に高学年になると、指示だけでは納得しない。
なぜ、それに意味があり、いやでもしなければならないかを納得しなければ行動しないか、不満を持つようになる。
こんな研究結果がある。
学習の法則である。
教育学者エドガーデールの「学習の法則」。
物事をどれくらい覚えていられるかという内容。
あることを覚えて以下の行動でだいたい何%覚えていられるか。
・読む…10%
・聞く…20%
・見る…30%
・見て、聞く…50%(人の方をみながら、絵や図など示されたものを見て聞く)
・言ってみる…70%(声に出して読む、音読を含む)
・書いてみる…70%(知ったことを書いてみる)
・人に教える(説明する)…90%(知ったことを人に説明してみる)
教室ではよく発表者の方を向いて話を聞くように指示する。
その意味を教師は説明しているだろうか。
「それは発表している人への礼儀です。」
その言葉も意味はある。
しかし、最近の子どもたちはエビデンスを説明しないと納得しない子もいる。
この研究結果からすると、ただ単に聞いているよりも、見て聞いた方が2倍以上の効果がある。
視覚的な要素もあるが、このことは教師がきちんと音声情報だけでなく、視覚情報も補足しながら授業をすすめることの大切さも物語っている。
例えば、「この分数は約分します」と言葉でいうだけでなく、黒板の計算の過程をできるだけ言語化する。
これは授業におけるキーワード「思考の言語化」にも通ずることである。
この原則を知っているだけでも、教室の中には救われる子がいるのである。
子どもたちには次のように話す。
物事を覚えるには効率の良い方法があります。
例えば、算数の公式を覚えるとします。
長方形の面積=たて✕横を覚えるとします。
先生から、この公式を覚えなさいと言われたら、覚えられるでしょうか。
なかなか難しいです。
なぜなら、たいていの人はじっくりと見るだけだからです。
みるだけでは、30%の効率性しかないからです。
先生から、この公式を5回以上言って、覚えたら座りましょうと言われたらどうしょうか。
こちらの方がしっかりと覚えられます。
効率性は70%にはねあがります。
さらに、「となりの人に説明しましょう。」と言われ説明をしたらさらに効率性は90%になります。
人が、物事をしっかりと早く覚えるには活動を多くするしか方法はありません。
言ってみる、書いてみる、説明してみる。
このことが大事です。
算数の問題を大きな声で読んでいる人がたくさんいますが、素晴らしいです。
そちらの方が、問題の状況をイメージしやすいし、答えを書くときにも間違いが少なくなります。
なぜなら、大きな声で言っている方が、その問題文の内容の確認と理解が早いからです。
声に出す、見る、読む、人の方を向いて聞く、説明する。
本気でするのが大事なのです。
こんなふうに趣意説明することに学級の子どもたちは変わっていくのではないか。
saitani