飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

覚えるということ

2023年06月20日 08時20分10秒 | 学級経営
授業中に子どもたちに課題を与え、答えと同時に考え方もノートに書かせる。
論理的ということは、言語化できるということだ。
音声で説明できることも大事だが、音声と文章とどちらが論理的かと言えば圧倒的に後者だ。

授業中によく目にする光景。
練習問題を解かせて黒板に書かせる。
そして発表させる。
「この計算の答えはいくつになりますか?」
子供
「342です。」
教師
「では、筆算の仕方を発表しなさい。」
子供
「説明はできません。」
この子は何を理由に、発表を拒むのだろう。
恥ずかしいから、面倒だから、答えは出せるが説明はできないから。
このどれも、何一つ子ども本人のためになることはない。
説明できて初めてできたと言える。
インプットと同時にアウトプットをすることにより格段に理解が深まる。
こんなことは当たり前なのに、それをやろうとしない。
物事は何でも趣意説明が大事だ。
特に高学年になると、指示だけでは納得しない。
なぜ、それに意味があり、いやでもしなければならないかを納得しなければ行動しないか、不満を持つようになる。

こんな研究結果がある。
学習の法則である。
教育学者エドガーデールの「学習の法則」。
物事をどれくらい覚えていられるかという内容。
あることを覚えて以下の行動でだいたい何%覚えていられるか。

・読む…10%
・聞く…20%
・見る…30%
・見て、聞く…50%(人の方をみながら、絵や図など示されたものを見て聞く)
・言ってみる…70%(声に出して読む、音読を含む)
・書いてみる…70%(知ったことを書いてみる)
・人に教える(説明する)…90%(知ったことを人に説明してみる)

教室ではよく発表者の方を向いて話を聞くように指示する。
その意味を教師は説明しているだろうか。
「それは発表している人への礼儀です。」
その言葉も意味はある。
しかし、最近の子どもたちはエビデンスを説明しないと納得しない子もいる。
この研究結果からすると、ただ単に聞いているよりも、見て聞いた方が2倍以上の効果がある。
視覚的な要素もあるが、このことは教師がきちんと音声情報だけでなく、視覚情報も補足しながら授業をすすめることの大切さも物語っている。
例えば、「この分数は約分します」と言葉でいうだけでなく、黒板の計算の過程をできるだけ言語化する。
これは授業におけるキーワード「思考の言語化」にも通ずることである。
この原則を知っているだけでも、教室の中には救われる子がいるのである。

子どもたちには次のように話す。

物事を覚えるには効率の良い方法があります。
例えば、算数の公式を覚えるとします。
長方形の面積=たて✕横を覚えるとします。
先生から、この公式を覚えなさいと言われたら、覚えられるでしょうか。
なかなか難しいです。
なぜなら、たいていの人はじっくりと見るだけだからです。
みるだけでは、30%の効率性しかないからです。
先生から、この公式を5回以上言って、覚えたら座りましょうと言われたらどうしょうか。
こちらの方がしっかりと覚えられます。
効率性は70%にはねあがります。
さらに、「となりの人に説明しましょう。」と言われ説明をしたらさらに効率性は90%になります。

人が、物事をしっかりと早く覚えるには活動を多くするしか方法はありません。
言ってみる、書いてみる、説明してみる。
このことが大事です。
算数の問題を大きな声で読んでいる人がたくさんいますが、素晴らしいです。
そちらの方が、問題の状況をイメージしやすいし、答えを書くときにも間違いが少なくなります。
なぜなら、大きな声で言っている方が、その問題文の内容の確認と理解が早いからです。
声に出す、見る、読む、人の方を向いて聞く、説明する。
本気でするのが大事なのです。

こんなふうに趣意説明することに学級の子どもたちは変わっていくのではないか。

saitani

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音読み 訓読み

2023年06月19日 09時21分24秒 | 国語科
3年生に音読み・訓読みの指導がある。
こんな展開がある。

◯つぎの文を読んでなにか変だなと思うことはありませんか。

「今日はちょう早くおきた。」
※ちょう⇔朝

「明日はきゅうみだ。」
※きゅう⇔休

「明日は、楽しみなとおあしだ。」
※とおあし⇔遠足

「鳥がめいく。」
※めい⇔鳴

◯遠い遠い昔、日本には言葉はあるけど、あるものがありませんでした。
 何だと思いますか。

・言葉はあるけど「文字」がない。

◯そこでとなりの国、中国の使われていた漢字を文字として使うことになりました。
 この漢字は何ですか。

・山

 これは「サン」と言って、高い土地を表す文字です。(中国の人の言葉)

 なるほど、でも、日本では「やま」と言っているから、日本では「やま」ということにしよう。(日本人の言葉)

 こうして「山」には、ふたつの読み方ができました。
 訓読みは「やま」、音読みは「サン」
 昔から日本で使われていたことばは「訓」で中国の読み方は「音」です。
 訓読みは意味がわかりやすく、音読みは意味がちょっとわかりにくい。

◯これはどんな漢字かわかりますか。

 ヒョウ⇔?
 コオリ⇔氷

◯「ヒョウ」は何読みですか。
 ・音読み
 
 ワ⇔?
 ハナシ⇔話

◯「ワ」は何読みですか。
 ・音読み

 カ⇔?
 ナツ⇔夏

◯「カ」は何読みですか。
 ・音読み

 シュ⇔?
 テ⇔手

◯「シュ」は何読みですか。
 ・音読み

 ヒル⇔?
 チュウ⇔昼

◯「ヒル」は何読みですか。
 ・訓読み

 イチ⇔?
 ひとつ⇔一

◯「イチ」は何読みですか。
 ・音読み
 ※このあたりは間違う可能性が高い。

 ニク⇔?
 しし⇔肉

◯「ニク」は何読みですか。
 ・音読み
 ※ここも難しい。

 ホン⇔?
 もと⇔本

◯「ホン」は何読みですか。
 ・音読み

☆音読み、訓読みの区別は難しい。

saitani

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古池や 蛙飛びこむ 水の音

2023年06月18日 09時08分22秒 | 国語科
3年生の国語に俳句の単元がある。
3年生に俳句は難しいのではないかと考えるがきちんと指導すれば子どもたちも興味をもって取り組む。
この段階的な指導としては、季語や七五調のリズムを味わいながら音読を楽しむということが主眼になるが、意味理解についても少しではあるが、興味をもたせる知的な実践を行いたい。
次のような実践を行う。

●説明
◯指示・発問

1 「ふる池や 蛙飛びこむ 水の音」と板書する。
 ○この列起立。前から順に黒板に書かれているものを読みなさい。
 ○読めない漢字は、○○といいます。
 ※教科書にもかいてあり、ふりがなもふってあるので読めるはず。

2 教師が範読する。
 ○蛙とは何ですか?分かる人。
  ・かえる
  ・虫
  ・動物
 ●蛙(かわず)は、かえるのことです。昔の読み方です。漢字は変わりません。

3 全員で音読する。
 ◯全員起立。5回音読します。読み終わった人は、座って、ノートに写します。
 ※書き途中の子は、そのまま書かせて、終わったら鉛筆をおかせる。
  書いている子がいても次の指示に移る。

4 拡散的発問により、感じたことを出させる。
●これは、松尾芭蕉という人がつくりました。
 このようなものを「俳句」と言います。
◯この俳句で、気づいたこと、分かること、考えたこと、疑問に思ったことを書いていきます。
 箇条書きで書きなさい。
 3つかけたら先生のとこへ持ってきなさい。
 マルをもらった人は、さらに、続きを書きます。

・五・七・五になっている。
・昔の言葉でできている。
・かえるをかわずと読んでいる
・標語と何がちがうのか。
・なぜ池を古いけとしたのか。
・古池にかわずがとびこむところを書いている。
・「や」はどういう意味なのか。
・芭蕉がみたことを言葉にしている。
・松尾芭蕉は、男か女か。
・古池ってなんだろう。
・古池はどこにあるのかな。
・季節はいつだろう。
・作者以外に人はいなかったのかな。

5 子どもたちの意見の中から、読解に関することをとりあげ読み取りをする。
◇標語とは違うのか。
●手を出しなさい。
 指を折りながら読んでいきます。
 「ふ・る・い・け・や」で五、「か・わ・ず・と・び・こ・む」で七、「み・ず・の・お・と」で五となります。
 五音、七音、五音で構成されているので、五七五といいます。
●ところで、標語とのちがいですが、指を折りながら先生の言う通りに数えていきます。
 「飛び出すな/車は急に/止まれない」も五七五ですが、これは標語です。
 俳句とは違います。
 決定的な違いは、「季語」にあります。
 俳句には、季節を表す言葉「季語」は入っています。
 ※「季語=季節をあらわすことば」と板書する。

◯この句の季語はどれでしょうか。
・蛙
・水の音
・古池
●これらのうちで自分の考えと同じところに手をあげなさい。
・(蛙が多いことが予想される)
◯この句の季語は「蛙」です。季節はいつだと思いますか。
・梅雨の時期
・春から夏にかけて
・春の終わりくらい
●季語「蛙」の季節は、春から夏にかけてです。
 春の終わりと言ってもいいでしょう。

◯「や」とは何ですか。
 ※子供からでなければ教師が指摘する。
●(文語であるので当然思いつかないことが予想される。したがって説明する。)
●「や」は切れ字といって、詠嘆を表しています。
 作者が感動したということです。
 「あぁ」という感じの詠嘆です。

6 対比を扱う。
●「対比」とはふたつのものの、特徴をくらべることです。
 例えば、2年生で勉強した「スイミー」を覚えていますか。
 この主人公はスイミーですね。
 このスイミーたちをねらうまぐろができてきます。
 この二つは。対比と言って比べられています。
 スイミーは「小さい」まぐろ「大きい」というように。
 他にどんな対比になっていますか。
 ・遅い⇔遅い
 ・強い⇔弱い
 ・食べられる⇔食べる
 ・おとなしい⇔らんぼう

◯ではこの俳句で対比されているものは何ですか。
 ・古池⇔蛙
 ・古池⇔水の音
◯みなさんが出した対比には、どのような意味がありますか。
 次のように答えましょう。
 古池は◯◯な感じがするけど、蛙は◯◯な感じがする。
 ・古池はきたない感じがするけど、水の音はきれいな感じがする。
 ・古池は人気のない静かな感じがするけど、水の音は小さいながらもすこし騒がしい感じがする。
 ・古池は自然のもので、蛙は生き物。

◯言葉のイメージを考えてみます。
 [古池]・古い ・濁っている ・苔がある ・高級な池 ・自然 ・生き物がいない
     ・自然の池 ・寂しい ・茶色 ・静か 
     ※ここでは、古い・寂しい・静かという風景を押さえる。
 [蛙]・きれいな水 ・冷たそう ・ぬめぬめ ・動きがある ・緑色 ・弱い ・小さい
     ※小さいを押さえる。
 [水の音]・きれい ・冷たそう ・しずく ・静か
     ※ここでは、静か・きれい・すんでいる感じを押さえる。

7 イメジャリー
◯この句の中の蛙の大きさはどれくらいですか。
 三択です。
 ①500円玉くらい ②指の長さくらい ③握りこぶしくらい
 ※ここは周りの風景から①というふう読むのが妥当。

◯「水の音」とはどんな音ですか。
 オノマトペで答えます。
 ・ちゃっぽん
 ・どぼん
 ・ばしゃん
 ※前にカエルの大きさを押さえているので「ちゃっぽん」が多いと予想される。

8討論をする
◯この句で作者が一番言いたいのは、「古池」ですか「水の音」ですか。
 [水の音派]
 ・古池は静かなところ。だから、蛙が来て、古い池に飛び込んで、小さな水の音がでてい
  る風景だから。
 ・この句は、蛙が古池に飛び込んだときの、ぽちゃんという水の音を強く言っている。
 ・古池はだれもこないところだから古い。そこに小さな蛙が来て、飛び込んだ。その水
  の音によって、静かな様子を強調している。
 [古池派]
 ・古池だから、静かな感じが出せているから。
 ・蛙が飛びこむ音なんか普通は聞こえないのに、聞こえる環境を作り出しているから。

9 まとめ
 ※討論は自由に根拠をもってする。
 ※最終的には、静かな古池に蛙が飛び込んで水の音が響いているという情景が読み取れ
  ていればよい。
 ※解を示す(定説)
古池というと古い池で誰も近づかないような静かなところを想像する。
その静かなところに蛙が飛び込み水の音が響く。
というのを言いたいと思うので、強調されているのは水の音。
 いつもはなんとなく聞いている水の音も周りが静かだと、よく響いて不思議な感じにきこえる。
水の音と同時に、蛙が飛び込んだところから岸まで波が広がっていくのが想像できる。
古池より、水のぽちゃんという音の方が心に残る。

saitani
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備忘録

2023年06月17日 07時26分58秒 | 人生論
知り合いがたくさんいても 友だちが1人もいないってことはあり得るよ スナフキン

物心がついた時から1人で旅してきた。
これからもそうする。
僕にはそれが自然さ。   スナフキン

独生独死
独去独来

結局人間は皆、独りで生まれ独りで死ぬ。
この世に独りで来て、独りで去る。
人生とは底なしに寂しいものなのです。  釈迦

人関係のコツ

聞かれるまで自分の話はしない

苦手な人でも笑顔であいさつ

無理して輪に入らない

合わない人がいても気にしない

嫌われてもいいから我慢しない


優れるな 異なれ

居心地のいい場所では 自分は変えられない
居心地のいい場所では成長は難しい。
そこを抜け出して、目上の人、自分よりスキルの高い人、尊敬する人のところへ行く、居心地の悪いところにこそ、真の成長があることを知りました。

ある先生の学校改革案
1 教職員定数を2倍以上に増やす。
2 教員の出勤時間の30分後に、子供は登校させる。
3 教員の退勤時間の2時間前に、子供は下校させる。
4 部活動は、社会教育団体に任せる。
5 春休みは年度末15日、年度初めは10日の余裕をもつ
6 新採教員は、担任ではなくて副担任。
7 修学旅行、宿泊訓練廃止
8 教育委員会事務局は元教員で構成しない。

saitani


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スポーツから学んだこと

2023年06月16日 06時30分07秒 | 人生論
様々経験から人は学ぶ。
その多くは成功体験よりも、失敗や挫折によって学ぶことが多い。

なぜバスケの得点が2点か知ってるか?
1人は得点したやつ、もう1人はパスしたやつだ。
バスケは1人じゃ点はとれねえ。

あと少し あと少しだけ 走れていたら、努力していたら僕はもう少し長くこの場所に立っていられたのだろうか。

何千何万本素振りは この1回の打席のためにある。

背中を見るな 背中を見せろ。

落としたらそこで終わりだ。だから、落とさない。
この1本を絶対に繋いてみせる。

ただその1本を行く 見えるのは自分の指先 水 てっぺん。
自分の限界の先の0.01秒を削りとって もう1段上のステージを目指す。
それが全て自分の全て

感情で打つんじゃない 気持ちで打ちなさい

努力もしないやつに負けたくない
いや、負けるもんか

偶然にも上手く返せたように見える1球
しかし、僕にとっては何千球と練習したうちの1球だ

きつい練習 怖い監督 諦めるのも辞めるのも自分 自分に負けんな

saitani
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良書との出会い 読書を人生にいかすには

2023年06月15日 09時47分12秒 | 人生論
読書は教師にとって必須のことだ。
忙しくて読書する時間がない、これは本末転倒も甚だしい。
知識を生業とする教師が本を読まないで何を子どもたちに教えるというのだろうか。
スポーツ選手が、試合が忙しくて練習できません。
医者が、患者の対応に追われて、論文に目を通したり、学会に出席する時間がありませんというのだろうか。

読書を人生に活かすには3つのことが大切だという。

1つは、夢をもち、大きな問いを立てること。
良い本に最も出会いやすいのは最も深く悩んでいるとき。
寝ても覚めても湧いてくる憧れをもつこと。
ピンチとワクワクが人の能力を発揮させる二大条件であり、運命に一冊に出会う要素。

2つめは、シンクロニシティ(意味ある偶然の一致)を意識すること。
興味のない本であっても、自分に必要な一冊だ、この作者は自分のために書いてくれんだ、と考える。
すると、目の前の問題を解決する方法やそれ以上の発想がうまれることがある。

3つ目は、速読熟読の併用。
運命の一冊にであう、選書眼を磨くためには速読はあると考える。
その一冊に出会ったら、繰り返し熟読すること。

そして、さらにすべきこと。

1つの指標として示されているのが、「1ブック・3ポイント・1アクション」。
本を一冊読んだら、自分も人生に活かせるポイントを3つ見つけて、必ず1つは実行に移す。
本の内容をすべて覚えることはできない。
しかし、実践したことは忘れない。
1つでも実行するとそこから課題が浮かび、次に読むべき本がわかる。

saitani
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友だち安心領域

2023年06月14日 08時24分17秒 | 学級経営
友だち安心領域という考え方がある。
一緒にいると心地よい友だちのことである。
仲の良い友だちがいることはとても良いことだと思う。
しかし、人間関係は固定されないほうがいい。
親友とはなにかということをよく子どもたちに問う。
「一緒に遊ぶ」
「悩み事を聞いてくれる」
「助けてくれる」
「趣味が同じ」
様々な意見が出てくる。
どれも親友という友だちの特徴ではあると思う。
しかし、本質ではない。

そのことを子どもたちに気づかせる必要がある。
学校カーストと呼ばれたり、いじめの要因となっていることはこの親友の本質を子どもたち理解していないことが原因だ。

友だちというのは、基本的に平等でなければならない。
平等であるから、互いの欠点や間違いも指摘しあえる。
自分の間違いを指摘されることはつらいことでもある。
でも、それをしてくれる人は本当の友だちだ。

あともう一つ、互いに二人以外に別の親友を持っているということだ。
よく子供は言う、「◎◎ちゃんとけんかしたら、友だちいなくなってしまう」。
この言葉が子供の口からでるということは依存関係になっていることでもある。
互いに、相手に依存し、何かをしてもらうことが当たり前になるようでは成長は期待できない。
もちろん、困っているときに助けを求めたり、悩み事があるときに親身になって相談にのってくれるのが親友だ。
しかし、その前提として本人がやるべきことをやっていることや最終的な決定は自分自身でするというような自立していることが必須。

学級の子どもたちも、担任が何もしなければ、人間関係が固定し、やがては上下関係が生まれる。
そのことは学級経営上も問題があるし、子どもたち一人一人のためにもならない。
人間関係はときにリセットされる。
それは先に述べた安心領域からはずれることでもある。
この方法や心構えがないと本人がとても苦労する。

そんなときはこないと言うかも知れない。
しかし、絶対にくる。
殘念ながら、大学まできたら小学校の友だちは一緒にいることはほぼ無い。
しかも、子どもたちは1年に1回はこの安心領域から外れるときがくる。
それはクラスが変わる4月。
転校したとき。
卒業のとき。
人はこのとき、安心領域から大きく外れる。
そのとき、新しい人間関係を築けないと苦労することになる。

新しい場所で、安心領域の友だちを広げていくことが大事。
自分からときには声をかけることも必要だ。
ふだん遊んだことのない子と遊んでみる。
話したことのない人と話してみる。
そんなことも必要かもしれない。
そのために多くの担任は、クラス遊びの日を設けて、全員で遊ぶ機会をつくっている。

では、なぜ安心領域を広げる必要があるのか。
それはいろんな人間のいいところを知ってほしいからだ。
多くの人と話すということは多くの価値観を学ぶということだ。

無理に安心領域を広げる必要もないときもある。
それは、自分にとっての成長につながらない人間関係のときだ。
中学校くらいになると、誰の価値観が一番影響を受けるかと言えば、教師でも親でもなく友だちだ。
だから、友を選ぶという考えも必要になってくる。
小学校時代は、積極的に広げられような配慮も担任は必要だが、発達段階とともに、交友関係を限定していく考え方も教える必要がある。

橋本左内の啓発録には次のように書かれている。

一、「稚心を去る」
 :自分とその運命を変えようと思うなら、結局、自分の手で何とかする以外に方法はない。
  その第一歩は「稚心」、つまり「子供っぽい心」を捨て去ることである。
二、「気を振う」
 :負けてたまるか、くじけてなるものかという負けじ魂こそが人を変えるエネルギーになる。
  常にそうした心を持ち、緊張をゆるめず油断のないようにしなければいけない。
三、「志を立てる」
 :夢や目標を持て。自分の心の向かうところをしっかりと決め、一度決心したからには、その方向を目指して絶えず努力するべきである。
四、「学を勉める」
 :学問を学ぶことは大切である。
  そして、それを世の中のために正しく生かすこともまた大切である。
五、「交友を択ぶ」
 :互いに切磋琢磨できる良き友を選ぶこと。
  自分を高めてくれ、心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達こそ、何よりも大切にするべきである。

橋本左内は、十五歳という人生の節目に立てたこの誓いを守り、短い人生ながらも素晴らしい人材として、教育や政治に大きな成果を残した。

saitani
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不幸の始まり

2023年06月13日 16時15分12秒 | 人生論
ちょっとしたことがきっかけで流れが大きくかわることがある。
習慣が人生をつくり、決定づけていく。
だから、よいことを習慣化すれば流れもよくなる。

不幸の始まり

1 離れる人を追ったとき
2 人を否定したとき
3 誘いを断れなかったとき
4 周りに流されたとき
5 人の機嫌を取りに行ったとき
6 自分で考えなかったとき
7 自分の都合て人を動かそうとしたとき

心が強い人の口癖

1 ピンチになったら
「面白くなってきた!」

2 疲れた
「今日はよく頑張った!」

3 不安なとき
「きっとなんとかなる!」

4 迷ったとき
「やれるだけやってみよう!」

5 悪口を言われたら
「それってあなたの感想ですよね!」

6 嫌われたと思ったとき
「自分の意見を言えた私、えらい!」


saitani
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協働的問題解決

2023年06月12日 15時42分17秒 | 教育論
ペア学習やグループ学習は、多くは授業中の問題解決の場面で行われる。
その目的はなんだろう。
現在は、協働的な学びがキーワードとして重視され、半ば強引なまでに授業の中で方法論として取り入れなければならないような実態になっている。
個別最適学び、協働的な学びを取り入れなさいという指示のもと、若い先生方はその意味や目的があいまいなまま、ペアで相談させたり、グループで意見交流をさせている。
情報共有や教え合いも大事なことだと思う。
しかし、協働的な学びが目指しているものは違う。

子どもたちは、問題解決に向けて、時には一人で考え、時には助け合い、相談したり、合意形成を図ったりする。
もうひとつ、それぞれの目標が明確であっても、その方法論が子どもたちに身に付いていなければ、問題解決には至らない。
子供同士の人間関係が大事、主体性や思いやりが協働的な学びでは大事といいながら、実際の授業の中では子供同士が関わっていないし、主体性が尊重されずに、思いやりのある言動も見られない。
スローガンと実態がそぐわないのである。

さらに言えば、今突然出てきたような印象を受ける個別最適な学びや協働的な学びは、何ら新しい学習方法ではないということだ。
子供の現在を厳しく的確にみつめ、そして、将来の子供の姿を具体的に描き、今の自分に何ができるのかと自らに問い続ける教師であれば必然的に実現している学び方の1つにすぎないのだ。

では、実際の教室での問題解決のサイクルはどうなるのか。

1 まずは、自分で学習課題に取り組む。
  討論の基本である、まず自分の考えを全員がもっているという原則にも合致する。

2 学習課題の解決が自分で難しいと判断したら、隣の席の友達と一緒に取り組む。

3 学習課題の解決が隣の席の友達とでは難しいと判断したら生活班の友達と一緒に取り組む。

4 学習課題の解決が生活班の友達と難しいと判断したら、自由に立ち歩きながら学習課題を解決できそうな友達を探し、一緒に取り組む。

5 学習課題の解決を友達と一緒に取り組む際、「解答」とともに、どうしてそうなるのか「その理由」も一緒に確認し、説明できるようにする。

このサイクルは、一人ひとり学習において、個人差があることを前提としている。
したがって、全員が自由に歩き回っていることはありえないことになる。
個人で解決できる子はあえて席をたたない。
隣の子とはない合うことで解決できる子は、そこで結論をブラッシュアップする。

したがって、教室に中に様々な人数での活動が混在することになる。

saitani
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運の方程式

2023年06月11日 08時35分57秒 | 人生論
運をつかむ方程式と言われるものがある。
次のような式だ。

幸運=(行動×多様+察知)×回復

式の意味は次のように解釈される。
運をつかむためには、はじめのチャレンジの総量を増やす。
それと同時に、行動の多様性を広げていくことで、複数の偶然が舞い込むための土台を作る。
そのうえで、予期せぬ変化に意識をむけつつ、失敗から何度も立ち直ることで、単なる偶然をポジティブな巡り合わせに変える。

過去の賢人たちの言っていることはすべてこの式につながる。

「幸運は準備と機会が出会ったときに起こる」 セネカ

「幸運はチャンスと準備が一致したときに実現する」 トーマス・エジソン

要するに準備を怠る人間には、チャンスはやってこないということかもしれない。

「たしかに、わたしたちは幸運だった。
 でも、あまり幸運だ、幸運だとばかり言われると、それは違うだろうと言いたくなる。
 幸運はみんなのところに同じように降り注いでいたではないか、それを捕まえられるか捕まえられないかは、ちゃんと準備していたかしていなかったの差ではないかと」  小柴昌俊

準備をしていない人には、チャンスは見えず、目の前を通り過ぎてしまう。 

教材研究をし、研究と修養につとめ、教師修業を続けるいがいにプロ教師への道はない。
そして、限りない準備をしたうえで、チャレンジの多様性と総量を増やし、予期せぬ偶然に気づく力を養うこと。
同時に、失敗しても何度も立ち上がる、というレジリエンス力を身につけること。

saitani

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