老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

「一票格差」「IOC評価委員」「主権回復の日」・・・

2013-03-07 21:08:20 | 社会問題
結果は原因があってのものと承知して、この齢まで歳月を重ねてきたと思いつつ、そもこの「原因のもとの元」は一体何であるかに思いを巡らせば、結局それは「人間以外の何物でもない」ということに行き着き、救いようもない暗鬱に支配される。そして、かく書く自分も含め「人の頭の中身・思考回路」なるものは、他者の推し量り得るものにはあらずと思えば、これまた限りなく暗然。

何の関連もないようなことを書き連ねる。しかし、やはりその根っこは「人間」につながり、回帰する。

昨夕のTV画面での速報から始まって、今朝の新聞には「一票の格差は違憲状態・高裁判決」の文字が躍る。恭しきお告げが下されたかの風情である。前にも書いたが、「習いたての割り算」よろしき体たらくでの提訴と、それを受けての判決。

訴因不十分で「提訴棄却」の選択肢も有り得るかとも思えるこの訴訟の土俵に、まんまと乗せられ続けて、もはや引くに引けまいが「習いたての割り算」の世界から抜け出す「才覚」は持ち合わせなかったものなのか。「権利の上に眠る者は保護されない」は、不変の法理であろう。

これを前提にすれば、代議する者の選別は、「投票権を行使した者」に委ねられており、これはどのように解釈を巡らそうとも、「権利の上に眠った者」からの受託・行使分を包含しているとするのは「無理」とすべきである。

そも、この提訴は、人口集中地域から起こされる。2票を超える格差というのは心苦しいからと、その地域居住者が提訴に及ぶなどは、考えも付くまい。だが、その投票行動の内情はさておいて、一般的に「権利行使者」の割合は、選挙権取得人口の少ない地域では多く、多いところでは少ない。
 
今の議論は、有権者人口に対する定数の設定に限定されて行われているため、投票が終ってからの「一票の格差」は無視され続けてきた。実際に計算したわけではないが、こういう視点で再評価すれば、違った「格差」が明らかになることでしょう。
 
抜本的には「各都道府県1選挙区。基本定数各1とし、以下は全国横並びでの得票順」とすればよいのではないでしょうか。これで「一票の格差解消」は、間違いなしでしょう。「政権交代容易」とか「小規模政党への配慮」とかの「思惑排除」が、何より肝要です。

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IOCの「評価委員」なる者がお越しになって、大騒ぎ。評価のポイントは、なんと「おもてなし」だそうな。彼らへのそれが「ポイント」になる訳ではあるまいが、「実感」がなければ「評価」もあるまい。取り巻かれて尊大ぶる者・取り巻いて媚を売る者、何れも醜いの一語。スポーツ・友好の五つの輪が泣いている。

なぜ五大陸持ち回り・各大陸内では開催希望都市による抽選と出来ないのか。手を挙げるからにはそれなりの覚悟があってのこと。評価委員様の出番自体、不用であろう。
 
ついでだが、高校球児の憧れ・甲子園。勝ったチームが讃えられ、校歌が流れ校旗が翻る。勝者絶対である。だが小生は夢見る。出場校全校の校旗を入場行進に合わせて掲揚し、敗れたチームの校歌を奏でて降下させる。各校の校歌は全て甲子園の空に流れるのだ。そこには、健闘を讃えあうスポーツマンシップ以外の何物でもない空気が、心地よく流れるのです(蛇足中の蛇足です)。

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「主権回復の日」新設だという。「主権」はなぜ回復されなければならなかったのか。主権を投げ出さなければならなくなる愚行開始の日。この日を、反省のための「記念日」とする発想は絶無でしょう。自虐的という言葉を添えて「五月三日」も無くそうという「思考回路」。

どのようにしてこれを「芽生え・成長」させ続けて来れたのか。「人は環境の動物」という。右を見ても、左を見ても、このような「回路涵養適地」の広がる「美しい国」は「すぐそこに」、なのでしょうか。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山
コメント (1)
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