老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

辰年年頭のひとこと

2012-01-01 21:24:44 | 憲法
辰年。「辰」は、動物で言えば竜。時刻で言えば、午前七時から九時まで。運気を、雲を巻いて天に駆け上る姿に重ね、目覚めてその日の活力が満ち来るを知る、その時間帯。いずれも、「希望」をその先に置く。

その年の初め、人々は皆、一入、心にときめく何らかを抱きつつ、これから送る日々に思いを馳せたのではなかろうか。その念は、言うまでもなく昨日までの、あまりにも「酷い一年」によって強められているのであろう。

「酷い一年」。与えられているであろう時間に対置させてみれば、決して短くはない時間を既に生きて、まさに未曾有。その多くは自然のもたらしたものとは言え、それに対処する「人」の、無力というよりも「無能」に近い振る舞いの数々。

評するのは易いの謗りを甘受するのは厭わないとしても、その「酷さ」を言上げして済むものに非らずとすれば、遅まきながらも、これから迎える日々に、新しい歩みの望みを託さざるを得ぬ。しかし、その「望み」は、あまりにも大きく多岐にわたり、合意形成に至るまでの道程は、見当すらつかぬと言うべきであろうか。

もう戦後ではないの言葉が口の端に上ってその後、この国・社会はどのような変容を目指し遂げつつあったというのか。

国・社会の有様の根本を示すものとしての成文憲法を持つ一国として、この国は、過去に一度、それに180度・国体をも変容させるに等しい改正を加えて現在に至る。これについては、「押し付け」と動機付けに異を唱えて、その実は改正前のものへの回帰を望む勢力の存在などなど、100パーセントの支持を受けているとは言い切れない状況を抱えながらも、多くの国民は改変を望まず、人類普遍の原理と謳う「国民主権・人権不可侵・平和保持」を根本に置くこの憲法を、支持し続けているという実情がある。 

だが、66年前に起きた「一大事」以降、極論すれば人にまつわるもの全てが大きく変化した。もう66年前を基準点として積み上げられてきたもの百般に亘って見直しが求められる時期にさしかかっているのではないのか。

関西の主要地方において上がった「地方自治」の有様の見直し。これの契機・方向性自体には問題多々であろうが、事柄全体としては夙に答えが出されているべきものであろうし、そうなれば「憲法」自体への検討が必然となるであろう。少なくとも第一章は「国民主権・人権不可侵・平和保持」に改められるべきであり、現行第一章は「国民主権条項の最後」に収めるとするのが自然であろう。

この他にも「最高法規」と謳うに相応しいものとするための検討課題・立法、司法、行政の関係などなどは多数であり、これを受けての関係法令等もまた然りである。

現下の急の被災地復興のスピードアップを図りつつ、地方と国の関係再構築を図るための契機とされることを願いたいものである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山

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1 コメント

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震災復興も原発事故対応も暴虐地位協定破棄も親身になれば即応解決できる (通りがけ)
2012-01-03 07:09:02
「不安を抱える子供たちを救う、面倒見のいい大人たち!」
(「日本人」の研究!さまhttp://cpt-hide-cook.seesaa.net/article/242442765.html
(本文中略)
今はその「面倒見のいい大人」がだいぶ少なくなったように思う。
また親の体質もかなり変わってきたので「面倒見のいい大人」であり続けるのがなかなか難しくなってきている。
そんな中でも、Y君は子供たちに太鼓を教え、さらに自宅を開放してまで、勉強を教えている。
そして、学校に行かない子にも生き生きと自分を出し切れる場を与えている。

本当に頭が下がる。

こういう一人一人の善意が社会を成り立たせているのではなかろうか。
(本文転載終わり)

この記事へのコメント(転載)

1.人が人を信じるということは、その人の「一生懸命さ、一所懸命さ」を一生懸命に一所懸命に信じるということなのだと、このお話から教えていただきました。

わたしも懸命に自分の考えつくかぎり親切で有り続けたいと思います。たとえ大きなお世話と言われてもね。信あれば通ず。
Posted by 通りがけ at 2011年12月26日 09:20

2.これは扶桑の島の伝統であり、縄文時代の昔から扶桑の島に住む人々をつねに同時代の世界からもっとも尊敬される美徳を具えた社会を築ける優れた人々たらしめてきた尊い性質、「親身になる」ことができる伝統的特質である。

とはいえこれは扶桑の島の民衆、常民の間だけの特質であり、支配階級や権力者で「親身になる」ことができたのは聖徳太子以来では田中角栄氏ただひとりである。彼は東大のような拝金亡者粗製濫造バカだ大学へなど行ってないからね。じつに誰よりも親身になる能力が大いなる、世界中の誰に対しても隔てなく常に親身であり続けた、世界史上不世出の首相統治者であった。

「親身になる」
これこそが扶桑の島を伝え続けるわれわれ日本人にとって命よりも大切な父祖伝来の尊い教えなのである。
Posted by 通りがけ at 2012年01月03日 05:43
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