老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

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「i―新聞記者ドキュメント」 雑感

2019-12-22 10:58:34 | マスコミ報道

11月15日の投稿で珠さんが紹介された「i―新聞記者ドキュメント」を見ようと思いましたが、残念ながらわたしの県では上映されていませんでした。映画を見る事は断念せざるを得なかったのですが、何となく気になる映画でした。

ところが、12月18日付の毎日新聞23面の「特集ワイド」で監督の森達也氏の独占インタビューが載っていました。非常に示唆に富んだインタビュー記事で、森達也監督の姿勢がよく分かるものでした。

順を追って森監督の思考過程を追っていくと、映画だけにとどまらず現在の日本の置かれている状況が鮮明に浮かび上がってくる発言でした。番号を打って、彼の思考過程を追ってみようと思います。

① 撮影開始(2018/12月)から10ヵ月続く。撮影中に【視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねない】として、官邸側から質問制限顕著になる。⇒森氏の意見 ⇒「一昔前なら権力側はもっと抑制的で、ある意味巧妙だったはずです。権力を振るうところを表に出さなかった。⇒「ここまで露骨に隠さなくなったのか」⇒これはメディアによる監視が弱くなったからだ、と感じた。

② 望月記者を巡るジャーナリズムの現状・・・・⇒会見で記者が政治家に質問する。納得できる回答が得られなければ、もう一度質問する。記者なら当たり前の仕事。彼女のしていることは普通です。でも彼女がこれほど目立ってしまうのは周りが普通ではないから。ジャーナリズム全般が地盤沈下しているから、彼女が浮き上がってしまうのです。

③ ②の問題は既視感がある。⇒映画「A」を撮影した時、「なぜ、お前だけが撮影できたか」などと質問された。答えは単純。「撮らせてください」と言ったら入れてくれただけ。・・・(中略)・・・僕が優秀であるとか、志が高いとか、そんな事とは全く違う。凡庸だからこそ撮れたんです。・・(中略)つまり、僕も望月さんもいわゆる【KY(空気が読めない)】なんです。

④ 記者の皆さんには「組織や周囲の状況ばかりを気にせず、ちょっとわがままに行動してもいいんじゃないかと感じてもらいたい」=【現場性】を大事にしてもらいたい。

⑤ 【現場性とは】⇒記者が現場に行って取材するとき、自分の目で見て、当事者の声を聴く。・・・(中略)・・それを書く、伝えるという作業の主語は決して【私たち】などという複数形や組織の名称ではなく【一人称単数】であるはずです。そこをもっと大事にしてほしいのですが、今のメディアは「一人称」の論理が組織の論理に押しつぶされていると感じます。

⑥ 市場原理の論理「この記事では部数が伸びない」「このネタなら視聴率が取れる」という論理。つまり、需要と供給。・・・(中略)・・部数や視聴率に貢献しなくても、需要が見込めなくても、供給しなければならない時がある。これが【ジャーナリズムの論理】。この二つの論理のせめぎ合いが組織メディアの大切な【ダイナミズム】。⇒ジャーナリズムの論理が市場原理の論理に吸収されている。⇒ジャーナリズムとは【個】。⇒個が弱くなっているという見方が成立する。

⑦ 社会の分断化の質問について⇒集団化は社会の分断化とともに起きる。なぜなら、集団化とは「同質なものでまとまりたい」という情動をコアにします。こうして同じ考えを持つ人が集まると、自分たちと主張を異なる人々と敵対する傾向が強くなる。

⑧ 集団化が進めば、主語が「我々」になっていく。そして、敵対する相手に対しても、個が消えて、「あいつら」になる。これが戦争のメカニズムだと主張したのが、米国の歴史学者ジョン・ダワー氏です。一人称の主語を取り戻せば、他者の一人称も見えてきます。だから、景色も変わる。僕はそう信じています。

森達也氏は、きわめて知的な映画監督であることが、このインタビューを通じてもよく分かります。特に【集団化】と【個】の問題についての思考は、傾聴に値します。この古くて新しい命題については、多くの哲学者、学者、評論家などが、解答を書いてきましたが、AIの席捲する世の中でも、依然として最大の難問として残り続けているのです。

わたしは、もう何十年も前から、【体感速度15KM】の教育を提唱しています。この掲示板でも書いてきました。自転車を漕ぐ速度と言って良い15KMの体感速度は、人間が(個として)産業的な論理(現代では新自由主義的論理)にからめとられない最低限の速度だと考えています。森氏の言葉を借りれば、「一人称」の「わたし」を確立できる速度だと言う事になります。

学校の中に流れる速度を15KM以上に上げると、過半数の子供たちは、なにがしかの精神的ストレスを感じはじめ、それが校内の多くの問題の要因になるのです。

【集団化】と【個】の問題は、「一人称」の「わたし」を確立できている人間でなければ、悩むことすらできません。スマートフォンのメールにすぐさま反応しなければ、仲間外れにされるなどという無言の圧力に抗する事ができない自分では、「一人称」の「わたし」など夢のまた夢でしょう。

「一人称」の「わたし」を確立するためには、悩み惑い苦しむ時間が必要。「ゆっくり流れる」時間こそが、人の成長のなによりの栄養素なのです。この時間を確保して初めて「一人称」の「わたし」が生まれます。「ゆとり教育」の真の理念は、この「一人称」の「わたし」の確立を最大の目的としていたのです。

「我々」と「あいつら」の二者択一の構造こそ、戦争の最大の要因だというジョン・ダワーの警告を超えるためには、このような教育や社会や企業全ての成り立ちをもう一度根底から問い直す必要があるのです。

何より、新自由主義的思想や人間観を根底から問い直さなければならないと考えます。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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