笹井さんのポーランド見聞録は、大変興味深かったです。ポーランドは、わたしの最も訪れたい国の一つです。羨ましい限りです。
学生時代、映画青年だった私にとって、ポーランドと言えば、アンジェイ・ワイダ監督。彼の抵抗三部作【世代】【地下水道】【灰とダイヤモンド】は戦後映画史の中でも屈指の秀作でした。ワイダ監督、フランクルの「夜と霧」、【アンネの日記】など、わたしのポーランドの記憶は、全て第二次大戦と結びついています。
特に、【灰とダイヤモンド】は、ドイツ軍が降伏した1945・5・8のポーランドを舞台にした傑作です。戦後共産化したポーランドについていけなかった青年の一日を描いて「政治」と「人間」の悲劇を象徴的に描いたものです。党権委員会書記のシュチューカの暗殺を依頼されたロンドン亡命政府派の青年マチェクが誤って別人を殺害し、翌朝、軍によって射殺されるまでの一日を描いた作品です。マチエクが、ぼろ布のようにゴミ山の上で死ぬ場面が大変印象的だった事をよく記憶しています。ワイダ監督は、政治の激流に翻弄された人間の哀れさを描きたかったのでしょう。
ポーランドの歴史は悲劇と苦難に満ちています。何度も国がなくなっています。国家がなくなりもう一度国家を再建するなど、そうそう経験できる国民はいません。
【灰とダイヤモンド】は、誰が敵やら味方やらわけが分からなくなった混乱の時代の悲劇を描いているのです。ワイダ監督の人間に対するまなざしの優しさの奥には、政治とか戦争などに翻弄される国民に対する限りない愛惜の念があります。
だからこそ、ポーランドの甞めた経験は、貴重です。日本の学校ではほとんど教えられる事はないのですが、ポーランドが第二次大戦とその後に味わった経験は、世界の人々の貴重な財産です。
その中でワルシャワ・ゲットー蜂起とワルシャワ蜂起の教訓を考えて見ます。この2つの蜂起は、同じものだと誤解されがちですが、ワルシャワ・ゲットー蜂起とワルシャワ蜂起は全然違う事件です。
【ワルシャワ・ゲットー蜂起】
1943・4・19~5・16の間にワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人を隔離した場所)で起きた事件。
強制収容所送りが死を意味する事を悟ったユダヤ人がドイツ軍に対して起こした武装蜂起。
映画「戦場のピアニスト」は、ワルシャワゲットー蜂起とワルシャワ蜂起を背景に作られています。
http://www.geocities.jp/torikai007/bio/warsaw.html
【ワルシャワ蜂起】
1944年8月にナチス・ドイツ占領下のワルシャワでポーランド市民がドイツ軍に対して起こした武装蜂起。
ちょうどその頃、ソ連軍はワルシャワ近郊10kmのところまで迫っていました。当時、ポーランド亡命政府(ロンドンにあった)は、過去の様々な歴史的経緯からソ連によるポーランド解放を望んでいなかった。あくまでも、ポーランド国民自身の手による解放に固執したのです。実は、この亡命政府の意図は、カテインの森事件などのソ連に対する不信感が根底にありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
亡命政府は、ソ連軍がワルシャワ近郊に迫った時、他の連合軍などと連携して支援してくれる事を期待して、ワルシャワ地下軍組織に武装蜂起命令を出しました。もちろん、ソ連などと話はついていました。しかし、ソ連軍は、ワルシャワ市民の蜂起を支援しませんでした。ワルシャワ近郊のビスツーラ川対岸で高見の見物をしたのです。その為、ワルシャワ市民の3ケ月に及ぶ懸命な奮戦も空しく、地下組織はほぼ全滅しました。犠牲者は約20万人に及ぶと言われています。
何故、ソ連軍は、このような非情な態度をとったのでしょうか。様々な解釈が行われていますが、
・・・「戦後の東西対立を見据えて,ワルシャワ解放が,ポーランド国内軍によって達成されることを嫌い,親英米派の国内軍の弱体化を狙ったともいわれる。ソ連は,反共産主義の蜂起軍を自滅させるという政治的な思惑のために、ヴィスツーラ川目前で進軍を止めたとの評価もある。ドイツ軍によって,国内軍が壊滅的打撃を受ければ,ワルシャワ解放はソ連軍だけの功績であり,ポーランドの政権樹立に,ソ連の影響力を行使しやすいからである。」・・・ http://www.geocities.jp/torikai007/bio/warsaw.html
というのが、一般的な解釈でしょう。
ここに見えるのは、「国益」と言う名前の徹底的な非人間的思想です。このような政治の非情さに翻弄されたポーランドの人々の悲劇が、ワルシャワ蜂起だったと言えます。
ナチス・ドイツも非情さにおいては、ソ連にひけはとりません。麻生副総理が「ナチス・ドイツの手法を真似る」といって顰蹙を買いましたが、実は、日本会議などの右派連中の間では、この問題意識は共通なのです。
では、麻生たちはどのような所に目を付けているのでしょうか。
ワルシャワ・ゲットーでのナチス・ドイツのユダヤ人支配に一つの典型的手法を見る事ができます。彼らは、ゲットー内でユダヤ人に対して非道の限りを尽くし、最終的には、トレブリンカ絶滅収容所へ送りました。ガス室で約75万人が殺害されたと言われています。
ナチス・ドイツは、ユダヤ人社会内の差異に目をつけます。
①同化ユダヤ人(キリスト教に改信)⇒勝ち組を自認する層
②ユダヤ教徒でありながらもキリスト教社会に溶け込んでいた“同化ユダヤ人”(一応勝ち組を意識する無責任・無関心層)
③ワルシャワ近郊のシュテットル(ユダヤ人コミュニティ)出身の貧しいユダヤ教徒(明らかな負け組のB層)
④ワルシャワないし都市部の正統派のユダヤ教徒(明らかな負け組の生真面目なB層)
この4つの層の微妙な確執を利用し、ユダヤ人が自主的に絶滅収容所へ向かうように仕向けたのです。これは社会心理学を応用した巧妙な作戦でした。そして、最後はナチス・ドイツに協力したユダヤ人もなにもしなかったユダヤ人も抵抗したユダヤ人も全て強制絶滅収容所へ送られました。
実はこの方法、わたしたちは、小泉政権時代に経験しています。当時、A層とかB層と言う言葉が飛び交ったのを記憶されていると思いますが、広告会社が考えたと言われるこの方法の淵源は、ナチス・ドイツのユダヤ人支配の方法だったのです。
現在の安倍政権はさらに露骨に巧妙にこの手法をまねています。気が付いたら私たち国民全てが【強制絶滅収容所】送りになるかもしれません。
勝ち組と自認する層と「自分には関わりがない」と無関心を装う自称勝ち組の無責任層。社会的差別を受けている負け組層、「人生真面目に生きていれば、必ず良い事がある」と信じている真面目な負け組層。この層同士の間の考え方、行動、感性に微妙なずれが生じるのは当たり前です。この「ずれ」を刺激し、拡大し、ねたみ、そねみ、軽蔑、憎しみなどの敵対感情を増幅すれば、4つの層が団結して支配者に抵抗する事はなくなります。これが今も昔も変わらない【分裂して支配せよ】という支配の鉄則です。
人間心理を考えると、この種の統治方法は統治者(支配者)によほどの心理的歯止め(制御)がない限り、ナチス的蛮行まで行き着きます。イスラム国の殺害方法の残虐さに世界中が眉をひそめていますが、心理的歯止めがかからない統治者(独裁者)の残虐さは五十歩百歩です。民主主義を標榜する国家は、多少スマートな方法(法的手続き)で行っているのです。
彼らの心理的歯止めは、【法】と【選挙】です。イスラム国的むき出しの残虐さでは、【選挙】に勝利する事は難しい。選挙に勝利出来なければ、権力を掌握できません。だから、むき出しの残虐さを見せないのです。
実はナチス的心情は、人間にとっては身近なものだという事をわたしたちはよく知っておかねばならないと思います。懺悔の思いを込めて言うと、荒れた中学時代、わたしたち教師も、ナチス的衝動に駆られたものです。注意しても注意しても同じ事を繰り返す生徒に対して無茶苦茶にしてやりたい、と思った事は一度や二度ではありません。そんな自分を辛うじて支えていたのは、人間としての【プライド】だけでした。彼らと同じ土俵に乗ってどうする、というプライドだけでした。このように、ナチス的心情は、一人一人の人間の内面に潜んでいる可能性が高いものなのです。
では、社会的制度がどのような形を取り始めたらナチス的(ファッショ的)社会へ移行し始めるのか、を見て見ましょう。
(1)三大権力(立法・司法・行政)と(主要メディア批判力)の癒着と劣化
(2)支配形態を問わず不可避的に政治権力に潜む暴力の暴走(※権力は本質的に暴力性を持つ⇒警察・軍など)
(3)アカデミズムの暴走⇒御用学者の暴走⇒優秀であればあるほど危険。
上記の三条件を現在の日本の情況に当てはめると、ほとんど当てはまります。(1)は、今や誰にもはっきり見えます。(2)は小沢一郎事件を思い出してください。権力の暴走は、あのような形で、襲いかかります。(3)のアカデミズムの暴走は、竹中平蔵などを思い出せば、十分でしょう。今や日本社会は、ナチズム的なるものに満ち溢れているのです。
このような危険性を補完する国民の間に見られる現象
(1)際限なく膨張し、かつ持続する怨嗟の感情の高まり⇒(例)イラク戦争時の【自己責任論】。朝日新聞誤報問題を契機にして起こっているバッシングなど。
(2)忍耐力に欠け、結論をすぐ要求し、白か黒かの二項対立でしか物事を判断しない衆愚的短絡の感情の高まり
(3)ほとんど狂信レベルに接近した純潔民族主義(民族ナショナリズム)の暴走⇒ヘイトスピーチに見られる差別的・排外主義的思想と行動
(4)ニヒリズムがもたらす自己世界観の陶酔現象(狂気のナルシズム)の沸騰(ヒトラー型の道連れ自滅・自殺願望)⇒現在の安倍政権とその同調者(日本会議などの諸団体)たちの言動は、集団自殺する鼠を想起させる。
これもまた現在の日本の情況に瓜二つです。
笹井さんが訪問されたポーランドは、こういう政治状況の中で塗炭の苦しみを甞めてきたのです。戦後の歩みについては、笹井さんの記事に書かれています。これもまた苦難に満ちたものでした。
民族の独立を求める運動それ自体が生命をかけなくては出来ない事ですし、運動内の裏切りなど日常茶飯事でしょう。ポーランドの人々は、そういう苛酷な経験を経て、結局最後は、【人間の自由を奪う】あらゆる試みは、人々の【自由を求める粘り強い闘い】の前に失敗する、という強靭な楽観主義を持つ事ができたと思います。
「護憲+BBS」「コラムの感想」より
流水
学生時代、映画青年だった私にとって、ポーランドと言えば、アンジェイ・ワイダ監督。彼の抵抗三部作【世代】【地下水道】【灰とダイヤモンド】は戦後映画史の中でも屈指の秀作でした。ワイダ監督、フランクルの「夜と霧」、【アンネの日記】など、わたしのポーランドの記憶は、全て第二次大戦と結びついています。
特に、【灰とダイヤモンド】は、ドイツ軍が降伏した1945・5・8のポーランドを舞台にした傑作です。戦後共産化したポーランドについていけなかった青年の一日を描いて「政治」と「人間」の悲劇を象徴的に描いたものです。党権委員会書記のシュチューカの暗殺を依頼されたロンドン亡命政府派の青年マチェクが誤って別人を殺害し、翌朝、軍によって射殺されるまでの一日を描いた作品です。マチエクが、ぼろ布のようにゴミ山の上で死ぬ場面が大変印象的だった事をよく記憶しています。ワイダ監督は、政治の激流に翻弄された人間の哀れさを描きたかったのでしょう。
ポーランドの歴史は悲劇と苦難に満ちています。何度も国がなくなっています。国家がなくなりもう一度国家を再建するなど、そうそう経験できる国民はいません。
【灰とダイヤモンド】は、誰が敵やら味方やらわけが分からなくなった混乱の時代の悲劇を描いているのです。ワイダ監督の人間に対するまなざしの優しさの奥には、政治とか戦争などに翻弄される国民に対する限りない愛惜の念があります。
だからこそ、ポーランドの甞めた経験は、貴重です。日本の学校ではほとんど教えられる事はないのですが、ポーランドが第二次大戦とその後に味わった経験は、世界の人々の貴重な財産です。
その中でワルシャワ・ゲットー蜂起とワルシャワ蜂起の教訓を考えて見ます。この2つの蜂起は、同じものだと誤解されがちですが、ワルシャワ・ゲットー蜂起とワルシャワ蜂起は全然違う事件です。
【ワルシャワ・ゲットー蜂起】
1943・4・19~5・16の間にワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人を隔離した場所)で起きた事件。
強制収容所送りが死を意味する事を悟ったユダヤ人がドイツ軍に対して起こした武装蜂起。
映画「戦場のピアニスト」は、ワルシャワゲットー蜂起とワルシャワ蜂起を背景に作られています。
http://www.geocities.jp/torikai007/bio/warsaw.html
【ワルシャワ蜂起】
1944年8月にナチス・ドイツ占領下のワルシャワでポーランド市民がドイツ軍に対して起こした武装蜂起。
ちょうどその頃、ソ連軍はワルシャワ近郊10kmのところまで迫っていました。当時、ポーランド亡命政府(ロンドンにあった)は、過去の様々な歴史的経緯からソ連によるポーランド解放を望んでいなかった。あくまでも、ポーランド国民自身の手による解放に固執したのです。実は、この亡命政府の意図は、カテインの森事件などのソ連に対する不信感が根底にありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
亡命政府は、ソ連軍がワルシャワ近郊に迫った時、他の連合軍などと連携して支援してくれる事を期待して、ワルシャワ地下軍組織に武装蜂起命令を出しました。もちろん、ソ連などと話はついていました。しかし、ソ連軍は、ワルシャワ市民の蜂起を支援しませんでした。ワルシャワ近郊のビスツーラ川対岸で高見の見物をしたのです。その為、ワルシャワ市民の3ケ月に及ぶ懸命な奮戦も空しく、地下組織はほぼ全滅しました。犠牲者は約20万人に及ぶと言われています。
何故、ソ連軍は、このような非情な態度をとったのでしょうか。様々な解釈が行われていますが、
・・・「戦後の東西対立を見据えて,ワルシャワ解放が,ポーランド国内軍によって達成されることを嫌い,親英米派の国内軍の弱体化を狙ったともいわれる。ソ連は,反共産主義の蜂起軍を自滅させるという政治的な思惑のために、ヴィスツーラ川目前で進軍を止めたとの評価もある。ドイツ軍によって,国内軍が壊滅的打撃を受ければ,ワルシャワ解放はソ連軍だけの功績であり,ポーランドの政権樹立に,ソ連の影響力を行使しやすいからである。」・・・ http://www.geocities.jp/torikai007/bio/warsaw.html
というのが、一般的な解釈でしょう。
ここに見えるのは、「国益」と言う名前の徹底的な非人間的思想です。このような政治の非情さに翻弄されたポーランドの人々の悲劇が、ワルシャワ蜂起だったと言えます。
ナチス・ドイツも非情さにおいては、ソ連にひけはとりません。麻生副総理が「ナチス・ドイツの手法を真似る」といって顰蹙を買いましたが、実は、日本会議などの右派連中の間では、この問題意識は共通なのです。
では、麻生たちはどのような所に目を付けているのでしょうか。
ワルシャワ・ゲットーでのナチス・ドイツのユダヤ人支配に一つの典型的手法を見る事ができます。彼らは、ゲットー内でユダヤ人に対して非道の限りを尽くし、最終的には、トレブリンカ絶滅収容所へ送りました。ガス室で約75万人が殺害されたと言われています。
ナチス・ドイツは、ユダヤ人社会内の差異に目をつけます。
①同化ユダヤ人(キリスト教に改信)⇒勝ち組を自認する層
②ユダヤ教徒でありながらもキリスト教社会に溶け込んでいた“同化ユダヤ人”(一応勝ち組を意識する無責任・無関心層)
③ワルシャワ近郊のシュテットル(ユダヤ人コミュニティ)出身の貧しいユダヤ教徒(明らかな負け組のB層)
④ワルシャワないし都市部の正統派のユダヤ教徒(明らかな負け組の生真面目なB層)
この4つの層の微妙な確執を利用し、ユダヤ人が自主的に絶滅収容所へ向かうように仕向けたのです。これは社会心理学を応用した巧妙な作戦でした。そして、最後はナチス・ドイツに協力したユダヤ人もなにもしなかったユダヤ人も抵抗したユダヤ人も全て強制絶滅収容所へ送られました。
実はこの方法、わたしたちは、小泉政権時代に経験しています。当時、A層とかB層と言う言葉が飛び交ったのを記憶されていると思いますが、広告会社が考えたと言われるこの方法の淵源は、ナチス・ドイツのユダヤ人支配の方法だったのです。
現在の安倍政権はさらに露骨に巧妙にこの手法をまねています。気が付いたら私たち国民全てが【強制絶滅収容所】送りになるかもしれません。
勝ち組と自認する層と「自分には関わりがない」と無関心を装う自称勝ち組の無責任層。社会的差別を受けている負け組層、「人生真面目に生きていれば、必ず良い事がある」と信じている真面目な負け組層。この層同士の間の考え方、行動、感性に微妙なずれが生じるのは当たり前です。この「ずれ」を刺激し、拡大し、ねたみ、そねみ、軽蔑、憎しみなどの敵対感情を増幅すれば、4つの層が団結して支配者に抵抗する事はなくなります。これが今も昔も変わらない【分裂して支配せよ】という支配の鉄則です。
人間心理を考えると、この種の統治方法は統治者(支配者)によほどの心理的歯止め(制御)がない限り、ナチス的蛮行まで行き着きます。イスラム国の殺害方法の残虐さに世界中が眉をひそめていますが、心理的歯止めがかからない統治者(独裁者)の残虐さは五十歩百歩です。民主主義を標榜する国家は、多少スマートな方法(法的手続き)で行っているのです。
彼らの心理的歯止めは、【法】と【選挙】です。イスラム国的むき出しの残虐さでは、【選挙】に勝利する事は難しい。選挙に勝利出来なければ、権力を掌握できません。だから、むき出しの残虐さを見せないのです。
実はナチス的心情は、人間にとっては身近なものだという事をわたしたちはよく知っておかねばならないと思います。懺悔の思いを込めて言うと、荒れた中学時代、わたしたち教師も、ナチス的衝動に駆られたものです。注意しても注意しても同じ事を繰り返す生徒に対して無茶苦茶にしてやりたい、と思った事は一度や二度ではありません。そんな自分を辛うじて支えていたのは、人間としての【プライド】だけでした。彼らと同じ土俵に乗ってどうする、というプライドだけでした。このように、ナチス的心情は、一人一人の人間の内面に潜んでいる可能性が高いものなのです。
では、社会的制度がどのような形を取り始めたらナチス的(ファッショ的)社会へ移行し始めるのか、を見て見ましょう。
(1)三大権力(立法・司法・行政)と(主要メディア批判力)の癒着と劣化
(2)支配形態を問わず不可避的に政治権力に潜む暴力の暴走(※権力は本質的に暴力性を持つ⇒警察・軍など)
(3)アカデミズムの暴走⇒御用学者の暴走⇒優秀であればあるほど危険。
上記の三条件を現在の日本の情況に当てはめると、ほとんど当てはまります。(1)は、今や誰にもはっきり見えます。(2)は小沢一郎事件を思い出してください。権力の暴走は、あのような形で、襲いかかります。(3)のアカデミズムの暴走は、竹中平蔵などを思い出せば、十分でしょう。今や日本社会は、ナチズム的なるものに満ち溢れているのです。
このような危険性を補完する国民の間に見られる現象
(1)際限なく膨張し、かつ持続する怨嗟の感情の高まり⇒(例)イラク戦争時の【自己責任論】。朝日新聞誤報問題を契機にして起こっているバッシングなど。
(2)忍耐力に欠け、結論をすぐ要求し、白か黒かの二項対立でしか物事を判断しない衆愚的短絡の感情の高まり
(3)ほとんど狂信レベルに接近した純潔民族主義(民族ナショナリズム)の暴走⇒ヘイトスピーチに見られる差別的・排外主義的思想と行動
(4)ニヒリズムがもたらす自己世界観の陶酔現象(狂気のナルシズム)の沸騰(ヒトラー型の道連れ自滅・自殺願望)⇒現在の安倍政権とその同調者(日本会議などの諸団体)たちの言動は、集団自殺する鼠を想起させる。
これもまた現在の日本の情況に瓜二つです。
笹井さんが訪問されたポーランドは、こういう政治状況の中で塗炭の苦しみを甞めてきたのです。戦後の歩みについては、笹井さんの記事に書かれています。これもまた苦難に満ちたものでした。
民族の独立を求める運動それ自体が生命をかけなくては出来ない事ですし、運動内の裏切りなど日常茶飯事でしょう。ポーランドの人々は、そういう苛酷な経験を経て、結局最後は、【人間の自由を奪う】あらゆる試みは、人々の【自由を求める粘り強い闘い】の前に失敗する、という強靭な楽観主義を持つ事ができたと思います。
「護憲+BBS」「コラムの感想」より
流水

ドイツはGDP比で1.4%と比べると(経済規模が違いますが)軍事に力をいれてます
ドイツ・ロシアという両強国に挟まれ、蹂躙された歴史を骨身に感じたポーランドは、国防を疎かにできないと改めて感じたのでしょう
ちなみに日本もロシア・中国と米国の間に挟まれた国です
しかし防衛費はGDP比で1%以下