【1】問題の所在
インパール作戦やガダルカナルの話を持ち出すまでもなく、日本では、失敗だと分かっていても、いったん動き出した政策は止まらない。今回の「GO TO キャンペーン」もその例に漏れない。誰がどう見ても失敗なのだが、止める気配はない。
それでいて、その失敗の原因を徹底的に検証するわけでもない。その政策の責任者や官僚たちが、本当の意味で責任を取った事もほとんどない。
しかし、当事者たちの多くは、自分たちが遂行している政策が失敗している事を知っていたし、このままやり続けたらまずいのではないか、と思っていた。しかし、勇気をもってその政策を辞めるとか中止するという選択肢は生まれなかった。それは何故か。
日本人論を考えるなら、研究しがいのあるテーマだが、そんな政治家や官僚たちを持った国民はたまったものではない。何故なら、その失敗のつけを直接受けるのは、国民だから。
インパール作戦のつけは、白骨街道を埋め尽くした兵の命が支払った。ガダルカナルのつけも見捨てられた兵士の命で支払った。ポツダム宣言の受諾が遅れたつけは、何十万に及ぶ広島・長崎の人々の命で支払った。
先日、一審で原告勝訴となった「黒い雨」訴訟。井伏鱒二の「黒い雨」が描くように、原爆投下後に降った放射能を帯びた「黒い雨」が広島県に広範囲に降ったことは多くの人が知っている。今回の判決は、当然なことを当然とした判決に過ぎない。
しかし、政府は、「科学的根拠」なる怪しげな論拠を持ち出して控訴した。原爆被害や黒い雨の降った範囲などを徹底的に調査検証するのが、本来の国の仕事。戦後75年も経っているのに、黒い雨の降った地域すら特定できないのか。一体全体政府は何をやってきたのか。国家として恥ずかしくないのか。
こう考えると、国の控訴は、裁判を延ばせるだけ引き延ばして、原告が死んでしまうのを待つ作戦だと思われても仕方がない。
少し、話は違うのだが、わたしは、【裁判員制度】の問題について、制度が確立する以前から、疑問を呈してきた。
「裁判員制度」を導入するのなら、いわゆる「行政裁判」に導入すべきなのに、「刑事裁判」に導入するのは、国民の処罰感情を利用して、量刑を重くしてしまおうとする当局の意図が隠されている。
もし、「行政裁判」に裁判員制度を導入すると、裁判時間が短くなり(裁判が長期化すると、裁判員の拘束時間が長くなり、彼らの生活を脅かす。だから裁判員裁判は裁判時間の短縮が必須条件)、裁判の長期化により、原告側が諦めたり、死亡したりして、国が有利になるような方法がとれなくなる。
同時に、今までのような裁判引き延ばしのための屁理屈が「裁判員」の不信を買う可能性が高く、国が敗訴する可能性が高い。だから、わたしは、「行政裁判」こそ、裁判員裁判がふさわしいと考えている。
しかし、そんな制度を官僚たちが作るはずがない。「民は寄らしむべし。知らしむべからず」の封建時代の政治原理がいまだ脈々と生きているのが、日本と言う国家。
※コトバンク
https://kotobank.jp/word/民は由らしむべし%2C知らしむべからず-94398
国家が「責任」を取る事を異様なくらい拒否する官僚たちの姿勢が良く見える。
【国家無謬説】こそ、戦前も戦後も変わらぬ日本の官僚たちの姿勢である。要するに俺たちが間違うはずがない。お前たち国民は黙って言う事を聞け、という話である。
【2】厚生労働省の出自
(1)現状
では、現在最も問題になっている新型コロナ問題を担当しているのはどこか。厚生労働省である。
前の投稿で、PCR検査促進のための長崎方式(PCR等検査実施の委託契約を長崎大学を中心として一括集団契約を結ぶ)について触れた。
8月5日、日本医師会も『新型コロナウイルス感染症の今後の感染拡大を見据えた PCR等検査体制の更なる拡大・充実のための緊急提言』を提出。その中で「PCR等検査実施の委託契約(集合・個別)の必要がないことの明確化」を書いている。
※日医ONLINE
https://www.med.or.jp/nichiionline/article/009526.html
あまり一般には馴染みのない規定だが、PCR検査はあくまで『行政検査』。『行政検査』だから、現行の検査体制では、PCR検査を行っている病院・診療所、地域外来・検査センターは、地域の保健所と『委託契約』を結ぶことが求められる。つまり、PCR検査とはあくまで「行政検査」であって、医療機関はそれを代行しているという建て付けで、これが結構煩雑なため、PCR検査の数が増えない。長崎方式は、この現状に風穴を開ける試み。
『行政検査』の理由は明白。⇒ 新型コロナは「第2類相当の指定感染症」。⇒ポリオ。SARS・結核などと同等の感染症。
〇感染症の分類 日本看護協会共済
※https://www.e-kango.net/safetynet/measures/page21.html
↓
感染症法に基づいて都道府県知事が定めた指定医療機関への入院、場合によっては隔離措置。⇒保健所⇒患者の情報を自分たちでしっかり把握したい。
⇒委託契約を結んだ医療機関にしかPCR検査をさせない。
🔷長崎方式や日本医師会の提言は、この【委託契約】それ自体が、PCR検査の拡大を妨げているとして、その【委託契約】自体の廃止を求めている。
🔷一番手っ取り早い方法⇒新型コロナを指定感染症から外せばよい⇒厚生労働省がうんと言わない。(感染者情報の独占)
(2)厚生労働省のはじまり
・1938年(昭和12年)厚生省(厚生労働省の前身)設立
・目的⇒最大の目的は、「結核撲滅」。
・設立の立役者⇒陸軍省医務局長小泉親彦を中心とした陸軍主導で設立
(A) これまでの衛生行政の中心⇒警察(内務省) 学童と学生の健康維持・増進⇒文部省・・・・・・・・
⇒縦割り行政を克服し、一元化する目的
(B) 徴兵検査の成績を上げる必要性⇒徴兵検査の最大の障害が『結核』
1930年当時⇒日本の結核の死亡率は世界に比べて突出して高い⇒これを下げて、徴兵検査に元気な若者を多く合格させたい。⇒強い兵隊を育てたい。
※人口動態調査から見た結核の100年
http://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/sage2003/
※結核の歴史・結核の社会史 青木正和 青木純也
https://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/172/omori.pdf
(3)強い兵士をつくり、軍に送り込む。⇒厚生省設立の最大目的
(A)1940年5月1日~7月31日 (3ケ月)⇒全国民対象の大規模健康診断
⇒結核及びそれに類する不健康者を根こそぎ調査
(B)1941年 小泉親彦 厚生大臣に就任 ⇒(A)の方針を強化
(C)1942年 「結核予防要綱」作成
国民を「健康者」「弱者」「病者」に3分類し、「病者」は「結核病床に収容」というルールが定められている⇒現在のコロナ対策と酷似
※わが国の結核対策の現状と課題(1)「わが国の結核対策の歩み」 結核予防会青木正和
https://jata.or.jp/rit/rj/2010_1.pdf#search=%271942年結核対策要綱%27
このように厚生省の始まりは、感染症対策(結核)のためだ、と言っても過言ではない。悪名高い731部隊のリーダー石井四郎陸軍軍医中将の軍医時代の上司は小泉親彦。731部隊は満州で結核菌の研究もしていた事が分かっている。小泉親彦は、BCGの研究もしており、陸軍で初めてBCG接種をしている。
これらの歴史的事実から類推できることは、日本の感染症対策の目的は、決して『国民の命を守る』という目的から始まったものではなく、【日本国を強くする】という国策的視点から始まっている、と言う事を忘れてはならない。これが、厚生労働省、特に、国立感染症研究所や厚生労働省の医系技官たちに脈々と受け継がれている【組織文化】だ。
(1)日本の医療行政は、厚生労働省が担う。(2)なかんづく、感染症に関する全てのデータ・情報・権限は、厚生労働省が握る。(3)医療や感染症対策の目的は、強い国民を作る⇒国家のための人材育成の一環 ⇒◆背後に隠れた思想=生産性の低い弱い国民の淘汰=優性思想が時折垣間見える。
21世紀の日本でこのようなアナクロニズムが通用するかどうか分からないが、今現在厚労省の医系技官や国立感染症研究所出身の旧専門家委員会(現分科会)委員などには、この組織文化が脈々と流れているように思われる。
例えば、新型コロナ対策の基本は、【集団免疫】理論ではないかと推察できる。当初、イギリスが行い、方針転換をし、スウェーデンが実践し、現在手直しをしている方法論。現在の政府の無為無策のやり方は、どうも、政府は【集団免疫】路線に方針転換をしたのではないかと思えてならない。羽鳥のモーニングショーで玉川キャスターが、現在スウェーデンより日本政府の方が何もしていない、と指摘していた。
※集団免疫とは ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E5%85%8D%E7%96%AB
※新型ウイルスの【集団免疫】は非現実的 BBC
https://www.bbc.com/japanese/53316709
※「新型コロナ集団免疫は期待できない」保健福祉部長官 KBS
http://world.kbs.co.kr/service/news_view.htm?lang=j&Seq_Code=76314
【集団免疫】は、国民の6割が抗体を持てば自然にコロナは収まる、という理論なのだから、裏を返せば、国民の6割が感染するのを待つと言う事を意味する。
と言う事は、重症化しやすい高齢者や基礎疾患を持つ人間は、死んでも仕方がないと考えている。それは、やむを得ない必要な犠牲だと言う事だろう。感染爆発が起きたイタリアでもフランスでもアメリカでも行われた【命の選別】が現実のものになるだろう。強い国民以外必要ない、と言っているようなものだ。
国民がよほどしっかりしないと、知らないうちに壮大な人体実験の道具にされかねない。
🔷厚生労働省の優性思想
先日、ALS患者に依頼されて、安楽死を手伝った嘱託殺人の疑いで、二人の医者が逮捕された。
この問題については、リテラの記事が詳しい。
・・・・
大久保容疑者は厚労省で医系技官を約7年半務めており、妻は2012年の総選挙で自民党から出馬し当選(比例復活)、衆院議員を1期務めた元“安倍チルドレン”議員だった。・・・(中略)・・・・
メディアではこの事件を「安楽死」と報じているが、そもそもこれは「安楽死」と呼べるようなものなのか。彼らは殺害したALSの女性とSNSで知り合った関係で、担当医師でもなんでもなかった。被害者本人の明確な意思表示に基づき他にとれる手段がなく安楽死に協力したのではなく、むしろ自分たちの殺人欲求が先にあり、安楽死をのぞむ人間を積極的に探していた可能性も考えられる。
しかも、2人は高齢者や障害者は死んだほうがいいと主張する典型的な優生思想の持ち主だった。・・・・・
「安楽死」の名を借りてALS患者を殺害した元厚労省医系技官らのグロテスクな優生思想! 麻生財務相や古市憲寿も同類 (リテラ)
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0724/ltr_200724_9953603644.html
厚生労働省の医系技官の全てが優性思想の持ち主だとは思わないが、日本の医療行政に優性思想の影響がある事は、1948年に成立した「優生保護法」や「ハンセン病患者隔離」問題や「薬害エイズ問題」等で容易に類推できる。
・優生保護法
第二次世界大戦直後の1948年に成立した法律である。1996年に、母体保護法へと改正されるまで、約50年間生き続けた。目的は2つあり、1つは優秀な子どもを産み、劣った子ども(不良な子孫)を産まないようにすることである。2つ目には人工妊娠中絶が許されるための条件を示すことであった。 中絶は刑法の罪に問われるものであった。しかし、この優生保護法の成立によってある条件が満たされれば中絶の違法性がキャンセルされ、犯罪とはみなされなくなったのである。
※中絶が認められるのは、妊娠22週未満(胎児が子宮の外へと取り出されたら生きていけない時期)に限られる。
http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E5%84%AA%E7%94%9F%E6%80%9D%E6%83%B3
※優性思想 ⇒身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。優生学の成果に立脚する。人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E6%80%9D%E6%83%B3
「相模原障害施設殺傷事件」の犯人の極端な優性思想が多くの人に衝撃を与えたが、実はこの思想は、もっと薄めた形で、厚生労働省だけではなく、政治家や官僚、経済人、言論人などに幅広く存在している。わたしたち一般人にもかなりの数で浸透していると考えた方が良い。特に現代の「新自由主義的」思想は、せんじ詰めれば、優性思想の行きつく先と考えたほうが良い。
※「優生思想」は現代社会に脈々と息づいている
障害者施設殺傷事件が突き付けた問題
https://toyokeizai.net/articles/-/145061
【3】日本型組織の意思決定のメカニズム
わたしの大学時代の主任教授は、東大出身。戦争当時、総力戦研究所に勤務していた。彼の専門は、科学史。歴史学者でありながら、数理系に強く、きわめて合理的なタイプの人間だった。彼は、「太平洋戦争前に米国と戦争をしたら絶対負ける」という研究結果を提出していたのに、陸軍の指導部が聞かなかった」と述懐していた。
当時の総力戦研究所の分析では、米国の経済力は、日本の約50倍。戦争したら、絶対敗北する、という分析だった。陸軍の首脳たちは、この分析結果をよく知っていた。知っていながら、太平洋戦争に突入した。
何故、そんな不合理な選択(意思決定)をするのか。国民から言わせると、何故、そんな決定ができるのか。今でも、この問いは有効である。
コロナ禍で決定された“GO TO トラベル”キャンペーンのドタバタ劇をはじめ、初期の学校閉鎖問題、10万円給付を始めとする政府決定のドタバタとスピードの遅さ。安倍のマスクの頓珍漢さ。一体全体、この政権の意思決定の「不合理さ」、「感性のなさ」、「無責任さ」はどこから来るのか。
少し、満州事変当時の日本が直面していた問題について考えてみる。
(1)満州事変⇒米国をはじめとする諸国は、満州国を認めない。国際連盟は、鉄道爆破について、リットン調査団を派遣。日本政府の言い分の正当性を検証。⇒国際的孤立。
(2)米国⇒日本軍の中国本土からの無条件撤退要求。鉄などの主要な資源を禁輸。
(3)日本軍⇒欧州で始まった独ソ戦を利用⇒陸軍を北進(対ソ戦念頭) 海軍⇒南進
⇒南方の石油資源念頭
(4)海軍の南進策⇒米国の怒りに火を注ぐ結果⇒石油の全面禁輸
🔷日本のリーダーたちの直面した課題(ジレンマ)
▼米国の要求に屈する⇒〇石油は手に入る
●中国の権益を手放す⇒明治以来の日本の努力が水泡に帰す⇒国内の強い反発を招く
▽米国の要求を無視⇒南方進出⇒〇石油は手に入る(石油資源の独自調達)
●米国の怒りに油を注ぎ、日米戦争は避けられない。(勝ち目なし)
↓
【決定】時間経過とともに、石油備蓄はなくなり、じり貧状態に陥る。
追い込まれ、かすかな可能性を信じて、南方進出・石油獲得・米国との戦争に突入。
🔷彼らの意思決定のメカニズムは何か
★組織は合理的に失敗する
当時の政治の指導層や官僚、軍の指導層、彼らは、ある種の合理性を備えていた。特に陸軍・海軍の指導層は、選りすぐりのエリート。頭脳明晰で合理的思考のできる人材が揃っていた。
がちがちの精神主義者のように見える東条英機だが、「カミソリ東条」のあだ名がつくくらいきわめて合理的思考のできる人間だった。【合理的思考】なくして国家経営、戦争遂行などできるはずがない。がちがちのイデオロギー論者では、そんな事は到底できない。
では彼らの合理的思考とは何か。基本的には、シンプルな【損得勘定】。
【行動原理】徹底的に状況分析⇒「損得計算」⇒+ならば前進。-ならば後退。
問題点⇒コスト計算に、会計上の見えるコストと見えないコストが含まれる。見えないコストの計算が大問題。誰しも無意識にこの見えないコストを計算している。
例えば、この決定をすると、利害関係を持っている有力者Aさんのご機嫌を損ねる。Aさんのご機嫌を損ねたら、出来るはずの政策が出来なくなる。だから、Aさんの利害に関する事だけは、政策決定から外すか、それともできるだけ配慮する、という具合に。
こういう人間の思考過程を勘案した最新の取引理論⇒【取引コスト論】⇒すべての人間は不完全で限定合理的であり、スキがあれば利己的利益を追求する機会主義的な存在として仮定される。
※取引コスト論
http://www.osamuhasegawa.com/%E5%8F%96%E5%BC%95%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6/
↓
人間関係上の無駄な取引⇒「取引コスト」。これが、大になればなるほど非効率的な現状をより効率的な現状に変化させることが困難になる。
↓
現状維持勢力が強ければ強いほど、「取引コスト」が大きくなる。
↓
不条理な結論⇒コスト削減するための現状を変革するために膨大なコストがかかる。現状維持ならば、コストが少なくて済む。(しかし、将来的には危うい)⇒コストを考えると、現状維持を選択する方が一番コストがかからない。
※『合理的損得勘定』を積み重ねた結果、最も非合理なはずの現状維持政策が、最もコストが少ない方法であるという結論になる場合が多い。
◎日米開戦にいたる陸軍・海軍の思考過程
▽陸軍⇒総力戦研究所で日本とアメリカの戦力分析を徹底的に行い、日本の敗戦を予測している。しかし、中国大陸から引き上げるには、手ぶらでは帰れない。←(コスト)明治以来、中国大陸に進出しており、利害関係者が多数いる。彼らを説得できるだけの利権の確保は難しい。これに失敗すると、責任追及は必至。この「コスト」を考えると、日米開戦が合理的。
▽海軍⇒石油の備蓄=一年半程度 ⇒海軍は2年程度で自滅の運命
自滅を避けるために南方侵略⇒米国との戦争必至⇒勝つ見込みなし
石油禁輸を避けるためには、陸軍を満州から撤退させなければならない。
⇒陸軍の説得は至難の業。当時の陸海軍の仲を考えれば、限りなく不可能に近い。
⇒「取引コスト」が膨大。
結論⇒一筋の光明を信じて、米国と開戦をするのが合理的。
つまり、陸軍も海軍も政治家も合理的思考の限りを尽くして、最も非合理的な結論(日米開戦)に達した。
たしかに、日本は、明治以来、中国侵略には、多大な犠牲を払っており、中国に利権を持つ人間も多数いた。夢を求めて中国に渡った国民も多数いた。陸軍は、彼らを説得する必要性もあり、その交渉・取引コストはあまりにも膨大だったのである。こうして、陸軍も勝てない米国との戦争を行う方が合理的だという不条理に導かれた。
以前から、何度も『空気』を読み、『空気』に逆らわないのが日本人の行動様式の特徴だと書いてきた。この「空気」を読む基本の背後に、このような【損得を計算する】思考法がある。
『空気』の醸成は簡単にはできない。人は馬鹿ではない。『空気』の論理に、ある種の正統性がないと、人は付いて行かない。この正統性の担保に「取引コスト」論があると考えられる。「取引コスト論」自体は、新しい理論だが、日本人の思考法=処世術・生き残り術を説明する理論としては、きわめて有効である。
『損得を計算する=取引のコストを計算する』ことは、誰でも日常的に行う。指導者の本当の優秀さ、能力の高さは、この「取引コスト」を超えたトータルな思考にあるのだが、凡百の指導者は『取引コスト』の精緻な計算に固執する。『取引コスト』の損得勘定が行動原理になりがちである。
これが、合理性を突き詰めて、突き詰めて思考した結果、誰がどう見ても『不条理な結論』にいたるメカニズムだろう。
この結論は、誰がどう考えても非常識で非合理的結論。だから、保阪正康氏が主張する『主観的願望を客観的真実』に変容させる必要がある。合理的結論のように装う必要があった。
その為にどうするか。
(1)予想を支える数値を甘く見積もった。誰が考えてもそれしか方法がない。今でいうなら、『統計偽装』や『統計改竄』を行う事にならざるを得ない。この最たるものが、いわゆる『大本営発表』である。
(2)同時にプロパガンダを大々的に行う必要がある。(戦争標語、学校で軍国教育、戦争プロパガンダ映画、メディア統制、隣組制度の強化、歌謡曲、戦意高揚儀式など)
(3)それでも疑問を呈するものには、強権的対応を取らざるを得なかった。⇒メディア・知識人・共産党などの弾圧。⇒ファッショ体制の確立
(4)ポツダム宣言受諾決定後⇒『戦争責任追及』を免れるため、あらゆる文書を焼却⇒(例)内務省の文書焼却3日3晩、外務省文書8000冊など。満州や朝鮮、地方役所などの文書など⇒軍人・役人の戦争責任を灰燼に帰した。(★明治以降の日本の歴史が消え失せた)
この「責任回避」が、日本の政治家・官僚・軍人たちの悪しき伝統になっている。「従軍慰安婦」問題などは、『文書焼却』がなかったら起こりえなかったはず。この歴史に対する冒涜ともいえる蛮行が、歴史修正主義者の背景に横たわっていることを忘れてはならない。
現在の政権は、敗戦時の『歴史を消し去る』蛮行を良しとしているように見える。単純に言うなら、証拠さえなければ、どうとでも言いくるめる事ができる。出来るだけ、証拠を残すな! これが安倍政権の姿勢だろう。
だから、現在のコロナ対応でも、出来得るものなら、きちんとした文書は残したくない。『責任』を取るくらいなら、何もしない方が良い⇒典型的な政治家・官僚の『不作為の罪』。
厚生省を作った小泉親彦は、戦後自刃して果てている。せめて彼くらいの覚悟が現在の政治家・官僚たちにあれば、もう少しは違った対応が取れるはずだが、それもないものねだりだろう。
参考
※取引コスト論は、「現代ビジネス」の以下の記事を参照しています。
コロナ対策で日本のリーダーはあの戦争と同じく合理的に失敗している
開戦時の日本のリーダーたちと比較してみる
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc1aa7bf519381223727af580e4a8c81a7c89d71
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
インパール作戦やガダルカナルの話を持ち出すまでもなく、日本では、失敗だと分かっていても、いったん動き出した政策は止まらない。今回の「GO TO キャンペーン」もその例に漏れない。誰がどう見ても失敗なのだが、止める気配はない。
それでいて、その失敗の原因を徹底的に検証するわけでもない。その政策の責任者や官僚たちが、本当の意味で責任を取った事もほとんどない。
しかし、当事者たちの多くは、自分たちが遂行している政策が失敗している事を知っていたし、このままやり続けたらまずいのではないか、と思っていた。しかし、勇気をもってその政策を辞めるとか中止するという選択肢は生まれなかった。それは何故か。
日本人論を考えるなら、研究しがいのあるテーマだが、そんな政治家や官僚たちを持った国民はたまったものではない。何故なら、その失敗のつけを直接受けるのは、国民だから。
インパール作戦のつけは、白骨街道を埋め尽くした兵の命が支払った。ガダルカナルのつけも見捨てられた兵士の命で支払った。ポツダム宣言の受諾が遅れたつけは、何十万に及ぶ広島・長崎の人々の命で支払った。
先日、一審で原告勝訴となった「黒い雨」訴訟。井伏鱒二の「黒い雨」が描くように、原爆投下後に降った放射能を帯びた「黒い雨」が広島県に広範囲に降ったことは多くの人が知っている。今回の判決は、当然なことを当然とした判決に過ぎない。
しかし、政府は、「科学的根拠」なる怪しげな論拠を持ち出して控訴した。原爆被害や黒い雨の降った範囲などを徹底的に調査検証するのが、本来の国の仕事。戦後75年も経っているのに、黒い雨の降った地域すら特定できないのか。一体全体政府は何をやってきたのか。国家として恥ずかしくないのか。
こう考えると、国の控訴は、裁判を延ばせるだけ引き延ばして、原告が死んでしまうのを待つ作戦だと思われても仕方がない。
少し、話は違うのだが、わたしは、【裁判員制度】の問題について、制度が確立する以前から、疑問を呈してきた。
「裁判員制度」を導入するのなら、いわゆる「行政裁判」に導入すべきなのに、「刑事裁判」に導入するのは、国民の処罰感情を利用して、量刑を重くしてしまおうとする当局の意図が隠されている。
もし、「行政裁判」に裁判員制度を導入すると、裁判時間が短くなり(裁判が長期化すると、裁判員の拘束時間が長くなり、彼らの生活を脅かす。だから裁判員裁判は裁判時間の短縮が必須条件)、裁判の長期化により、原告側が諦めたり、死亡したりして、国が有利になるような方法がとれなくなる。
同時に、今までのような裁判引き延ばしのための屁理屈が「裁判員」の不信を買う可能性が高く、国が敗訴する可能性が高い。だから、わたしは、「行政裁判」こそ、裁判員裁判がふさわしいと考えている。
しかし、そんな制度を官僚たちが作るはずがない。「民は寄らしむべし。知らしむべからず」の封建時代の政治原理がいまだ脈々と生きているのが、日本と言う国家。
※コトバンク
https://kotobank.jp/word/民は由らしむべし%2C知らしむべからず-94398
国家が「責任」を取る事を異様なくらい拒否する官僚たちの姿勢が良く見える。
【国家無謬説】こそ、戦前も戦後も変わらぬ日本の官僚たちの姿勢である。要するに俺たちが間違うはずがない。お前たち国民は黙って言う事を聞け、という話である。
【2】厚生労働省の出自
(1)現状
では、現在最も問題になっている新型コロナ問題を担当しているのはどこか。厚生労働省である。
前の投稿で、PCR検査促進のための長崎方式(PCR等検査実施の委託契約を長崎大学を中心として一括集団契約を結ぶ)について触れた。
8月5日、日本医師会も『新型コロナウイルス感染症の今後の感染拡大を見据えた PCR等検査体制の更なる拡大・充実のための緊急提言』を提出。その中で「PCR等検査実施の委託契約(集合・個別)の必要がないことの明確化」を書いている。
※日医ONLINE
https://www.med.or.jp/nichiionline/article/009526.html
あまり一般には馴染みのない規定だが、PCR検査はあくまで『行政検査』。『行政検査』だから、現行の検査体制では、PCR検査を行っている病院・診療所、地域外来・検査センターは、地域の保健所と『委託契約』を結ぶことが求められる。つまり、PCR検査とはあくまで「行政検査」であって、医療機関はそれを代行しているという建て付けで、これが結構煩雑なため、PCR検査の数が増えない。長崎方式は、この現状に風穴を開ける試み。
『行政検査』の理由は明白。⇒ 新型コロナは「第2類相当の指定感染症」。⇒ポリオ。SARS・結核などと同等の感染症。
〇感染症の分類 日本看護協会共済
※https://www.e-kango.net/safetynet/measures/page21.html
↓
感染症法に基づいて都道府県知事が定めた指定医療機関への入院、場合によっては隔離措置。⇒保健所⇒患者の情報を自分たちでしっかり把握したい。
⇒委託契約を結んだ医療機関にしかPCR検査をさせない。
🔷長崎方式や日本医師会の提言は、この【委託契約】それ自体が、PCR検査の拡大を妨げているとして、その【委託契約】自体の廃止を求めている。
🔷一番手っ取り早い方法⇒新型コロナを指定感染症から外せばよい⇒厚生労働省がうんと言わない。(感染者情報の独占)
(2)厚生労働省のはじまり
・1938年(昭和12年)厚生省(厚生労働省の前身)設立
・目的⇒最大の目的は、「結核撲滅」。
・設立の立役者⇒陸軍省医務局長小泉親彦を中心とした陸軍主導で設立
(A) これまでの衛生行政の中心⇒警察(内務省) 学童と学生の健康維持・増進⇒文部省・・・・・・・・
⇒縦割り行政を克服し、一元化する目的
(B) 徴兵検査の成績を上げる必要性⇒徴兵検査の最大の障害が『結核』
1930年当時⇒日本の結核の死亡率は世界に比べて突出して高い⇒これを下げて、徴兵検査に元気な若者を多く合格させたい。⇒強い兵隊を育てたい。
※人口動態調査から見た結核の100年
http://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/sage2003/
※結核の歴史・結核の社会史 青木正和 青木純也
https://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/172/omori.pdf
(3)強い兵士をつくり、軍に送り込む。⇒厚生省設立の最大目的
(A)1940年5月1日~7月31日 (3ケ月)⇒全国民対象の大規模健康診断
⇒結核及びそれに類する不健康者を根こそぎ調査
(B)1941年 小泉親彦 厚生大臣に就任 ⇒(A)の方針を強化
(C)1942年 「結核予防要綱」作成
国民を「健康者」「弱者」「病者」に3分類し、「病者」は「結核病床に収容」というルールが定められている⇒現在のコロナ対策と酷似
※わが国の結核対策の現状と課題(1)「わが国の結核対策の歩み」 結核予防会青木正和
https://jata.or.jp/rit/rj/2010_1.pdf#search=%271942年結核対策要綱%27
このように厚生省の始まりは、感染症対策(結核)のためだ、と言っても過言ではない。悪名高い731部隊のリーダー石井四郎陸軍軍医中将の軍医時代の上司は小泉親彦。731部隊は満州で結核菌の研究もしていた事が分かっている。小泉親彦は、BCGの研究もしており、陸軍で初めてBCG接種をしている。
これらの歴史的事実から類推できることは、日本の感染症対策の目的は、決して『国民の命を守る』という目的から始まったものではなく、【日本国を強くする】という国策的視点から始まっている、と言う事を忘れてはならない。これが、厚生労働省、特に、国立感染症研究所や厚生労働省の医系技官たちに脈々と受け継がれている【組織文化】だ。
(1)日本の医療行政は、厚生労働省が担う。(2)なかんづく、感染症に関する全てのデータ・情報・権限は、厚生労働省が握る。(3)医療や感染症対策の目的は、強い国民を作る⇒国家のための人材育成の一環 ⇒◆背後に隠れた思想=生産性の低い弱い国民の淘汰=優性思想が時折垣間見える。
21世紀の日本でこのようなアナクロニズムが通用するかどうか分からないが、今現在厚労省の医系技官や国立感染症研究所出身の旧専門家委員会(現分科会)委員などには、この組織文化が脈々と流れているように思われる。
例えば、新型コロナ対策の基本は、【集団免疫】理論ではないかと推察できる。当初、イギリスが行い、方針転換をし、スウェーデンが実践し、現在手直しをしている方法論。現在の政府の無為無策のやり方は、どうも、政府は【集団免疫】路線に方針転換をしたのではないかと思えてならない。羽鳥のモーニングショーで玉川キャスターが、現在スウェーデンより日本政府の方が何もしていない、と指摘していた。
※集団免疫とは ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E5%85%8D%E7%96%AB
※新型ウイルスの【集団免疫】は非現実的 BBC
https://www.bbc.com/japanese/53316709
※「新型コロナ集団免疫は期待できない」保健福祉部長官 KBS
http://world.kbs.co.kr/service/news_view.htm?lang=j&Seq_Code=76314
【集団免疫】は、国民の6割が抗体を持てば自然にコロナは収まる、という理論なのだから、裏を返せば、国民の6割が感染するのを待つと言う事を意味する。
と言う事は、重症化しやすい高齢者や基礎疾患を持つ人間は、死んでも仕方がないと考えている。それは、やむを得ない必要な犠牲だと言う事だろう。感染爆発が起きたイタリアでもフランスでもアメリカでも行われた【命の選別】が現実のものになるだろう。強い国民以外必要ない、と言っているようなものだ。
国民がよほどしっかりしないと、知らないうちに壮大な人体実験の道具にされかねない。
🔷厚生労働省の優性思想
先日、ALS患者に依頼されて、安楽死を手伝った嘱託殺人の疑いで、二人の医者が逮捕された。
この問題については、リテラの記事が詳しい。
・・・・
大久保容疑者は厚労省で医系技官を約7年半務めており、妻は2012年の総選挙で自民党から出馬し当選(比例復活)、衆院議員を1期務めた元“安倍チルドレン”議員だった。・・・(中略)・・・・
メディアではこの事件を「安楽死」と報じているが、そもそもこれは「安楽死」と呼べるようなものなのか。彼らは殺害したALSの女性とSNSで知り合った関係で、担当医師でもなんでもなかった。被害者本人の明確な意思表示に基づき他にとれる手段がなく安楽死に協力したのではなく、むしろ自分たちの殺人欲求が先にあり、安楽死をのぞむ人間を積極的に探していた可能性も考えられる。
しかも、2人は高齢者や障害者は死んだほうがいいと主張する典型的な優生思想の持ち主だった。・・・・・
「安楽死」の名を借りてALS患者を殺害した元厚労省医系技官らのグロテスクな優生思想! 麻生財務相や古市憲寿も同類 (リテラ)
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0724/ltr_200724_9953603644.html
厚生労働省の医系技官の全てが優性思想の持ち主だとは思わないが、日本の医療行政に優性思想の影響がある事は、1948年に成立した「優生保護法」や「ハンセン病患者隔離」問題や「薬害エイズ問題」等で容易に類推できる。
・優生保護法
第二次世界大戦直後の1948年に成立した法律である。1996年に、母体保護法へと改正されるまで、約50年間生き続けた。目的は2つあり、1つは優秀な子どもを産み、劣った子ども(不良な子孫)を産まないようにすることである。2つ目には人工妊娠中絶が許されるための条件を示すことであった。 中絶は刑法の罪に問われるものであった。しかし、この優生保護法の成立によってある条件が満たされれば中絶の違法性がキャンセルされ、犯罪とはみなされなくなったのである。
※中絶が認められるのは、妊娠22週未満(胎児が子宮の外へと取り出されたら生きていけない時期)に限られる。
http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/%E5%84%AA%E7%94%9F%E6%80%9D%E6%83%B3
※優性思想 ⇒身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。優生学の成果に立脚する。人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E6%80%9D%E6%83%B3
「相模原障害施設殺傷事件」の犯人の極端な優性思想が多くの人に衝撃を与えたが、実はこの思想は、もっと薄めた形で、厚生労働省だけではなく、政治家や官僚、経済人、言論人などに幅広く存在している。わたしたち一般人にもかなりの数で浸透していると考えた方が良い。特に現代の「新自由主義的」思想は、せんじ詰めれば、優性思想の行きつく先と考えたほうが良い。
※「優生思想」は現代社会に脈々と息づいている
障害者施設殺傷事件が突き付けた問題
https://toyokeizai.net/articles/-/145061
【3】日本型組織の意思決定のメカニズム
わたしの大学時代の主任教授は、東大出身。戦争当時、総力戦研究所に勤務していた。彼の専門は、科学史。歴史学者でありながら、数理系に強く、きわめて合理的なタイプの人間だった。彼は、「太平洋戦争前に米国と戦争をしたら絶対負ける」という研究結果を提出していたのに、陸軍の指導部が聞かなかった」と述懐していた。
当時の総力戦研究所の分析では、米国の経済力は、日本の約50倍。戦争したら、絶対敗北する、という分析だった。陸軍の首脳たちは、この分析結果をよく知っていた。知っていながら、太平洋戦争に突入した。
何故、そんな不合理な選択(意思決定)をするのか。国民から言わせると、何故、そんな決定ができるのか。今でも、この問いは有効である。
コロナ禍で決定された“GO TO トラベル”キャンペーンのドタバタ劇をはじめ、初期の学校閉鎖問題、10万円給付を始めとする政府決定のドタバタとスピードの遅さ。安倍のマスクの頓珍漢さ。一体全体、この政権の意思決定の「不合理さ」、「感性のなさ」、「無責任さ」はどこから来るのか。
少し、満州事変当時の日本が直面していた問題について考えてみる。
(1)満州事変⇒米国をはじめとする諸国は、満州国を認めない。国際連盟は、鉄道爆破について、リットン調査団を派遣。日本政府の言い分の正当性を検証。⇒国際的孤立。
(2)米国⇒日本軍の中国本土からの無条件撤退要求。鉄などの主要な資源を禁輸。
(3)日本軍⇒欧州で始まった独ソ戦を利用⇒陸軍を北進(対ソ戦念頭) 海軍⇒南進
⇒南方の石油資源念頭
(4)海軍の南進策⇒米国の怒りに火を注ぐ結果⇒石油の全面禁輸
🔷日本のリーダーたちの直面した課題(ジレンマ)
▼米国の要求に屈する⇒〇石油は手に入る
●中国の権益を手放す⇒明治以来の日本の努力が水泡に帰す⇒国内の強い反発を招く
▽米国の要求を無視⇒南方進出⇒〇石油は手に入る(石油資源の独自調達)
●米国の怒りに油を注ぎ、日米戦争は避けられない。(勝ち目なし)
↓
【決定】時間経過とともに、石油備蓄はなくなり、じり貧状態に陥る。
追い込まれ、かすかな可能性を信じて、南方進出・石油獲得・米国との戦争に突入。
🔷彼らの意思決定のメカニズムは何か
★組織は合理的に失敗する
当時の政治の指導層や官僚、軍の指導層、彼らは、ある種の合理性を備えていた。特に陸軍・海軍の指導層は、選りすぐりのエリート。頭脳明晰で合理的思考のできる人材が揃っていた。
がちがちの精神主義者のように見える東条英機だが、「カミソリ東条」のあだ名がつくくらいきわめて合理的思考のできる人間だった。【合理的思考】なくして国家経営、戦争遂行などできるはずがない。がちがちのイデオロギー論者では、そんな事は到底できない。
では彼らの合理的思考とは何か。基本的には、シンプルな【損得勘定】。
【行動原理】徹底的に状況分析⇒「損得計算」⇒+ならば前進。-ならば後退。
問題点⇒コスト計算に、会計上の見えるコストと見えないコストが含まれる。見えないコストの計算が大問題。誰しも無意識にこの見えないコストを計算している。
例えば、この決定をすると、利害関係を持っている有力者Aさんのご機嫌を損ねる。Aさんのご機嫌を損ねたら、出来るはずの政策が出来なくなる。だから、Aさんの利害に関する事だけは、政策決定から外すか、それともできるだけ配慮する、という具合に。
こういう人間の思考過程を勘案した最新の取引理論⇒【取引コスト論】⇒すべての人間は不完全で限定合理的であり、スキがあれば利己的利益を追求する機会主義的な存在として仮定される。
※取引コスト論
http://www.osamuhasegawa.com/%E5%8F%96%E5%BC%95%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6/
↓
人間関係上の無駄な取引⇒「取引コスト」。これが、大になればなるほど非効率的な現状をより効率的な現状に変化させることが困難になる。
↓
現状維持勢力が強ければ強いほど、「取引コスト」が大きくなる。
↓
不条理な結論⇒コスト削減するための現状を変革するために膨大なコストがかかる。現状維持ならば、コストが少なくて済む。(しかし、将来的には危うい)⇒コストを考えると、現状維持を選択する方が一番コストがかからない。
※『合理的損得勘定』を積み重ねた結果、最も非合理なはずの現状維持政策が、最もコストが少ない方法であるという結論になる場合が多い。
◎日米開戦にいたる陸軍・海軍の思考過程
▽陸軍⇒総力戦研究所で日本とアメリカの戦力分析を徹底的に行い、日本の敗戦を予測している。しかし、中国大陸から引き上げるには、手ぶらでは帰れない。←(コスト)明治以来、中国大陸に進出しており、利害関係者が多数いる。彼らを説得できるだけの利権の確保は難しい。これに失敗すると、責任追及は必至。この「コスト」を考えると、日米開戦が合理的。
▽海軍⇒石油の備蓄=一年半程度 ⇒海軍は2年程度で自滅の運命
自滅を避けるために南方侵略⇒米国との戦争必至⇒勝つ見込みなし
石油禁輸を避けるためには、陸軍を満州から撤退させなければならない。
⇒陸軍の説得は至難の業。当時の陸海軍の仲を考えれば、限りなく不可能に近い。
⇒「取引コスト」が膨大。
結論⇒一筋の光明を信じて、米国と開戦をするのが合理的。
つまり、陸軍も海軍も政治家も合理的思考の限りを尽くして、最も非合理的な結論(日米開戦)に達した。
たしかに、日本は、明治以来、中国侵略には、多大な犠牲を払っており、中国に利権を持つ人間も多数いた。夢を求めて中国に渡った国民も多数いた。陸軍は、彼らを説得する必要性もあり、その交渉・取引コストはあまりにも膨大だったのである。こうして、陸軍も勝てない米国との戦争を行う方が合理的だという不条理に導かれた。
以前から、何度も『空気』を読み、『空気』に逆らわないのが日本人の行動様式の特徴だと書いてきた。この「空気」を読む基本の背後に、このような【損得を計算する】思考法がある。
『空気』の醸成は簡単にはできない。人は馬鹿ではない。『空気』の論理に、ある種の正統性がないと、人は付いて行かない。この正統性の担保に「取引コスト」論があると考えられる。「取引コスト論」自体は、新しい理論だが、日本人の思考法=処世術・生き残り術を説明する理論としては、きわめて有効である。
『損得を計算する=取引のコストを計算する』ことは、誰でも日常的に行う。指導者の本当の優秀さ、能力の高さは、この「取引コスト」を超えたトータルな思考にあるのだが、凡百の指導者は『取引コスト』の精緻な計算に固執する。『取引コスト』の損得勘定が行動原理になりがちである。
これが、合理性を突き詰めて、突き詰めて思考した結果、誰がどう見ても『不条理な結論』にいたるメカニズムだろう。
この結論は、誰がどう考えても非常識で非合理的結論。だから、保阪正康氏が主張する『主観的願望を客観的真実』に変容させる必要がある。合理的結論のように装う必要があった。
その為にどうするか。
(1)予想を支える数値を甘く見積もった。誰が考えてもそれしか方法がない。今でいうなら、『統計偽装』や『統計改竄』を行う事にならざるを得ない。この最たるものが、いわゆる『大本営発表』である。
(2)同時にプロパガンダを大々的に行う必要がある。(戦争標語、学校で軍国教育、戦争プロパガンダ映画、メディア統制、隣組制度の強化、歌謡曲、戦意高揚儀式など)
(3)それでも疑問を呈するものには、強権的対応を取らざるを得なかった。⇒メディア・知識人・共産党などの弾圧。⇒ファッショ体制の確立
(4)ポツダム宣言受諾決定後⇒『戦争責任追及』を免れるため、あらゆる文書を焼却⇒(例)内務省の文書焼却3日3晩、外務省文書8000冊など。満州や朝鮮、地方役所などの文書など⇒軍人・役人の戦争責任を灰燼に帰した。(★明治以降の日本の歴史が消え失せた)
この「責任回避」が、日本の政治家・官僚・軍人たちの悪しき伝統になっている。「従軍慰安婦」問題などは、『文書焼却』がなかったら起こりえなかったはず。この歴史に対する冒涜ともいえる蛮行が、歴史修正主義者の背景に横たわっていることを忘れてはならない。
現在の政権は、敗戦時の『歴史を消し去る』蛮行を良しとしているように見える。単純に言うなら、証拠さえなければ、どうとでも言いくるめる事ができる。出来るだけ、証拠を残すな! これが安倍政権の姿勢だろう。
だから、現在のコロナ対応でも、出来得るものなら、きちんとした文書は残したくない。『責任』を取るくらいなら、何もしない方が良い⇒典型的な政治家・官僚の『不作為の罪』。
厚生省を作った小泉親彦は、戦後自刃して果てている。せめて彼くらいの覚悟が現在の政治家・官僚たちにあれば、もう少しは違った対応が取れるはずだが、それもないものねだりだろう。
参考
※取引コスト論は、「現代ビジネス」の以下の記事を参照しています。
コロナ対策で日本のリーダーはあの戦争と同じく合理的に失敗している
開戦時の日本のリーダーたちと比較してみる
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc1aa7bf519381223727af580e4a8c81a7c89d71
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
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