歴史的に会津藩は”逆賊”と呼ばれ苦難の宿命を辿ってきた。
しかし、有為な人材を世に送り出しその存在感を示し続けた。
白虎隊士だった「山川健次郎」は東京帝国大学の総長に。
他にも”医療””文学”経済””外交”と多くの会津藩士が活躍した。
何故これ程の人材が出たのでしょう。
それはある藩士が創設した藩校の存在が大きいと。
その藩士は「経済は百年の計にして藩の興隆は人材の育成にあり」と。
1人の人材を育成する労苦は百年、万年の未来を拓く。
「よい事はカタツムリのようにしか進まない」のですから-------。