JR信濃町が誕生したのは1894年(明治24年)と。
その背景には兵隊や軍事物資の輸送という軍からの要請があった。
信濃町付近には現在立替が決まっている国立競技場、明治神宮外苑
慶応病院などがあるが当時は青山錬兵場の軍の施設が広がっていた。
いわゆる”戦跡”である。
写真家の安島太佳由氏は国内外の戦跡写真を撮り続け「戦争の悲惨さ
おろかさ、恐ろしさ」を実感してほしいと若者達に訴えている。
2020年東京五輪のときは戦後75年を迎える。
町は変貌を遂げても平和を求める人の心は変わってはならない。
小さな事にも問題意識を持ち”平和”の砦を築いていきましょう。