朝ドラで影響を受け、大阪経済発展に大きな功績を遺した「五代友厚」。
「東の渋沢」「西の五代」と称され、数多くの事業をやり遂げた。
その多くは”共同事業”--------明治初期はまだ商売や事業が
「家業」として行われた時代。
さまざまな人々と手を結び、事業を展開する手法は当時として
斬新のものだった。
その時に、この二人は「合本主義」との考え方で事に処していった。
「弱く不甲斐ない物でも助けるものが強ければ倒れない」
こんな言葉が在りますが、いかに支え合う事が大切かという事です。
この二人の考え方、生き方からも多くの物を学ぶ事が出来ます。