私が当地で国語塾を始めたのは、2005年5月。
その前、1年徳島県で仕事していた。
おへんろマガジンの編集(主にライター)していたがふるわず、休刊。
で、後半、遍路道中物故者供養の碑を建立(こんりゅう)することに没頭。完成、徳島から当地へ。
(ま、ふりかえれば↑これをするために徳島に「よばれた」と今は感じている、これ、やらないと私自身、人生の悔いになる、できて良かった、天が味方してくれた)
その1年徳島にいた記念に、寒冷な地には合わないと知りつつ、連れ帰ったのがすだちの幼木。
植木鉢で育てて冬は玄関に入れました。
一度だけ、ピンチがありました。
それはアゲハは幼虫を生み付けてその子たちが孵化してスダチの葉っぱを食いつぶして、裸ん坊にされてしまったとき。
ああ・・だめだ、枯れる。と思ったのだが、復活。つよかった、すだっちゃん。
以降、アゲハには情けをかけないようにしている・・・・殺生してます
そしてこの地に移転して、次の年、地下ろしした。
そうしたら、木は太くなり樹勢はあるのだが、実をつけず。
やっぱり雪が降るし、生きていてくれるだけでいいや。でした、ここ数年。
しかし、昨年暮れ、もはやでっかくなりすぎて、おまけに幹の棘がこれまた悪魔の爪のようになって、もう私の手で雪囲いをすることあたわず。
「ごめん、もう私はあなたにギブ。棘も痛いし、コモを巻くことができない、ごめん、やっぱり鉢で大事にして置くべきだったね。自分で何とか冬を生きぬいてしてくれ」とわびて、太陽光透過ビニールシートを1枚かぶせて越冬。
そうしたら、生き延びました(雪が少なかったも幸いしたのか)
そうして、がんばった根肥料をたんまりあげた。
なんとなんと!
たくさんの花をつけて、実をつけて,今に至る。
だから、塾生にも友人・知人にもあげて、毎度の料理にもつけている。
大豊作、鈴なり。
上のようなスダチストーリーをしたら、高校生男子「スダチも修行したんですね、それで実をつけた」
わはははは・・そうかも
もう木としては20年たっているし、この豊作がもうこれで引退します的な大盤振る舞いでないことを祈る。
今日も野菜だのお赤飯を下さる実家の前と横のおうちに差し上げてきました。
横のうちの方からは、今朝栗醤油赤飯をいただいた、おいしかった。秋の味。
・・・・・・・・・以上、スダチゃんストーリー終わり・・・・・・・・・・・・・・・・・
このところ、次々と訃報ですね。
先日は、大山のぶ代さん、今日は西田敏行さん。
「ぐりとぐら」の中川季枝子さんも。
料理評論家の服部幸應さん。
テレビ朝日 三上大樹アナウンサー(なんと、38歳)
皆さん、ワクワクチックンしておられたんだろうな。
ワクワクで、長寿テロメア(遺伝子)が傷つけられるというのは、あるそうです。
だろうか。
皆さん、ご冥福をお祈りします。
多分霊界、大混雑だろう。
そうして、自分がそこにいる理由(ワク原因死)がわかって、怨嗟のエネルギーが満ちているのではないか。
このエネルギーの向かう先は…どこだろう。