国語塾長、情報集めて考えます・書きます的ブログ

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旅立ちの決断、振り返って考察すれば個性が出ます

2024-08-17 23:00:30 | 日々の雑感

チヨ、8歳のころ(今のうちに引っ越してきたばかりのころ)

★我が愛猫チヨの旅立ちから学んだこと

彼女は、2023年2月10日の早朝に旅立った。

前日9日、お昼の強制給餌の時に絶対に口を開けない。それまでは、なんとかあけて、くれていたのに。

「私はもう食べない』という、強い意志を感じた。

「チヨ、私は、あなたを助けるように動くのがお勤め。あなたは、でも、もしも逝きたいなら、いいよ、私の気持ちに付き合って苦しい思いはしなくていいよ」

と話しかけた。

そして、すでにあまり動けなくなったチヨをベッドに入れて塾教室へ。

塾生にさよならした21時過ぎから一気に具合が悪くなって深夜12時ころに逝くのか・・だったが、結局朝方に逝った。その晩は、ベッドに入れたままいっしょに寝た。

チヨは、私が『いい』と告げたので、もう苦しい痛い思いでこの人のところにとどまらなくていいと旅立った、と思っている。

彼女は、自分で逝く時を選んだ。(と思っている。ネコだけれど、チヨの霊格は高いと感じていた。あの子は、成猫になってからはいわゆる悪さはしなかった)

決意の死

★上の弟の死は・・・・

 死の前日まで入院中の病院の中で、人様の見舞いに行っていたけど・・・翌日にあっさりと亡くなった。

 私が行った午前中の呼吸は荒く、しかし意識は清明で、私が担当医に、苦情を言うのを、手で押さえた。最後まで彼らしかったが。

しかし、これ、やばいな・・と思って、いったん帰宅。明日の塾は休みますの電話を流していたら、姪から、亡くなったの連絡。恐い姉の姿が見えなくなって、緊張がほどけたんだよ、と姪の抗議。

しかしまあ・・私がいてもいなくても逝くと決断した魂は逝く。

彼は、これ以上この世にいると、この自立性を失う。排泄から何まで、人の世話にならなければならなくなる。

(彼の心中)自分の妻は、中越地震で脳梗塞で倒れて、自分の世話はできないし、むしろせねばならないのに・・・

私の見立てでは、まずは、秋口までは長らえられるのではないか。初孫が生まれるまでは、と思っていたのだが、一気に具合が悪くなって・・・だった。

これまた、誇り高い決意の旅立ち。多分。

 

★末の弟の死

彼は、恐かったんだと思う、死ぬのが。

母が臨終の枕辺に来て1時間ほどしたときに

「○○、そばに兄ちゃんや父ちゃんいると思うよ、探してごらん、おまえを迎えに来てくれた、二人の後についていけば大丈夫。いいところに行ける、お前は悪いことは何もしなかった、人にも動物にも優しくて親切だった、一番いいところに行けるよ、大丈夫、安心して二人について行きなさい。またこの世に出てきたい、と思ったら、前にも教えてあげたろ、生まれ変わりの森にを探していくといい。大丈夫、思うようになるよ」

こんな話しかけをした。

そうすると、じきにバイタルサインはフラットになった・・・旅立った。

私の言うことを信じて、兄や父の姿を認めたのだろう、魂の目が。

★父の死

父は、危篤状態の電話があって、家族の到着を待たずにひとりで逝った。

まあ、かなり弱っていたし、持たなかったのもあるだろうが、そもそもかなり自己中な人なので、『じいちゃんらしく、自分が思うときに死んだ。あの世に逝った。だれのことも待たずに」

と家族で言い合った。

ちなみに私はそのときには県外なので、もちろん間に合いはしなかったが。

★祖母の死

1月20日。寒い日だった。2回目の脳梗塞。

昔2回目は旅立つ、といわれていて、伯母達がそろっていた。朝方、母がお坊さんの足音がする、迎えが来られた、と、みんなを起こした。

部屋に行ってみると、呼吸が変わっていた。いわゆる上顎呼吸、それで潮が引くようにゆっくりとなっていき、止まった。

それをその晩泊まっていた親族と共に見守った。(高校3年の時)

これ、その昔は当たり前のご臨終の風景だったと思うが、今は病院死が多いしねえ・・・管つながれて生かされることもある。

 

:::::::::::::::::::::

こうやって書き並べてみると死も個性的だ。

さて母は

動物的な生存本能が強い人だ。

だから、身体は今や拒否しているようにも見えても、食べる意欲だけは残っている。

って、ことになっているのだろう。

・・・

7日の訪問診療医の診察の時は特段異常も無く。

10日夕刻から、一気に食べる量が減り。

16日の朝には歩けなくなった。

(15日の夕方のヘルパーさんのメモには、歩行器で歩かれてトイレへとあるのに、一晩で歩行困難)

15日はディサービスにも歩行器で行った、16日に明日のお迎えは車椅子対応で、と電話したら驚いていた。

1日、で歩けなくなったんですか?と。

そう・・私もびっくりだ。

今朝は、朝の脈拍が90を超えていたし(これは初めて、たいてい70台から80台なのに)彼女の生存意欲に心肺がついて行かない状況が始まっているように思える昨今。

私はやるべきことを淡々と、粛々といつも通りに。

みんな、1度は死なねばならぬのです。

今日、お盆のお供えなどをかたづけたが、弟たちはまだいる気配があったなあ・・・

 


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