ときどきキンドルに入れた芥川龍之介全集を読んでいる。短編ばかりで、たまにある長編だって漱石なら短編の部類。うーんと短いヤツなどはショパンの子犬のワルツを弾き終わるのより先に読み終わる。
漱石が明治の人なら芥川はちょっと後輩だから大正時代の人。だから、描かれる世相が少し今風。それでも「田端の音無川のあたり」とあったから、西日暮里から田端にかけて今の京浜東北線が走っていたあたりを流れていた音無川が当時はまだ健在だったようだ。
そんな芥川の作品(彼としては長い方)に「糸女覚え書」というのがある。関ケ原の際、細川ガラシャが石田三成の人質になるのを拒んで家来に胸を突かせるまでのことを描いた話。なにが面白かったって、一般に、細川ガラシャって、美人で信仰に篤い「いい人」に描かれることが多いでしょ?ところが、ここでは、西洋かぶれで、上から目線の傍若無人で、故もなく侍女を折檻するくせに、人からお世辞を言われるのは大好きな人間に描かれてる。こういう人が上司なら最悪って感じ。
そのガラシャが、始終おらつしょ(oratio=キリスト教の祈祷文。それが訛って「オラショ」になったと言われているが、芥川は「つ」を入れている)を唱えていて、それが「のす、のす」に聞こえて思わず笑ってしまう侍女がいた(それでまた折檻された)というのだが、いったい、祈祷文のどこが「のす、のす」に聞こえたのか、私にはそこが問題である。キリスト教の宗教音楽をそこそこ知ってるけれど、どの部分だかさっぱり見当がつかない。
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