黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

昔は金ぴか

2025-01-03 18:46:46 | 歴史

年末年始は、ブラタモリのほか、お城、ピラミッドを特集した番組を見て、正月気分は皆無。誰とも「よいお年を」「明けましておめでとうございます」を言ってない。ま、年末年始は猫には関係ないし。

そのピラミッドの番組を見て初めて知った話(としよりに、なってもしらぬ、ことばかり(季語のない五七五を川柳という(これも初めて知ったこと)))。ピラミッドは、今では、巨石が向きだしででこぼこしてるが、創建当時は化粧石で覆われていて、白くてつるつるだったという。てっぺんは金色だったという。

そう言えば、日本の古墳も、今では木々に覆われて小山のようだが、完成当時は木など生えてなくて石がむき出しでピラミッド同様「巨大建造物」の趣きだったそうな。

木はあっという間に生えるからなー。明治神宮も100年前は荒野で、木を植えるところからその歴史が始まったそうな。それが今ではあのような鬱蒼とした森になるのだから木の成長は速い。私の奥地の家の庭は、庭の草木をすべて伐採したが、2か月後にはかなり草がはえてきた。

そのうち、切り株から芽が生えてくるのだろうか。自分が伐採を経験したものだから、現住所のお向かいの家が一年に一度伐採をするのもこれまでと違う目で見るようになった。おっ、随分切ったなー、てな感じである。

因みに、前方後円墳はなぜ角張った方が前で丸い方が後ろなのかという疑問に対して、かつてどこかの専門家がテレビで「理由はない」と言っていた。その通りなのだろうか。それとも、理由を語る専門家もいるのだろうか。

文化遺産の今昔の話をもう一つ。奥州藤原氏が創建した中尊寺金色堂のことである。金色堂は、昭和の時代に大修復をする前は、金箔ははがれ、痛みもひどく、かなりくたびれた姿であった。それを大修復によって金ぴかにしたのである(それからさらに半世紀経ったので、最近も修復をしたそうである)。ところが、くたびれた姿を見慣れた人の中には金ぴかになってありがたみが減った感じを持つ人がいて、それを言う人もいたらしい。古いモノは古ぼけて見えてこそありがたい、ということなのだろう。私が通った高校のある先生は、そういう意見に異を唱えて「創建当時は金ぴかだった。その当時の姿が再現し、それを見ることができることこそありがたい」と言っていた。

金色堂を昔のように金ぴかにしたのなら、古墳も草木を伐採して昔の姿を蘇らせよう、という話になっても不思議はないように思うが、そうした話は寡聞にして聞いたことがない。

 

 

 

 

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関門海峡が関門であるのはたまたまだった件

2025-01-03 12:17:02 | 地理

ブラタモリの再放送を見てて思ったことその1。伏見は東西の「関門」である、と聞いて、私、「関門」て関門海峡が語源だな、あそこは本州と九州を行き来する際に絶対通らなければいけない場所で、壇ノ浦の戦いに見るように潮の流れが激しく渡るのが大変だから、転じて「通過するのに困難を伴うところ」(大辞林)の意味になったんだな、と思ったら大ハズレ。「関門」とは関所の門のことだという。関門海峡が関門であるのはたまたまらしい。

その2。東海道57次(53次のルート(江戸ー京都)から分かれて大阪に向かうルーロ)の終点の高麗橋の上に、始点の日本橋と同様高速道路がかかっていた。日本橋の上の高速はそのうちなくなるそうだが高麗橋はどうなのだろう?

その3。京都競馬場は珍しく第三コーナーに坂があるが、それは自然の地形を活かしたものである、さあ、何があったんでしょう、ヒント、ここには以前巨椋池という大きな湖がありました……と聞いて、私の脳裏にまず浮かんだのが「台地の尾根」。昨年は、上野台地や本郷台地の尾根をさんざっぱら歩いたものだ。だが、ここは池や川のある湿地帯……ってことは、分かった、「土手」だ。ブー。正解は「堤防」。ここで疑問。土手と堤防と何が違うんだろう。大辞林によると、「土手」とは、土の堤で、水や風や敵の侵入を防ぐために設けられたもの。それに対し、「堤防」はもっぱら水を防ぐためのもの。ってことは、土手>堤防、すなわち、堤防は土手の部分集合であって、私は正解であった(先生に言って×を○に変えてもらわにゃ)。因みに、昨年は、川(中川他)の土手もずいぶん歩いたものである。

因みに、私は、川も大好きだが、池・沼の類いも大好物である。大きな湖もよいが、ちょっとした貯水池のような水溜まりに大いに心が惹かれる者である。ドイツの民話に出てくるような、精霊が住んでそうな鬱蒼としたヤツは一層好きである。山、台地、川に続き、池沼についても当ブログに書き散らしたいと思っている。そんなだから、判例の中でも「奈良県ため池条例事件判決」が大好きである。判決の内容が好きなのではなく、「ため池」と言う言葉にそそられるのである。

ブラタモリのレギュラー放送が春から復活するのはなによりも吉報。だが、考えてみればタモリさんは今年80歳になられる。80歳でぶらぶら歩きができるのは健康でなければできないこと。ご健勝のご様子で何よりである。

 

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