NFLのクリーブランド・ブラウンズで、名タックラーとして活躍。同時にプロレスラーとしても活動し、1974年4月に新日本プロレスの「第1回ワールド・リーグ戦」に来日。その際に貰ったポートレートが、このフットボール姿の写真だった。
. . . 本文を読む
1974年春に開催された新日本プロレスの「第1回ワールド・リーグ戦」に、アルゼンチン代表として初来日したのがアルゼンチン・ズマだ。小柄な体格は国際プロレスに来日した、ティト・コパのようだったが、かつてはニューヨークのMSGに出場経験もあるという。そして、ご覧のようなポートレートを3枚もくれたのだ。
. . . 本文を読む
兄が50年代から70年代にかけての実力者、ドクター・ビル・ミラーで兄弟タッグで売り出し台頭。ダン・ミラーも日本プロレスの「ワールド・リーグ戦」やマスクマンのザ・レモラで来日。このポートレートは1973年に全日本プロレスに来日した際、ミラー自身から貰った物だ。渋いファイターのミラーだったが、日本では大きくブレイクすることは無かった。
. . . 本文を読む
このポートレートはラーズ・アンダーソンが、国際プロレスの「第5回IWAワールド・シリーズ」に参戦した際に貰ったものだ。正確には持参したTシャツを購入したら、ポートレートもくれたのだ。今では当たり前のように売られているいるTシャツも、この昭和40年代後半にはデストロイヤーとアウトローズ位なもの。たから
Tシャツも貴重だし、ましてポートレートなどは非売品だったのだ。
. . . 本文を読む
インディアン・レスラーの総帥、ワフーは体中から大物感を漂わしていた。国際プロレスに初来日した昭和48年、私は高校1年生の16歳。この時代、プロレス活動?が最も充実していたから、ワフーからもポートレートをゲットした。
. . . 本文を読む
少年時代、外国人レスラーにサインを貰った際、たまに自らのポートレートをくれた選手がいた。おそらく宣伝用に持参した一部をくれたのであろう。当時はそれがとても貴重で価値あるものだと思ったが、調子に乗った私はサインを貰うたびにいろいろなレスラーに「写真を貰えますか?」と尋ねたものだ。
この六つ切りサイズのポートレートは、ブッチャー自身から貰ったもので何種類かあった。ブッチャーは我々ファンに写真や雑誌 . . . 本文を読む