海老蔵&真央夫妻の結婚披露宴をTVで見ていたら、今から16年前の我がことを少しだけ思い出した。1994年9月…籍を入れてから3カ月後にメキシコで挙式を挙げ、その次の月に披露宴。場所は高輪プリンス・ホテル(現グランドプリンスホテル高輪)のパミール館。列席者250名で、総費用は1,000万円。この模様は当時の週プロで4ページも載ったし、各スポーツ紙も取り上げてくれた。それはなぜかって?披露宴でプロレスの試合をやったからで、その上に北斗晶の化身レイナ・フブキが日本初登場というサプライズもあったからだ。
しかし…あんなに盛大な披露宴を行ったが、わずか2年足らずで家庭という王座から転落してしまった。私は不甲斐ない短命王者だったのだ。あの1994年は全女が東京ドームで興行をやったし、私はそのマッチメーカーであり、ブッキング窓口でもあった。まさに女子プロレス界をリードしていたのだ。だから我が人生のピークだったかもしれない。そして、この離婚から私の紆余曲折の人生が始まったと言ってもいいだろう。
それでも、天性?の運の強さもあり、ここ数年は割りといい感じで過ごすことが出来た。あまり責任のあるポジションではなく、自由奔放に楽しんできた面もあったのだ。さて、さて今後はどうなっていくのか…やっぱり結婚もそうだが、責任のない人生は気楽だが、それ以上の充実感は無いと思う。そして刺激とリスクは背中合わせ。まだまだチャレンジ精神は旺盛だから、前進するのみだ。写真は1994年9月、絶好調の頃。
しかし…あんなに盛大な披露宴を行ったが、わずか2年足らずで家庭という王座から転落してしまった。私は不甲斐ない短命王者だったのだ。あの1994年は全女が東京ドームで興行をやったし、私はそのマッチメーカーであり、ブッキング窓口でもあった。まさに女子プロレス界をリードしていたのだ。だから我が人生のピークだったかもしれない。そして、この離婚から私の紆余曲折の人生が始まったと言ってもいいだろう。
それでも、天性?の運の強さもあり、ここ数年は割りといい感じで過ごすことが出来た。あまり責任のあるポジションではなく、自由奔放に楽しんできた面もあったのだ。さて、さて今後はどうなっていくのか…やっぱり結婚もそうだが、責任のない人生は気楽だが、それ以上の充実感は無いと思う。そして刺激とリスクは背中合わせ。まだまだチャレンジ精神は旺盛だから、前進するのみだ。写真は1994年9月、絶好調の頃。
なぜなら、あなたの仕掛けるプロレスシーンを楽しみにしてる人達(少なくとも私は楽しみにワクワクしています)が待ってるのです、ロッシーさんを放しません
このブログも大好き、本当に「前進」してってください どんな「今まで」も道ずれにして鞄に入れておいたっていいのですから