プリンセサ・スヘイが10年半ぶりにやって来る。10年ぶりと言っても、まだ20代。あれは1999年5月のことだった。アルシオンのメキシコ遠征の際、このスヘイとリンダ・スターを面接したことがあった。面接と言っても写真を撮って、プロフィールを聞く程度だがこの時がスヘイとは初対面。その後、7月には招聘したのだ。当時のアルシオンはマリー&ファビーのアパッチェ姉妹、レディ・メタルが定住していたが、ファビー . . . 本文を読む
トラネパンテラという、メキシコシティから車で1時間足らずの場所にあるアレナ・ロペス・マテオスは、いわゆるインディー団体が使用する会場だ。メキシコの会場は、だいたいが特定の団体の定期戦が行われるが、その意味ではいろいろな大会が開催されているのだ。最近ではドクトル・ワグナーJrもここで、自主興行をやっているという。キャパはMAXで2,000人、ちょうどいい広さだ。そこの主と言うか、「LEGEND」 . . . 本文を読む
メキシコ滞在中にTVでWWEの中継を見ていたら、「Fall of Fame」殿堂入りの追加メンバーとして、ウエンディー・リヒターが選出されていた。ウエンディーは私が最初に売り出そうとした外国人女子レスラーである。1980年に初来日してから2年間、全女の常連来日選手になったが、その人柄の良さとダイナミックなボディは“女ハンセン“か“女ホーガン“にさせたかった。ただ当時の私は、若手の広報担当兼時々 . . . 本文を読む
CMLLがミスティコのルード転身で、再び盛り上がりを見せている。このところ一時のルチャ・バブルは弾けたようだが、ミスティコの対抗馬としてボラドールJrが浮上。私が観戦した2月26日のアレナ・メヒコ大会ではメインがミスティコ&ネグロ・カサス&フェリーノのルード軍vsボラドールJr&ソンブラ&マスカラ・ドラダのテクニコ軍が組まれていた。中でもミスティコとボラドールJrは互いのマスクを剥ぎ合い、抗争 . . . 本文を読む
メキシコでの定宿はアレナ・メヒコから歩いて5分のところにあるホテル・プエブラだ。初めての渡墨は今から20年前の1990年12月だった。ユニバーサル・プロレスで知り合った浅井嘉浩のアパートに世話になったが…その後はCMLLが用意したホテル・パル、ホテル・サンディエゴに泊まったものだ。
特にサンディエゴはルイスモヤという通りにあり、当時はスペル・アストロとベビー・フェイスの経営するカフェテリアが . . . 本文を読む
メキシコではつかの間の時間、二人のスペル・エストレージャに会うことが出来た。一人はミル・マスカラスであり、もう一人はオクタゴンである。マスカラスは昨年9月の「LUCHA FAN FEST」で挨拶した程度だったから、やっぱり嬉しさは倍増だ。昨年3月に「坊主にすればいい!」と言われ、「まだ早いので…近い将来そうなるから、今はこのままにしています」と返答したことがあった。私が帽子を脱ぎ「少し坊主にしま . . . 本文を読む
私にとって24回目のメキシコ旅行は、アミーガたちとの再会が多く実現した。まずHIROKAとダミアンがホテルに訪ねてくれ、仕事やら雑談やらで話し込んだ。HIROKAは最近、小動物のペットショップを始めたそうで、インコとか亀などを扱っているとか。「昔からペットショップをやるのが、夢だったんですよ。市場で仕入れて毎日、店に出ています…」と言っていた。
アレナ・ナウカルパンでは、レディ・メタルと本当に . . . 本文を読む
mexicotaizai 4kamenishite nethakken demo nihongonewryokugadekinai!
kinouha tigre fuka no shiaigaarimashita. bikkurisuruhodo sugoi ninkidatta.
fukamo daimanzokude kangekishiteimashita.
watashimo gen . . . 本文を読む
今日、これからメキシコに出発します。今回は久しぶりにロス経由の便。一瞬だがロスに立ち寄るのは、少しばかり嬉しい。やっぱりロスは西海岸の玄関みたいなものだから、気分が高揚する。メキシコシティ到着は午後6時30分で、そのまま宿泊するホテルに直行。さて、どんなスケジュールが待っているのか…メキシコだから何が巻き起こっても驚かないけど、まあ忙しい日々を過ごしてきます。
▲昨年の「FAN FEST」で . . . 本文を読む
メキシコのプロモーターから2月28日、アレナ・ロペス・マテオスのポスター・データが送られてきた。なんと…「FUKA ADIOS MEXICO」と題された女子の大会で、メインは風香&プリンセサ・スヘイvs ダーク・エンジェル&HIROKAという豪華カードだ。最後の風香祭ではティグレFUKA&ダーク・エンジェルvsプリンセサ・スヘイ&HIROKAというカードが行われるが、その前哨戦みたいな感じだ。 . . . 本文を読む
私が初めてメキシコに行ったのは1990年12月だった。少年時代からマスカラスに憧れたが…実際は33歳と遅いメキシコ・デビューを果たした。そして、この国には様々なカルチャーの違いを感じたものだ。
①信号待ちしていると、フロント・ガラスを拭きにくる少年がいる。時には火を噴く者も。②スモッグのため、一車両で運転できない曜日がある。③雨ではなく雹が降ってきた。④トイレに便座がない。⑤一般家庭ではトイレ . . . 本文を読む
メキシコCMLLのルチャドーラを語る上で絶対的な存在なのが、レディ・アパッチェのカリスマ性だろう。今では重鎮となったが、HIROKAとの対戦は秀逸の闘いを繰り広げている。伝統的なタパティア、ゴリー・スペシャルの名手で飛び技も使いこなす。同じテクニカのダーク・エンジェルが国際スターだとしたら、彼女はメキシコを代表するエストレージャなのだ。
若い頃は見るからにキュートで、夫だったグラン・アパッチェ . . . 本文を読む
隼仮面に「太ったんじゃない?」と言うと、「そうなんだ、現役時代よりかなり体重が増えたんだよ」と。それにしても去年、会った時より相当横幅がある。「小川さん、勘違いしてんじゃないの?こっちはファルコンで、去年会ったのはアルコンだから!」と大川カメラマンの助言。そうだよな、こんなに太るわけないものな…そういえばアルコンは来ていない。アルコンはマスカラスと、“マスカラ戦”を争ったルチャドールだった。
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帰国後、毎日時差ぼけで午前5時頃には目が覚めてしまう。あれだけ渡航歴があるものの、こんなことは初めてだ。まあ、それだけ濃い~旅立ったわけだから。おそらく、今後もこんなにも充実した旅は無いと思っている。これは、いろいろセッティングしてくれた大川カメラマンに感謝なのだ。
我々マスカラス世代にとって、忘れてはならないのが実弟シコデリコの存在だ。日本にはたった1度しか来日していないが、ドス・カラスのよ . . . 本文を読む
「ルチャ・ファン・フェスタ」は総勢50名を越えるルチャドールでごった返したが、その存在を知らしめるためコスチューム姿でサイン即売会を行っていた者も何人かいた。中でもスタートの午後12時から6時まで、頑張っていたのがソラールやスペル・アストロだった。かつてはUWAマットで、この二人にウルトラマンを加えたトリオで活躍。今でも時折り活動していると言うのだ。
ソラールのルチャ技術はアトランティスと双璧 . . . 本文を読む