現在・過去と代表的なアイドル・レスラーを例えれば、何と言ってもキューティー鈴木が最大の存在だろう。確かにビューティー・ペアもクラッシュ・ギャルズも、国民的な人気を誇ったアイドルのような立場だったが、キューティーの場合は最初にルックスありきで評価された第1号のような気がする。ミミ萩原は年齢的にアイドルのカテゴリーではなく、別格のスターであった。
80年代の全女系からすれば、アイドルと呼ば . . . 本文を読む
女子プロレス栄光のシーンにはまったく出てこないが、クラッシュ・ギャルズ時代を代表する人気者だったのが小松美加&永友香奈子のコンビだ。通称”オペロン同盟”は、別名をニンニン(小松)&カナ坊(永友)ともいった。この二人はブル中野と同期。若手時代、小松、永友、ブルに小倉由美を加えた同期の4人は仲が良かった。だから、私も興行に行くと必ず、試合後「ごっちゃん!」という合言葉?で4人と食事に行ったものだ。小 . . . 本文を読む
ビジュアル系ヒールとして全女マットで異彩を放っていたのが、バイソン木村だった。アジャ・コングとのジャングル・ジャックは、反骨心を持った革命的なチームで、ブル中野の獄門党と対立。1990年8月の後楽園で行われたブル&グリズリーvsアジャ&バイソンのタッグは、私情がほとばしった遺恨マッチだったと記憶する。ブルは竹刀が折れるまで、アジャとバイソンの頭を叩き、竹刀がぐしゃぐしゃになったシーンはぞっとした . . . 本文を読む
今月26日に引退するHikaruにとって、最大のライバルだったのが西尾美香だろう。引退が決まった時の取材で本人も「西尾さんと最後にタッグを組みたかった…」と言っていたが、この二人の関係は常に背中合わせだった。ナナモモ&ミホカヨ世代の次にスター候補だったHikaru&西尾は、同世代タッグを組み全日本タッグを奪取した。その様はかつてのクラッシュ人気の前兆のようなものだった。しかし、その後、二人は戦線 . . . 本文を読む
大物女子レスラーの変身したマスクウーマンは、後にも先にもレイナ・フブキ(北斗晶)だけだろう。人気が頂点に達した1994年、単身メキシコに行きマスクウーマンに変身した。そして、すぐさまCMLL世界女子王座を奪取。日本初登場は、実のところ私の結婚披露パーティーで、下田美馬とシングルマッチを行ったのだ。レイナ=女王、フブキは日本語の吹雪。嵐を呼ぶ女は、メキシコで吹雪を降らせたのだ。 . . . 本文を読む
長谷川咲恵&デビー・マレンコの”日米新世代コンビ”は、私にとって懐かしいチームだ。発展途上の爽やかな二人を組ませ、当時の小橋健太&ジョニー・エースをなぞったのだ。正直言ってその頃はあまり仲がいいとは言えなかったが、とても魅力的なチームではあった。スタイナー・ブラザースを真似たポーズも様になっていたし、未来を感じさせるには十二分だった。2001年にアルシオンの企画でデビーを8年ぶりに招聘したが . . . 本文を読む
日本にはあまり馴染みはないが、オーストラリア出身で初代LPWA王者だったのがスーザン・セクストンだ。私は全女に来日した1975年に1度だけ会ったことがあるが、この時は新進の美人レスラーだった。その時、ポスターやパンフレットには、セックストンと表記され、妙に気になったものだ。一番下の右写真はその際、撮った1枚だ。 . . . 本文を読む
タランチェラは、デビル雅美のパートナーでWWWA世界タッグを獲得するなど、名バイプレイヤーとして活躍。クラッシュ・ギャルズやダンプ松本と同期ながら、いち早くタッグ王者に君臨するなど同世代のトップランナーでもあった。本名の伊藤浩江でデビューし、ワイルド香月そしてタランチェラとリングネームを変えたが、マスクウーマンに変身して成功した。
クラッシュvs極悪同盟が初めて後楽園のメインを取った、昭 . . . 本文を読む
"ゴンゴン”という愛称が本当にピッタリだった小倉由美は、クラッシュの近衛兵的な存在として、その突貫ファイトは清々しかった。弾力性のある体つきは、まさにゴンゴン…若手時代はアグレッシブで、いわゆる元気な選手だった。クラッシュ・ギャルズの付け人として、よく行動を共にしたが、千種の突発的な怒りによく耐えていたし、何かといえば、小倉が殴られた。要するにそれだけ、可愛がっていたのだが、若手にとっては辛 . . . 本文を読む
キャンディー奥津はJWPでデビューし、その非凡なる才能で台頭したものの、5年間で引退をしてしまった逸材だった・・・私がアルシオンを設立したとき、所属選手候補リストに真っ先に上がり、現役に復帰させようと画策したものだ。奥津はジムでインストラクターをしていて、アルシオン入りには即OKだった。
吉田万里子以外は目立ったプロレス・キャリアの選手が存在しなかったアルシオンにとって、奥津の加入は戦力 . . . 本文を読む
昭和56年にデビューし、1度引退したもののLLPWで復帰。かれこれ27年間も女子プロレスの世界に携わっている立野記代はマイペースの昭和型レスラーだ。その立野が長年得意としているのが、フライング・ニードロップである。昭和の時代、猪木や藤波がダイナミックに落下したが、女子ではミミ萩原が第一人者だった。ミミの場合、シューズのデザインが凝っており、ニードロップを艶やかに演出。立野はこのミミが得意とした技 . . . 本文を読む
バット吉永は新人オーディションで野球のバットを、空手の蹴りで叩き折ったことで付けられた名前だ。極真空手の出身で、プロレスに入っても、そのキックは凄まじい破壊力で台頭した。獄門党ではブル中野の用心棒みたいな存在で、その実力はブルも折り紙付き。全女でグローブマッチのチャンピオン・ベルトである、WWWA世界格闘技王座を新設し初代王者に輝いた。
神風杏子との他流試合では裏拳で、キックの王者をKO . . . 本文を読む
クラッシュ・ギャルズが引退し、混沌状態になった全女マットでそれこそ、破れかぶれの死闘を繰り広げていたのがブル中野とアジャ・コングだった。金網デスマッチを皮切りに、髪切りマッチ、そして2度に渡るWWWA世界戦…最終的には超獣コンビを結成し、全女の威信を守ってきた。
金網の天辺からブルが拝みながらギロチン・ドロップを放ったシーン、ブルのムーンサルト・ギロチンを顔面に喰らいアジャの顔が変形、ア . . . 本文を読む
ブル中野ほど、品格のあるWWWA世界王者はいなかった。悠然とした立ち振る舞い、常に向上心のあるファイトぶり、強さと喜怒哀楽を巧に使い分けた名レスラーだったのだ。そして何より、ブル自身がブル中野というキャラクターを愛し、ブル中野に徹していた。あのメイクとヘアスタイルで平気で外の街を歩く事だってあった。アメリカでも、メキシコでも韓国でも、そして日本でもブルはブル中野を貫き通した。
素顔のブル . . . 本文を読む
スカイツイスター・プレスという、たった一つの技で10年間プロレス生活を闊歩してきたASARIは唯我独尊のマイペースな選手だった。プロレスラーを目指すため高校時代、体操部に入部したASARIはそこでこの技の原型をマスターしたという。4回目の挑戦でオーディションの際、道場のリングで初披露して見せた。
この執念が実り合格し、プロの道が開かれたのだ。デビューした翌年の夏、日本武道館で初めてプロ . . . 本文を読む